07.融氷-1

 いつもと同じように家族と過ごす休日。セヴァは2歳上の兄であるクルベスと他愛もない話をしたり、子どもと遊んだりするいつもと変わらない休日を過ごしていた。

 ルイももう2歳だ。今年で9歳になる上の子――レイジは最初はおっかなびっくりという様子だったけど今では一緒に遊んだり食事の時は積極的に口を拭いてあげたりと立派にお兄ちゃんしている。
 近頃は勉強を頑張っている姿も見られてちょっと聞いてみたところ「お兄ちゃんなのに勉強ができなかったら格好悪いから」と返ってきた。その姿が愛おしくて頭を撫でてあげると照れくさそうにしていた。『弟なんかいらない』などとふて腐れてしまったらどうしよう、と思っていたがその心配もなさそうだ。

 

 我が子の成長に感極まってしまいそうになる日々だが、その一方である問題に頭を悩ませている。レイジの今後が心配なのだ。
 ルイも妻のララに似て可愛らしい容姿をしているが、レイジも同様に綺麗な容姿をしている。父親としては嬉しくてしょうがないのだが……どうやら母親譲りのその顔はよからぬ輩を呼び寄せてしまうらしい。
 なるべく一人にしてしまわないよう送り迎えなどしているが何度か危ない目に遭っている。今のところ全て未遂で済んでるし心に傷を負った様子もないが……そもそもあの子は自分が危ない目にあうところだったって自覚はあるのかな。うーん、無さそう。

 兄さんから聞いた話だとこの間は見知らぬ人について行ってしまうところだったらしい。なんとか間一髪のところで止められたのは幸いだった。例によってレイジ本人は危ないところだったという自覚も無く、平然としている。
 どうやら相手は臨時に雇われた用務員だという。まさか学校の中でそんなことが起きるとは……まぁでも、これを機に学校側も衛兵を常駐させるみたいだし今後は同じようなことは起こらない……と思いたい。

 普段のレイジはほいほいと知らない人についていくような子じゃないのに今回はなぜ全く面識のない人間についていこうとしたのか。
 当時の状況をレイジが傷つくことのないように優しく聞いてみると『家族が事故にあったと連絡を受けて君を探していた。良ければ病院まで送っていくよ』と言われたらしい。焦ったあの子はそのままついていこうとして寸でのところで兄さんが止めに入った、という経緯だったそう。

 家族思いのあの子らしい理由だ。レイジには『もし同じようなことを言われても、まずは電話でも何でもいいから家族か兄さんに連絡を取ってみること』と言い聞かせた。

 

 このように普段から何かと心配になる子なのだが、最近どうも様子がおかしい。

 元からおしゃべりな子ではないのだが、ここ最近は全くと言っていいほど言葉を交わしてくれない。昨日なんか送り迎えで手を繋ごうとしたら凄まじい勢いで引っ込められてしまった。
 自分の物は触らせないようにするし、そもそも近づこうとしたら一定の距離を取られる。「何かあったの?」と聞いても口を閉ざしたまま。
 ――まるで何かを恐れているように。

 もしかしてこの間の出来事は事が起きてしまったあとだったのだろうか、とも考えた。しかしあの直後のレイジは普段通り『なんでそんなに慌てているの』と言いたげに首を傾げていた。いや、それはそれで心配だけど。

 様子がおかしくなったのはその数日後だ。
 でも自分にもララにも何も話そうとしてくれない。あんなに可愛がってたルイにすら近づこうとしない。
 万事休す、お手上げだ。
 そういうわけで申し訳なさを感じながらも、頼れる兄の手を借りることにした。

 

 

「レイジの様子がおかしい?」
「うん。ここ最近距離を取られるんだ」
 書斎での話し合い。兄さんは新たに現像した写真をアルバムに入れるのを止めて、自分を見つめた。
 ちなみにララはルイを見てくれていて、レイジは自分の部屋にこもってしまっている。近頃……様子が変になって以降、レイジは極力自分の部屋に閉じこもるようになってしまった。

「反抗期……じゃないか」
 兄さんは一旦、口には出してみたものの自分の顔を見てすぐさま取り下げる。
「違うと思う。何かに怯えてるように見えるんだ」
「怯えてる?でもこの間のは本当に大丈夫だったはずだろ」
 その問いかけに頷くと兄さんは「だよなぁ……」と口元に手を当てて考えだした。

