Schokolade 〜色取りどりのフリュイ〜

「おぉ、何かお洒落。ありがたく頂かせてもらいます」
 エスタがシックなブラウンの小箱を開けると、そこには小さなチョコレートバーが収められていた。エスタは贈り主であるレイジに礼を言ってチョコレートバーを一つ、口にする。サクサクと軽やかな食感が混じるプラリネを堪能しているエスタをレイジは満足げに微笑をたたえた。

「フィアンティーヌショコラっていうんだ。お前そういうの好きだろ」
「うん、好き。これ初めて食べたけど面白いな。フィ……えーっと、何だっけ」
 聞き返したエスタにレイジは箱に印字された文字列を指してもう一度読み上げる。

「フィアンティーヌショコラ」
「何かの呪文?アイス少なめクリーム増し増しのキャラメルソース追加みたいな」
 エスタが「せっかくだからどうぞ」とフィアンティーヌショコラを一つ差し出すと、レイジはその手からショコラを受け取って咀嚼する。
 その様子にエスタは内心「さすがに『はい、あーん』はダメだったか……」と思うも、それを口に出そうものならレイジから軽蔑の目を向けられかねないので黙っておいた。

「クリームがどうたらは知らないけど……フィアンティーヌっていうのがクレープ生地を薄く焼いて細かく砕いた物。それをチョコに混ぜて固めた物がコレ」
 レイジの説明をエスタは「めちゃくちゃ凝ってるな」と何となく納得した素振りで相槌を打つ。
 それはそうと『クリーム増し増し』という文言に首を傾げているあたり、レイジはカフェでドリンクを注文したことがないのか。今度誘ってみるのもいいかもしれない。

 

 さて、いま自分たちは何をしているのかというと、今日も今日とてレイジの家でお勉強会なのである。だが今回はいつもの勉強会とは一味違う。
 来たる今日は2月14日――日頃の感謝を伝え合う『感謝の日』だ。それにあやかってお互いに菓子を贈りあっているのだ。

 レイジとエスタは初めて会った時から学年も一つ上がって、二人とも14歳になった。(正確に言うとレイジは「もうすぐ14歳」だが)
 今春から中等部の最高学年になるが相変わらず勉強が苦手なままな自分が見放されることも無く、この緩い関係が続いていることにエスタは感謝を抱くと共に小さな幸せを感じていた。

 

「それじゃあ俺から。大いに期待しながら開けてくれたまえ」
 レイジはエスタのおふざけを華麗に無視して、手渡された長方形の箱を開ける。
 中には赤やオレンジ、黄色に緑などの色とりどりなボール状のチョコレートが収められており、さながら宝石箱のように輝くソレにレイジの瞳が一瞬輝いた。

「なんとこちらは、って食うのはやっ!」
 エスタがチョコレートの説明をしようとする前にレイジは一粒つまんで口の中に放り込んでしまう。黙々と味わうレイジをエスタは静かに見守る。
「……イチゴの味がする」
「うん、赤いのを食べたからね。これは……えーっと、フルーツのゼリーみたいな物をチョコレートで包んだんだって。イチゴの他にもオレンジとかレモン、シトロンって何だ?まぁとりあえず何かいろいろ入ってる。見た目がお洒落で味も美味しいチョコレートです。さてレイジ審査員、こちらはご満足いただけたでしょうかっ!」
「あぁ、美味しい。これならルイも気に入るだろうな」
 レイジの口から感想の次に弟の名前が出てきたことは気にしない。むしろエスタは『あの弟大好き超絶ブラコン兄貴のことだ。弟くんにも分けるに違いない』と想定した上でこの菓子を選んだのだ。去年もマンディアンを美味しそうに食べていたし、おそらく喜んで食べてくれるだろう。
 ところで『ルイも』ということはレイジ自身も気に入ったと受け取って良いのだろうか。

 

 去年は当日に持っていくのを忘れたり危うく(いたいけな思春期男子の心をもてあそぶ悪辣非道な)詐欺に引っかかるところだったりと散々だった。だが今年はそのような問題も起きずにちゃんと当日に渡すことができた。
 お気に召した様子で他の味のチョコレートを口にするレイジを見て、エスタはホッと胸を撫で下ろした。

