聖夜にグラスを傾けて-後日談

「いやー、エスタ君。この間はごめんね。俺もちょっと浮かれちゃってペース間違えちゃった」
 聖なる日から一週間。王宮の廊下でエスタとバッタリ会ったエディは手を合わせて大袈裟に謝罪をした。

「いえ、俺も気をつけないとって思えるようになったんで大丈夫です」
「もしかして怒ってる?」
 エスタの反応が薄い。もしやわざと酔わせたのだと気付かれたのか。そういえば以前クルベスが『エスタは妙なところで察しがいい』とこぼしていた。だとすれば今回のことも勘付かれた可能性がある。
『しまった。もうちょっとうまくやるんだった』と全く反省していないエディにエスタは首を傾げた。

「怒ってませんよ?ていうか俺のほうこそ、すみません。この間の、俺なにかやらかしませんでしたか?最初のほうは覚えてるんですけど……いつのまにか寝ちゃってたみたいで」
 目が覚めた後クルベスからそう聞かされた、とエスタは己を恥じた様子で頬を掻く。
 どうやら面白半分で根掘り葉掘り聞き出したことは覚えていない様子にエディは安堵の息を吐く。同時に『レイジへの想いを洩らしたのも覚えてないかぁ……』と少々もどかしくなった。

「起きたらめちゃくちゃ頭が痛いし体もダルいしで……酒は飲んでも呑まれるなってこういうことなんだなって反省しました」
 ハハッと照れ笑いをするエスタの純粋さにエディは『ごめん。酔い潰れるまで飲ませたのも呑まれるよう仕向けたのも俺なんだ』と罪悪感に苛まれた。

「えーと、うん。今度からは適度に水を飲んだり何かつまみながら飲むといいよ。空腹だとアルコールをよく吸収しちゃうから」
 一般的な二日酔いの予防法にエスタは熱心に耳を傾ける。その真っ直ぐな視線にエディの良心が痛んだのは言うまでもない。

 

「あ、引き止めてしまってすみません。エディさん、もう帰るとこだったんじゃ……」
 エディは医務室やクルベスの私室の方角から来た。おそらく定期的におこなう情報共有ならびに経過観察を終えた後だろう。エスタの言葉にエディは「いや、大丈夫だよ」と手を振る。

「今日はエスタ君にも用があったんだ。用事っていうかエスタ君へのお詫びかな。このままだと『お酒って怖い』って思われちゃうかもしれないからそれを払拭しようと思って」
 この様子だとその心配もなさそうだが。だが一度やると決めたらやる。エディ・ジャベロンは有言実行の男なのだ。

「えーっと……さすがに今日は飲みませんから」
「大丈夫。エスタ君には飲ませないよ」
 少しばかり警戒の色を示すエスタにエディは含みのある言い方で返す。加えて妙に楽しげな表情。

「エスタ君、見たいって言ってたでしょ。あいつがぐでんぐでんになってるところ」
「まさか……」
 エスタの言葉に繋いで大仰に頷く。

「クルベス、ちゃんと酔わせた」

 ◆ ◆ ◆

「どうやって酔わせたのか聞きたそうだね。あいつは子どもたちの前では格好つけたがって隙とか見せないんだけど、俺とかジャルアの前ではけっこう気が緩むんだ。それを知っていればあとは難しくない」
 ちょっと手間は掛かるけど、と先を歩くエディは意気揚々と説明する。

「普通に酒飲ませて酔わせようとしてもダメだ。あいつは悪酔いしないよう自制できる奴だから。そこでジャルアに頼み込んだ。あいつ、ジャルアの頼みなら結構な無茶振りでも聞くからな。あとはジャルアにうまいことやってもらえば――」
 エスタは『国王相手になんてこと頼んでるんだ……』という言葉を堪えた。先を歩いていたエディはクルベスの私室のドアノブに手を掛け、エスタに視線を遣る。

「酔っ払いの出来上がりってわけ」
 開かれた先ではものの見事に酔いの回ったクルベスがいた。

 

「おかえり。無事会えたみたいで良かった」
 ジャルアは片手を上げて軽く挨拶を交わすと、エディは計画の成功を讃えるように自身の手と叩き合わせた。

「ありがとなー、ところでどうやって酔わせたの?」
「俺が色んな所から酒とか酒入りの菓子もらったことにした。俺は食えないから代わりに食ってほしいって」
 その手があったか、と得心したエディ。参考にするようだがこの手法はジャルアの協力無しには実行できないうえ、今後は多少なりとも警戒されるだろうから同じ手を使うのは難しいのではないか、とエスタは呆れた目で向けた。
 話題の中心人物であるクルベスはグラス片手に明後日の方向を見ている。普段の凜とした眼差しはどこへやら、クルベスは緩慢な動作で首を動かす。

