08.融氷-2

 クルベスは自身の可愛い弟――セヴァからの相談を受けて、レイジと買い物に出かけた。

 普通に誘っても絶対についてきてくれないので「ルイの誕生日プレゼントを一緒に選んでくれないか」と言うと少し渋った様子を見せたものの了承してくれた。やっぱりルイが大好きなんだな。

 あの子は様子が変わった頃から自分の部屋にとじ込もるようになった、とセヴァから聞いた。それはあの子にとって『自分の部屋』が唯一の安息地ということを指している。そこにズカズカと踏み込んで、万が一あの子への対応を間違えてしまったら。あの子にとって『自分の部屋』は心安らげる場所ではなくなってしまう。
 とりあえず一歩ずつ、ゆっくりでいいからあの子に歩み寄っていこう。

 

「レイジ。今日は付き合ってくれてありがとな。おかげでルイも喜んでくれそうな物が選べた。さっすがお兄ちゃんだな」
 レイジはそれに「別にこれぐらい普通だし」と照れた様子で呟いた。
 どうやら一緒に遊ぶ時、ぬいぐるみを渡すととても喜ぶらしい。遊ぶのではなくてずっと抱きしめてるとか。そうやって抱きかかえたまま歩き回ろうとするので『転んでしまうんじゃないか』とヒヤヒヤしていたらしい。
 だから誕生日プレゼントはルイが片手で下げられる大きさのぬいぐるみを選んだ。いや、それすら両腕で抱えられたらどうしようもないけど。

「あ、なんか食べたい物とかあるか?一緒に選んでくれたお礼に何でも言っていいぞ」
『一緒に選んでくれたお礼』と付けないとこの子は遠慮して何も言わないからな。
 だがしかしレイジは「いらない」と断った。『ルイの誕生日プレゼントを選ぶ』という用事は終わってしまったがまだ時間はある。このまま帰るのはもったいない。レイジと二人きりで出かけたことはほとんど無かったし。

 

 街中の通りを歩く。休日なので人も多い。「はぐれたら大変だから手を繋ごう」と言ったが拒まれてしまった。「絶対はぐれないから」と言って譲らなかったのだ。

 無理に手は繋げない。その時のレイジの表情がセヴァから聞いていた通り、ひどく怯えていたから。
『何か』はあるのだがそれを言えずにいる。隠している。それは明白なのに、そこから先へは進めない。

「少し寄っていきたい所があるんだ。もうちょっとだけ付き合ってくれるか?」
 レイジに問うとコクリ、と小さく頷いた。

 

 

 街中にある緑地公園。様々な花が咲いている、のどかな場所。休日とあって家族連れが多かった。そこの一角にあるベンチに腰を下ろす。

「ここに来るのは久しぶりだなぁ。ここにはセヴァとよく来たんだよ。セヴァがお前くらい小さい時に一緒に遊んだ」
 自分が事故にあって、そのリハビリがてら身体を動かす遊びをしたっけ。まぁ流石にそこまでは話さないでおく。わざわざ空気を重くしたくはない。

「小さい頃のセヴァは俺の後ろをずーっとついてきて、俺がちょっと怪我すると大泣きしたんだぞ?想像つかないだろ」
 いや、そうなるのも無理ないけど……これも話せないな。なんで俺の話ってこんなに重い話ばっかりなんだ?
 もういっそのことティルジアの話でもするか。あの子はルイと同い年だし興味持ってくれるかも……いや、だめだろ。外であの子の名前を出すわけにはいかない。

 俺やセヴァの昔話なんて興味ないかと思ったがレイジは意外と聞いてくれた。三十路のおっさんが子どもに自分の昔話するって端から見たらすごい奇妙な構図だろうな。

 

 それにしてもこの子本当に綺麗な顔してんなぁ。見ていて心配になるぐらい整った容姿してる。セヴァは「母親譲りだ」と嬉しそうに言うが……しょぼくれてる顔とか好きな食べ物を前にした時の顔はセヴァに結構似てる。あとルイに見せてるような優しい表情も。可愛がっている弟――セヴァと似ているとあって、ずっと眺めていたくなる。

 その中でも笑顔が一番可愛いんだよなぁ。俺にはほとんど見せないけど。
 前に『ルイは可愛いなー』って話をしていた時、レイジに「お前の笑顔も好きだよ」と言った。それ以降、レイジは俺の前だと笑顔を隠すようになった。茹でダコみたいに真っ赤な顔をしながら「こっち見るな」と言われてしまう。

 多分ストレートに言いすぎた。あとでセヴァから「もうちょっと言い方考えて。レイジの初恋が兄さんになりかねないし、もしそんなことになったら兄さんでも許さないから」と注意されたぐらいだし。もう少し婉曲的に伝えるべきだったな。

 とはいえ先ほどの怯えた表情は異常だ。何かを無理やり抑え込んでるような雰囲気があった。まだ9歳の子どもにあんな表情させちゃいけない。

 

「レイジ、のど渇いてないか。なんか水でも――」
「いらない!!」

 突然の大声に面食らい、言葉を詰まらせてしまった。驚いて黙り込んだ俺にレイジはハッと息をのんで慌てて取り繕う。

「い……いま、のど渇いてないから……へいき」
 青ざめた顔でしどろもどろに言葉を紡ぐ。そのまま何故か体を寄せてきた。
 周りの人に俺が不審者と間違われないよう『自分たちは親しい間柄だ』とアピールしようとしているのだろうか。でもひどい顔色だからあまり意味をなさないと思う。