「ん、これナッツか」
「そうそう。色んな物が入ってて良いでしょ」
 無邪気にチョコレートを堪能しているレイジの様子にエスタの表情も緩む。
 互いに貰ったチョコレートを食べながら雑談に興じていると、途中から(お気に入りのクマのぬいぐるみを抱いた)ルイも輪に入ってきた。チョコレートを分け与えるとこれまた美味しそうに食べてくれるのでレイジは満面の笑みでルイにチョコレートを与える。

 そんな朗らかな時間を過ごしていた三人だったが、しばらくするとレイジが「さて」とチョコレートの箱を閉じた。

 

「それじゃあそろそろ勉強始めるか」
「うっ……お願いします」
 エスタは億劫な手つきで自身のカバンから問題集を取り出す。「このために今日来たんだろ」と喝を入れたレイジだったが、ふとエスタが持ってきた問題集に重ねられていた文庫本に目を留める。

「意外だな。お前、本とか読まないタイプだろ」
「おっと、そういう決めつけって良くないよ。俺もさすがに傷ついちゃう」
 レイジの物言いにエスタ泣き真似をする。わざとらしく演じたのだが、ルイが「エっちゃん、泣かないで」と本気で心配してしまったのでエスタは「冗談だよー」と明るく振る舞ってみせた。

 

「これは初等部で友達だった奴から貰ったんだよ。そいつのそのまた友達が文学部に入ってるらしく。その文学部の先輩達の卒業記念に、部員みんなでお話を書いて本にしたんだって。でもちょっと作りすぎたから『お前にもやる』って渡された感じ。興味あるなら読んでみる?」
 それを「大変だな」と話半分に聞いていたレイジは文庫本を開いてパラパラと流し読む。

「短編小説みたいになってるのか。中も普通の本と遜色無いし、カバーもつけるって凄いこだわりようだな」
「俺もそう思った。まぁ俺もまだちゃんと読めていないんだけどね」
 いたく感心したレイジは「読んでやれよ」と呆れ顔を見せる。とはいえエスタも全く読んでいない、というわけではないのだ。普段から読書する習慣が無いため、なかなか読むタイミングが見つからないだけで。

 

「エッちゃんのお友達がこれ作ったの?すごぉい!作家さんみた、ひっ――!」
 レイジと一緒に本を眺めていたルイだったがあるページを見ると突如、身を引いて声にならない悲鳴を上げた。
「弟くんどうしたの?え、ちょっと何?レイジもどうした?」
 突然レイジが手にしていた本をこちらに押し付けてきた。「そんなふうに扱っちゃダメだろ」と紙が折れ曲がっていないか確認すると――

「うわっ……何これ」
 そこにはある挿絵が。おそらくホラー物の短編も収録されていたのだろう。鬱蒼とした森の中に女性が仰向けに転がっている場面が描かれていた。
 やけに現実味のある緻密な描写で表現されている女性の虚ろな表情は見ていると不安な気持ちになる上、人によっては恐怖を感じるだろう。そこにきてエスタはようやく『これは子どもには刺激が強いのではないか?』と気づいた。

 

「弟くん、ごめん。ちょっとビックリさせちゃったね。先にちゃんと確認しておけば良かっ――」
 急いで本を仕舞ってルイに顔を向ける。
 硬く強張った表情でキュッと唇を引き結んでいたルイだったが、次の瞬間その瞳からポロポロと大粒の涙が溢れ出した。

「弟くん!?ごめんね!怖かったね!こんな物を見せて本当にごめん!俺が先にちゃんと読んでいたら、うわゎっ!?」
 しゃくりあげながら泣き続けるルイに謝罪を重ねていたエスタ。レイジはそんなエスタの胸ぐらを鬼の形相で掴み上げた。