「これは見事に酔ってますね」
『エディさん、あとでとんでもない目に遭うのでは』と懸念しているとクルベスの長い腕が伸び、エスタの頭を乱雑に撫で回した。

「うわゎ!え、いきなり何!?」
「お、始まった」
 驚くエスタを助けることなく、ニヤニヤとしたり顔で眺めるエディ。エディはこれから何が起こるか想定できているようだが、エスタはクルベスが酔うところなど初めて見るため『いったい何が始まったんだ』と不安に思いながらクルベスのされるがままでいる。

 クルベスはエスタの頭をひとしきり撫でたのち、ふわりと柔らかい笑みを浮かべて口を開いた。

 

「エスタ、お前は偉いな。苦手なことからも逃げずにちゃんと向き合って、ルイたちのことも気に掛けて……よく頑張ってる。お前の頑張り、俺はちゃんと見てるからな」
「うぉ……っ、なん……ですかコレ」
 真正面から褒められて気恥ずかしくなってしまったエスタはエディに問う。

「クルベスはな、酔うとめちゃくちゃ人の頭撫でたり、聞いてるこっちが胸焼けするレベルの甘ったるい言葉を吐き出すんだ。面白いだろ」
「なにそれ……新手の絡み酒?」
 二人が会話する間もクルベスは目尻を下げ「いい子いい子」とエスタの頭を撫でる。

「いつもありがとな。お前の頑張りや明るさに俺もすっごく助けられてる。明るくて優しくて頑張り屋さんなお前が大好きだ」
「すみません降参です。誰か止めてください」
 このままでは羞恥のあまり死ぬ、と両手を挙げて助けを求めた。そんなエスタに手を差し伸べることなくエディは「ギブアップするの早かったな」と傍観する。

 

「どうした。何か悩みがあるなら遠慮なく言っていいんだぞ。お前が目一杯甘えて寄りかかっても俺はちゃんと受け止めるからな」
「もう何も言わないでください……お酒って怖い……」
 クルベスが見せる微笑みと包容力にエスタは『クルベスさんに俺のハート盗まれちゃう……』と顔を覆い隠す。すると唐突に部屋の扉が開けられた。

「あれ、みんな何で集まって……うっ、これ何の匂い……?」
 ルイが顔を出したことに、それまでクルベスの痴態を面白がって見ていたエディとジャルアが震え上がる。

「ルイ君、いま一人?」
 エディは自身の動揺を悟られないよう柔和な表情でルイに問う。
「いえ、ティジも一緒ですけど――」
「じゃあ俺はティジと話があるから。あとは頼んだ」
 ジャルアはすっくと立ち上がり、ルイの後ろにいたティジを連れてその場から立ち去る。ティジは困惑していたもののジャルアと話ができると分かると嬉しそうに手を引かれていった。

 ティジがいることは悪いことではないのだが、このようにひどく酔った状態のクルベスと同席させるのは非常にまずい。クルベスがうっかり口を滑らせてしまえば、これまでの努力が水の泡になる。そのような悲劇は誰も望んでいない。

 

「弟くん、いまクルベスさんは忙しいんだ。何か用事があるならまた後で来たほうがいいよ」
 今の出来事で顔の火照りもすっかり冷めたエスタはルイを巻き込まないよう遠ざけようとする。
 ルイからすれば、何故か上機嫌なクルベスとそのクルベスに頭をクシャクシャに撫でられているエスタにもう少し詳細な説明を求めたくなるがグッと堪えた。
 とはいえ彼の伯父であるクルベスがルイの存在を見逃すはずもなく。

「ルイ、こっちにおいで」
「え?いいけど……ていうか何か変だけど、どうしたの」
「弟くん、今は近づかないほうが――」
 エスタが止める声もむなしく、ルイの体が引き寄せられ、クルベスの腕の中に抱き留められた。

 

「ルイはすごい子だな。まだこんなに小さいのに、いろんな悲しいことや苦しいことがあっても頑張れる、強くて優しい子」
「え、なに?クルベス何かあった?」
 クルベスは状況を把握できていないルイの髪を梳くように撫で付ける。

