09.融氷-3

 なんとか涙を引っ込めたレイジの体を抱き寄せる。その体は非常に冷えていたがレイジは凍える様子もなく、静かに体を預けていた。こちらとしては『風邪を引いてしまうんじゃないか』と心配で落ち着かない。
「いったん家に帰って話すか?」
「……ここで話す」
 ここ外なんだけど……まぁ本人がここで話したいのなら俺がとやかくいうのは野暮だ。

 

「このことを誰に言ったらいいか分かんなくて……どうしたら治るのかずっと考えてた」
 いつまでこうしてるつもりだ、と突き返してきたのを『もう落ち着いた』とみなして、これまでに起こったことを聞いてみた。あくまでもレイジのペースを保たせながら。

 学校で誘拐未遂(レイジが言うには『お父さんにめちゃくちゃ心配された日』らしい)に遭った次の日。学校から帰ってきて手を洗おうとしたら水が凍りついたらしい。蛇口から出る流水が自分の手に触れた途端、凍っていく様に恐怖を感じたようだ。

 幸いにも飲料水がのどを通っていく際に凍ることは無かったが、それでも『水』そのものは敬遠するようになったという。
 それどころか自身の手が触れてしまうと何もかも凍らせてしまうのではないか、と。それゆえに家族とは一定の距離を置いていた。家族に万が一のことがあったら嫌だから。

 怖くてしょうがなかったが一体誰に、どう話せばいいのかも分からず一人抱え込んでいたのだ。
 この国では魔法に対して理解はある。というか偏見が無いだけ、というお国柄か。『魔法』という存在は知られているものの実際に目にする機会は皆無と言っていい。そもそもの話、魔法を扱える人間が少ないからだ。

 

「こんな力持ってるって知られたら、家族まで何か言われるかもしれない……突然わけの分からない力が出たのに……何も、なんにもわかんなくて……っ」
 一時は引いていた涙が再び溢れだす。少しでも落ち着けるようにその手を包んでいると、今度は凍る様子を見せなかった。

 息も絶え絶えに「何度も自分で調べようとはした」と話す。図書館にも出向いて『何か参考になる物はないか』と探そうとしたが、それを見た者がよからぬ噂を立てるかもしれないと考えて、どうすることもできない状態だったらしい。

「お父さんとお母さんに相談しようと思ったけど、二人ともこんな力使ってるとこ見たことないし……もし怖がられたらどうしようって考えたら、話せなくて……」
 自分の部屋に閉じこもっている間『これからどうしたらいいのだろう』と一人で考えていた。そんな折に俺から誘われ、先ほどの怪我が治っていく様子に近しい物を感じて話すに至った、という経緯だった。

 先ほど「いったん家に帰って話すか?」という提案を断ったのは『万が一にも家族に聞かれて恐れられてしまうのは嫌だから』って理由だったわけだ。
 幸いにも聞かれてしまうほど近くに他の人間もいないしレイジがここでいいというならここで話を続行しよう。

 

「よく一人で頑張ったな。でももう大丈夫。これからは俺も一緒に考えていくから」
 艶やかな黒髪を優しく撫でつける。普段なら照れて振り払うのにそれすらもしない。よほど不安だったのだろう。

「お父さんとお母さんは魔法のこと知ってるって本当?」
「あぁ、わりと知ってるほうだぞ。二人とも理解があるし」
 先ほどの言葉を覚えてたか。やはり物覚えがいいな、と感心しつつセヴァとララさんのことを話す。
 俺が治癒の魔術を発現した際、一番最初に理解を示してくれたのはセヴァだった。あれにはかなり救われたな。

「これ……本当に魔法なの……?」
 まだ不安が拭いきれないのだろう。レイジは俺に握られていた手を離して、自身の濡れた手のひらを見つめながら恐る恐る口を動かした。
「まぁ見た感じそうだな、ってところ。レイジ、今年で9歳になるよな?魔法が発現……突然使えるようになる時期は7歳から10歳の間が多いんだ。それに照らし合わせると『ある日とつぜん水が凍った』っていうのも当てはまる。いま水を凍らせてしまうのは、その力が変なタイミングで出てしまっているだけ。もっと魔法について知っていけばそんなことも起きなくなるよ」

 魔法を発現したばかりの子どもは制御する術を知らない。それゆえに本人の意図しないタイミングで魔法を発動させてしまった、というのが今回の顛末だろう。
『魔法』とそれに類する物はまだまだ不可解な事象が多い分野だ。現時点ではこの子の不安を完全に解消することは難しい。

 

「とりあえずセヴァたちに話すか。お前に何かあったんじゃないかってあいつらも心配してたんだぞー?」
 少し軽い調子で言ってみたもののレイジは手をカタカタと震わせる。
「本当に怖がられない?……気持ち、悪いって言われない?」
 最後の言葉は消え入るかのような小さな声だった。
「大丈夫だって。俺も一緒についててやるから」
 だがレイジは「でもでも」と食い下がる。

「自分のせいでみんなが傷つくのは嫌なんだ。そんなことになるぐらいだったら話さないほうがいい。こんな力……誰にも言っちゃいけないし、知られちゃいけないよ……」
 まるで自分に言い聞かせるかのように呟く。しかしかなり限界のようだ。表情を見れば誰だって分かるほどに。

 

「こういうのは何にも言われないほうが心配になるんだぞ?自分では力になれないことなのか、自分には話せないほど何か悪い事態になっているんじゃないかって。少なくとも俺の知ってるセヴァは隠し事をされたら不安でしょうがなくなる奴だよ」

『心配させたくない』というこの子の気持ちを利用するような言い方に良心が痛むが、こうでも言わないとこの子はセヴァたちに話さないだろうし、ますます一人で抱え込んでしまいかねない。とにかく悩みを話せる相手、頼れる存在を増やしていかないと。

「セヴァは俺が魔法を使えるってことを最初に受け入れてくれたんだ。そばにいてくれた。セヴァならきっと大丈夫だよ」
 ポフポフと頭を撫で付けると、やがてレイジは覚悟を決めたように自身の手を強く握りこんだ。

「……話、してみる」
「分かった。それじゃあそろそろ帰るか。あんまり遅いと俺がセヴァに怒られる。手、繋ぐか?」

 自身の手を差し出すと行きの時とは違って、怖々といった様子ではあるもののレイジの小さな手が乗せられる。

 その手にあった冷たさは俺の手の熱でジワリと溶けていった。

 


レイジの過去話、幕間ともにこのあたりで!
ちなみに冷静になった後のレイジはこの出来事のことを『消し去りたい記憶』『弱みを見せた』と考えているようです。クルベスさんはそんなこと考えておらず、『何とか落ち着いてくれたようで良かった……』とホッとしています。
この続き『家族に話す』というのはまた後々。