「……はぁ」
夜、レイジは自室で本日何度目になるか分からないため息をつく。
今日は散々な目にあった。勉強を教えていたから頭は疲れているし、何より……。
『嬉しくなっちゃったの?』
あのにやけた顔、今思い出しても腹が立つ。でも一番腹立たしいのは、指摘された通りの感情を抱いた自分に対して。
中等部に入る前までは自分が魔法を使えることを知られたら家族まで奇異な目で見られるかもしれないと思い、人との接触は極力避けていた。それに自分たち家族は王室とは少なからず関係があるので人から何か物を貰うなんてもってのほかだ。
それなのに……あぁ、認めてやろうじゃないか。舞い上がってしまった。だって家族以外からプレゼントなんて、初めて貰ったんだ。
これまでだって他人から何か渡されたことはあった。でもずっと貰わずにその場で断っていた。他人から贈られた、何が入っているか分からない得体のしれない物なんて手にしようとすら思えなかった。だって軽率に受け取って、それがもし家族に危害を及ぼすような物だったらどうする?そんなことになったら一生悔やんでも悔やみきれない。
ずっと警戒してたのに、あの時はその考えが頭からすっぽりと抜け落ちていた。
特段甘い物が好きというわけではない。それでもあの時食べたマンディアンは特別味わい深く感じられた。カカオの甘さが、オレンジの酸味が、胸にじんわりと沁みて。あの時の自分はどうかしていた。だからうっかりしてしまったんだ。口を滑らせたのがあいつで良かった。……いや、あいつでもダメだろ。
くそっ、今日は調子が悪い。これも全て、世間が浮わつく感謝の日のせいだ……っ!
とりあえず眠れそうになかったので、水でも飲もうとリビングに降りる。もうすぐ日付が変わる時間だったので誰もいないだろうと思っていたらテーブルに肘をつきボーっとしている父の姿があった。手にトリュフチョコレートを持ったままこちらに気づく。
「……あれ。レイジ、どうしたの?」
「父さんこそ……まだ起きてたんだ」
「あぁちょっとね。ふふ。これねぇ、貰ったんだぁ」
やけに間延びした声で摘まんだトリュフを指先でコロコロと転がす。手の熱で少し溶けてしまっているのか指が茶色く汚れてしまっている。なんか様子がおかしい。
「父さん。それ誰から貰った?」
「えーっとこれはねぇ……そうだ、兄さんのお友達の警備隊の人からだぁ。いい人だから変な物は入ってないと思うよぉ」
妙にふわふわした口調。あと顔が少し赤い。
「ちょっと見せて」
「えー?レイジも食べるぅ?ダメだよぉこれはお酒入ってるからねぇ」
その言葉通り、父の前に置かれている箱の裏面にはブランデー入りのトリュフだとうかがえる記載があった。見たところ六個ほど入っていたようだが……父が手にしている物を除くと一つも残っていない。それを父は火照った顔で見つめながら楽しそうに指先で転がしていた。だいぶ酔いがまわっている。
「父さん、お酒弱いのになんで食べるの……」
「ふふ、結構美味しかった。レイジも大人になったら一緒に食べようねぇ」
静止の声も聞かず、手にした最後の一つもそのまま口に入れてしまった。下戸などではないのだが、こうなった父は少し厄介だ。
「俺はねぇ甘い物も好きだけど、レイジやルイ、ララのことが一番好きだよぉ」
笑い上戸の父は酔うと自分の思ったことを何でもかんでも口にする。内容は主に家族への愛情表現。ちなみにララとは母のこと。
「はいはい、分かったから。もう寝よっか」
「レイジはララに似てとっても綺麗だなぁ。勉強も頑張って偉い、俺の自慢の息子だよぉ」
「わ、かったから。手ぇ拭いて」
偉い偉い、とチョコレートで汚れた手で頭を撫でようとしてきたので腕を掴んで止める。真正面から褒められるとなんかむず痒い気持ちになってしまう。
「ルイもとぉっても可愛い。将来は美人さんになるだろぉなぁ。でもそしたら俺、ちょっと心配……」
酔ったとき毎回口にしているそれには同意する。来年から初等部に通うが、変な奴に目をつけられないか心配でならない。ていうか伯父の友人とやら、何で酒に弱い父にブランデー入りのトリュフなんて物を渡したんだ。