「そうやって他者のことを心配できる優しい心、みんなを心配させないように色々我慢してしまう強い心……それはルイの良いところだけど、俺は見ていて不安になるよ」
 目を伏せ、ルイの体をいま一度強くかき抱く。ようやくクルベスから解放されたエスタは止めて良いものか分からず、困り果てた様子でまごついていた。

「俺はルイに悲しい思いをさせたくない。ルイにはいつも笑ってほしい……幸せでいてほしいんだ」
 それが俺の願い、と呟く。

 

「……クルベス、ちょっと離して」
 耳まで赤くしたルイは控えめな声でクルベスを諭す。
「ルイ、不安なこととか我慢してることはないか?お前はセヴァやララさんに似てとっても綺麗だから心配なんだ。変な奴に嫌なことされたりしてないか」
「じゃあまず耳元で囁くのをやめて。くすぐったい」
 ルイは言っても聞かないと考えたのかクルベスの体を軽く叩く。ルイの訴えにもクルベスは微笑みで返す。

「そんなに恥ずかしがらなくても。大丈夫、伯父さんがずーっと一緒にいるからな。ルイ、愛してるよ」
 耐えきれなくなったのかかなり強めに押し返そうとするもクルベスはそれを物ともせず「大丈夫、大丈夫」とルイの背中をさすった。

 

「アレやべぇな」
「エディさんのせいでああなったんですよ」
 ティジ君はずしておいて正解だったわ……と呟くエディを責めるエスタ。そんな二人に構うことなくクルベスは愛を囁き続けた。

 ◆ ◆ ◆

「……もうお前きらい」
 クルベスは頭痛がするのか眉間を押さえながら、今回の件の発端であるエディにそう吐き捨てた。

 あれからルイを抱いたまま眠りについたクルベス。顔から火が出そうなほど赤面したルイをなんとか引き剥がし、ベッドに寝かせた(ルイは「なんか暑いんで外の風に当たってきます」とだけ言って退室した)
『酔ったら本当にすごかったな……』と考えたり普段はなかなか見る機会のないクルベスの寝顔を眺めたりしているとひどく気だるげな面持ちで目を覚まし、今に至るというわけだ。

 

「普段なかなか言えない反動ってやつか。ルイ君、顔まっかっかにしてたぞ」
 反省の色が見られないエディは腕組みをして茶化す。

 抱き締められているため逃げることも耳を塞ぐこともできず、ひたすら甘い言葉を聞かせられたルイ。それほど大事に思っているということなのだろうが思春期の男子には刺激が強い。あの様子ではしばらく引きずることになるだろう。とりあえず食事の席で顔を合わせられるかどうか。

「お前のこと、一生許さねえからな」
「ジャルアも快く協力してくれたけど」
 エスタが差し出した水を飲み下し、エディに鋭い眼光を向ける。

「今回の発案者はお前。ジャルアをそそのかしたのもお前。悪事を教唆したお前に全責任がある」
「おぉ、国家警備隊の刑事部捜査一課所属のエディ・ジャベロンさんにそんなこと言っちゃうわけか。そういう話題なら俺に分があるぞ」
 日々犯罪と向き合ってるからな、と自信満々に言ってのけるエディにクルベスは深いため息をついた。

 

「エスタ、こいつはこういう奴なんだ。もし何か嫌な目に遭わされたら遠慮なく言ってくれ。その時はこいつに心からの謝罪を引き出させる」
 クルベスは親指でエディを指し、冗談なのか本気なのか分からない声音でエスタに呼び掛ける。

「いや、そうならないことを願いますけど……エディさんもほどほどにしてくださいよ。俺、クルベスさんがマジギレするところなんて見たくないです」
「だーいじょうぶ。俺、そういう越えちゃいけない一線とか分かってるから」
 本当かなぁ……と不安そうに見つめるエスタに対して、エディは「伊達に付き合い長くねぇよ」と笑い飛ばした。

 


 しっちゃかめっちゃかしていたクリスマス回のその後。
 してやられても何だかんだで付き合いは続けているあたり、エディさんとクルベスさんの仲は良い。ジャルアさんも含めて、中等部から付き合いのある仲良し三人組です。

 ちなみに幕間(8)『融氷-2』でレイジへ告げた「お前の笑顔も好きだよ」発言に関して。あの時は素面です。お酒飲んでなくてもそういうこと言っちゃう時がある。