 学校で危うく連れ去られる寸前だった日の夜、念のため一緒に風呂に入って体を見たが暴行の形跡などは見受けられなかった。少し悪ふざけのノリでくすぐったりしてみたけど、そのように体を触られることに強い抵抗を示すこともなく。(少々やりすぎてしまったようで、しばらくむくれていた)

 でも体に危害を与えられていないだけで心に傷を負ってしまった可能性も捨てきれない。もしかしたら心配させないよう巧妙に隠しているだけなのかも……もしそうだったらすぐにでもあの子の心に寄り添って支えてあげなければ。
 だけど本人は何も語ろうとしない。それどころか接触しようとすると怯えられてしまう始末だ。おそらくレイジは自身がそんな反応をしていることにすら気づいていないのだろう。

 

「俺やララにも話してくれないんだ。あの子の親なのに情けない話だけど……兄さんから何か相談にのってくれないかな」
 恐る恐る聞くと兄さんは「俺が?」と疑問の声をあげる。
「俺は別に大丈夫……ていうかレイジが俺なんかに話してくれるか?俺に対してやたらと冷たいぞ、あの子。……まぁ理由はおおむね察してるけど」
 それは端から見ても分かった。あの子は兄さんにだけ妙に素っ気ない態度を取る。俺やララにはそんなことしないのに兄さんにだけ。ルイが生まれてしばらくしてから始まった。

 弟や妹が出来ると『周りがそっちにばかり構って、自分のことを見てくれない』とひねくれてしまう子もいるらしい。
 だからレイジが寂しい思いをしないように俺もララも兄さんも学校の勉強を見たり、一緒にお出かけしたり等、レイジをないがしろにしないよう努めてきた。
 あの子が拗ねてしまうタイミングは今のところ兄さんがルイに構っている時かその直後。……多分、ルイが兄さんを慕っていることに嫉妬している。ルイが取られちゃうんじゃないかって不安なのかも。

 背の高い兄さんが『高い高ーい』ってやると、ルイはこの上なく喜ぶ。レイジにはルイが重くてできないのでその後はしばらく兄さんを見ようともしない。
 それをちょっと面白がった兄さんがわざわざ視界に入ろうとしてもすぐそっぽを向いてしまう。だけど兄さんが落ち込んだふりをしながら遠ざかるとレイジは途端にオロオロとした様子で「別に怒ってない」って言うので……そのやり取りはレイジには少し申し訳ないけど微笑ましい。

 

 結局のところレイジは兄さんのことを嫌っているわけではない。むしろ世間一般では慕っているほうにあたる。
 兄さんの仕事が忙しくてこっちに来られない日が続くと、レイジはすごく落ち着かない様子で歩き回ったりしている。『今日は忙しくて来られないみたい』と伝えると残念そうにして、来ないと分かっていても何度も窓の外を確認してるし。
 兄さんが来た時にはそんな態度は見せないものの、大変機嫌が良い。それも本人はうまく隠しているつもりだろうが、全く隠せていないし兄さんも気づいている。

 兄さんは頼れる大人って感じだからなぁ。自分の子どもがあんなに慕っているというのは父親としてちょっと嫉妬しちゃうけど、自分の兄が慕われていると思うとなんだか誇らしい気持ちになる。だって兄さんだもん。気持ちは分かる。

 

「家族だから言えることってあるけどその逆……家族だから言えないこともあるかもしれない。いや、兄さんもレイジにとっては家族みたいなものだけど……。とにかく不安なんだ。あの子はあんまり学校の子と遊ばない子だから、もしかすると一人で悩んでるのかも」
 兄さんの右手を握り、その顔を見上げる。
「少しでもあの子の悩みを聞き出せたらそれで十分だから。もし聞けなくてもそばにいるだけで落ち着いたりするかもしれないし……あの子の不安を取り除きたいんだ。だから兄さん、レイジとお話してくれないかな……?」
 すると兄さんは空いていた左手で頭を撫でてフッと笑う。

「弟のお願いを断るわけないだろ。わかった、できるだけ頑張ってみるよ」
 あえて『できるだけ』と付けたのはレイジのことを考えて――無理に聞き出すことはしない、という意味合いを込めて言ったのだろう。

 やっぱり兄さんは優しいし、そんな優しさに頼ってしまう自分が情けなく思えた。

 


『第二章(7)白雪の朋友-5』にてクルベスさんがちらりと触れた、レイジの魔法発現時のお話。
ちなみにこの時のティジとルイは2歳です。走ったりジャンプもできるようになって言葉も発達してくる時期。