――同時刻。城内のクルベスの私室では。
「……おや、クルベス。それどうしたの?」
背後からサフィオのじいさんに声を掛けられる。こんな時間まで起きてるなんて珍しいな、と思いながらエディから貰ったお菓子群を見せる。
「これエディから貰ったんですよ。あのー……前に会った国家警備隊の……」
かなり繊細な話題なので言葉の端を濁らせる。それに特に気を悪くした様子を見せず、穏やかに笑む。
「結構入ってるね。これ全部きみに?」
そのご指摘通り、大箱にブラウニーやらクッキーやらと焼き菓子が中々の数量詰められている。正直言うと一人では食べきれない。むしろ手の込んだ嫌がらせなんじゃないかと思えてくる量だ。
「まぁ、直接渡されたわけじゃないんでどういう意図があって寄越してきたのか知らないですけど……タイミングが会わなくていつの間にかここに置かれてたって感じです」
そもそも人の部屋に勝手に入るのはどうかと思うが。まぁ今さらそんなことをとやかく言うような間柄ではないし、あいつにそういう細かいことを期待するだけ無駄だ。
「もしかして皆で食えって言いたいのか?……あ」
まぁ明日にでもティジたちに分けてやるか、と考えながら添えられてた二つ折りのメッセージカードを開く。するとそこにはセヴァたち宛てと窺える文言が書かれていた。
「……あいつ、間違えたな」
向こうには何が行ったのだろう。あと普通、人に贈る物間違えるか?『エディのやつ、仕事に関してはちゃんとしてんだけどなぁ』と頭を抱えざるを得なかった。
「レイジぃ、学校楽しい?」
まだお話したいなぁとせがまれ、渋々席につくと父はぽやぽやと顔を綻ばせながら問いかける。
「まぁそれなりに。特に心配するようなことはないよ」
父も母も心配性だ。なんか事あるごとに近況を聞いてくる。あと早く手を拭いてほしい。でも近くに拭く物もないので、テーブルを汚してしまわないか見守ることしかできない。
「お友達もできて、とっても楽しそうだもんねぇ。学校でもいっぱいお話するのぉ?」
「だからそういうんじゃ……はぁ。そうだよ。結構お話してる」
この状態の父に何を言っても無駄なので、諦めて頷いておくことにした。それを聞き父はほっとしたように息をつく。
「ふふ、よかったぁ……レイジは兄さんと同じで……色々我慢しちゃうところがあるから……」
酔っているとはいえ伯父と同じだと言われるのは心外だ。まぁでもあいつは結構抱え込むとこがあるのは事実か。
「兄さんはね……多分、とっても辛いものを見たと思うんだぁ……自分からは何も話してくれないけど……前にね……少し、聞こえちゃったんだ……」
これは聞いてしまって良いのだろうか、と思ったがそのまま黙って聞くことにした。
「兄さん、ずっと苦しんでる……我慢してる。強くないって言うけど……すごく強い人だよ……」
目を伏せて、ここではないどこか遠くを見つめるように呟く。
「でも……俺は何にもできない……多分レイジも……」
何か思うことがあるのか、汚れたままの手を強く握りしめる。
「ねぇレイジ……兄さんが、少しでも安心して過ごせるように……いつも通りで変わらない感じで接してあげてほしいな……いい、かな……?」
首をかしげてこちらの返答をうかがう。それに首を縦に振って応えると安堵したかのようにふわっと優しい笑みを見せた。
「よかったぁ……ほんとに……レイジは優しい子、だねぇ……優しくて……頑張りやさんで……俺の、大事な……」
言い切ることなく机に突っ伏して寝てしまった。アルコール度数高めのチョコをあれだけ食べたので無理もない。完全に寝入ってしまった大の大人を運ぶことなど到底できなかったので『とりあえず毛布でも掛けておくか』と立ち上がると――
「ぁの子も……かわい、そ……に……たくさ……くるし……で」
「……あの子?」
寝言に混じって漏れ聞こえたそれは、一体誰を指していたのか。やがて静かに寝息を立て始めた父の口からそれ以上語られることはなかった。
作中のマンディアンの見た目は、某ピエールの後にエルなんちゃらと続くほうのショコラティエが作られている物をイメージして頂けますと。一口サイズで可愛いです。