「……レイジ」
「何でもない……大丈夫だから……」
 まだ何も言っていないのにそう返すってことは『何でもある』だろうが。レイジはこちらが思っていた以上に深刻な状態だったようだ。
 レイジは居心地が悪そうにベンチを擦る。すると弾かれたように手を引いた。ささくれで引っ掻いてしまったのか、その指先には小さな赤い筋が走っていた。

「う……っ」
 今にも泣きそうな声で呻く。でもその原因は怪我による痛みだけではないのだろう。
 ここで使うのはちょっと気が引けるけど……レイジの気を逸らすにはこれしかない。

 

「レイジ。手、ちょっと見せてくれないか」
「……やだ」
 怪我をしている手を自分の胸元で握り、頑なに首を振る。
「怪我したんだろ。そのままにはできない」
「触るな。あ……そうじゃなくて……これぐらい、すぐ治る」
 触るな、なんて……レイジはそんなことを言う子じゃない。俺に対してやたらと冷たい態度は取るが本気で相手を傷つけてしまうような事はしない。それぐらいの分別はついている優しい子なのに。

「俺は医者だぞ?目の前で怪我してる子がいたら流石に放っておけない。ほら、手ぇ出して」
 何を言っても引き下がらない、と判断したのかレイジは恐る恐るその傷ついた手を差し出した。その小さな手は触れる前からカタカタと震えていたが、俺が触れるとさらにその震えが増す。

 なぁ、一体なにがあったんだ。なんでそんなに泣きそうな顔をしている。何を恐れているんだ。何がお前をそうさせたんだ。

 

「レイジ。ちょっと見てて。今からすっごいことするから」
 怖がらせないように笑顔でそう告げると、レイジは不安げに揺れていた瞳をその手に向けた。

 ひどく冷えきった手に意識を集中させ、普段めったに使うことのない力――治癒の魔術を行使する。
 するとその手にあった痛々しい切り傷がみるみるうちに消えていく。レイジはそれを唖然とした様子で見入っていた。

「どうだ。びっくりしたろ?実は俺、魔法が使えるんだよ。レイジも魔法って聞いたことあるだろ?俺は『ちっちゃな怪我なら治せる魔法』が使えるんだ」
 確かめるように傷があった場所を撫でる。うん、ちゃんと塞がってる。

「その力があるからお医者さんになれたんだろーって言われたりするから普段は使わないけどな。あとすっごい驚かれるし。ついでに言っておくとセヴァとララさんは知ってるぞ」
 人によっては気味の悪い目を向けてくるこの力。まぁでもレイジはそんな様子もなく、ただただ開いた口が塞がらないといった反応だ。実はめちゃくちゃ緊張してたのでホッとした。

 

「それ、魔法なの……?」
「うん。魔法には色んな種類があるんだ。お花を咲かせたり、物を動かしたり。あと俺が使える『怪我を治す力』はちょっと珍しいかな」
 ジャルアの『記憶に干渉する魔術』もかなり珍しい部類だが。まぁ例として挙げるならオーソドックスな物だけでいいだろう。

「……他には」
 お、食いついてきた。魔術のことは日常であまり知る機会がないからな。もしかしたら実物なんて初めて見たのかもしれない。
 俺も詳しいわけではないからざっくりとしか教えられないけど、レイジが俺に尋ねることってそんなにないのでちょっと嬉しい。
「俺の周りにはいないけど……火や水を操ったりする人もいるって聞いたな。見栄えもあって凄いらしいぞ」
 それこそサーカスみたいな感じになるとか。でも実用性は無さそうだな。強いて言うなら災害時に役立つか?

 

「氷は!?とつぜん、水を凍らせちゃうってことは!」
「ちょ、待て待て。どうした。そんな大きな声出さなくても……」
 身を乗り出して矢継ぎ早に叫ぶレイジにたじろいでしまう。

「無いの?凍らせる魔法は無いの?じゃあ俺どうしたらいいの、おれ……っ」
 ぼろぼろと深い青の瞳から涙がこぼれる。その雫はたちまち、白く凍りついて膝の上に散らばってゆく。

「なんで、なんで凍るの?俺が触ると水も汗も凍っちゃう、みんな、みんな凍って……どうしよう、お父さんもお母さんもルイも、みんな凍らせちゃったら……っ」
 ずっと抑えていたのだろう。小さな氷の粒はとどまる様子がない。それどころか必死に拭おうとする手の熱で溶けて、その肌表面に薄氷となって張り付いていった。

 

「レイジ」
 しゃくりあげる小さな体に呼び掛け、震える手を取る。刺すような冷たさが手に伝わったがそれを悟られないよう今一度その手を握りこんだ。

「大丈夫、ちょっと触ったぐらいで人は凍らないよ。その証拠に……ほら、凍ってないだろ」
「分かんない……っ、時間かかってるだけで……あとで凍るかも……」
 なおも手を引き、離すよう訴える。まぁレイジは賢い子なのでこれぐらいの説明では納得してくれないか。

「成人男性の場合の水分量は60%ほど。だとすると俺は約40kgの水分があるわけだ。それ全部を凍らせるのは難しいんじゃないか?」
 ものの見事にキョトンとした表情をする。混乱した頭に小難しいこと聞かせてもすぐに理解できるわけないもんな。でもこちらの狙い通り、気が逸れたみたいだ。

「つまりお前の体重より重いってこと。……涙、止まったな。落ち着いたか?」
 ひやりとした頬に触れ、その涙が止まったことに目を細める。ここまで泣くのは初めて見たな。

 


クルベスさんは普段のレイジの態度には何のダメージも受けてないです。仮に受けていたとしてもレイジにはそんな様子を見せない。