「てめぇ、どういうつもりだ」
「ごめんなさい!!わざとじゃないんです!弟くんを泣かせるつもりなんてこれっぽっちも無かったんです!!」
 恐ろしく低い声で凄むレイジに必死に弁解をするも襟を掴む手はギリギリと音が鳴りそうなほど力が強まっていく。

 

「お前にそのつもりが無くとも、いま、ルイは、泣いてんだぞ」
「それについては俺の確認不足のせいです……本当にごめんなさいぃ……」
 詰め寄るレイジに謝り倒しながらルイの様子を窺う。今にも流血沙汰に発展させそうなレイジの様に、泣きじゃくっていたルイはハッと顔を上げた。

「ぼく、っ、だいじょぶ……だから……ひぐっ、ちょっとビックリ、しただけ……」
 ルイはこちらを気遣って「大丈夫」と強がってくれているものの、体を小さく縮こまらせて涙を流し続ける。その反応はたとえ言葉にしていなくとも『すごく怖かった』と全身で表していること他ならなかった。

「どう落とし前つけんだ」
「ど、どうしましょう……」
 さながら裏社会を牛耳る首領のような殺気を当てられたエスタは目を泳がせる。
 家族のことを第一に考えるレイジの怒りは収まらない。自分がルイを泣かせたのは紛れもない事実であるため、これ以上はどうしようも出来そうにない。
『このまま窓から放り出されても文句言えないな』とエスタが覚悟を決めると、胸ぐらを掴んでいたレイジの袖を小さな手が引っ張った。

 

「喧嘩……しないで……」
「ルイ……。でもルイを泣かせたんだぞ?」
 レイジの言葉にルイはプルプルと首を横に振る。
「エっちゃんは悪くないもん……ぼくがビックリしちゃっただけ……」
 それよりも、とレイジの顔を見上げる。
「お兄ちゃんとエっちゃんが喧嘩するほうが嫌だ……なかよく、してほしいよ……っ」
 ルイは絞り出すような声で自身の気持ちを訴えると涙の勢いが増す。さらに泣き始めてしまったルイにレイジは困り果てた様子でエスタの襟から手を離した。

「ぼく、怒ってないのに……それなのに、どうしてお兄ちゃんとエっちゃんが喧嘩しちゃうの……?」
「だ、だけどお兄ちゃんはルイが一番大切だから……ルイを泣かせた奴は許せないよ」
 慰めるようにルイの頭を撫でていたレイジ。だがしかし、レイジの発言を聞いたルイは何かに思い至った様子で瞬きをする。

「……ぼくのせいで、喧嘩してる……?」
 ルイの呟きにレイジはサァッと顔を青ざめた。
「違う!ルイは何も悪くない!ただ、お兄ちゃんが――」
 レイジが慌てて言い繕うも「うっ」とルイの表情が悲しみに染まる。

 

「やだ……お兄ちゃんたちが仲良くしてくれないと、ぼく嫌だよぉ……っ!」
 ワッと本格的に泣き始めるルイにレイジは慌ててエスタの手を握った。

「ルイ!ほら見て!仲良し!お兄ちゃんたち仲直りしたよ!だから大丈夫!」
 なんとか泣き止ませようとレイジは必死に仲良しアピールをする。突然の行動にエスタは面食らいながらもコクコクと頷く。
「本当に……?お兄ちゃん、エっちゃんのこと怒ってない?」
 ルイの問いかけにレイジはグッと押し黙る。さすがに許すことまではできないようだ。その気持ちを汲み取ったルイは「やっぱりぼくのせいで……」と顔をクシャリと歪める。
 そこへすかさずレイジに手を握られたままのエスタがルイに頭を下げた。

「俺がウッカリしていたから弟くんを驚かせてしまいました。弟くん、本当にごめんなさい」
 突然の謝罪にルイは目を丸くするも「……ううん、大丈夫だよ」と声を掛ける。エスタは「怖い思いさせてごめんね」とルイに今一度謝ると、続いてレイジのほうに向き直った。

「レイジさん。俺の不注意により弟くんには大変つらい思いをさせてしまいました。俺が言えた立場ではないですが、どうかお許しいただけませんか」
 慣れない敬語で謝るエスタにレイジはムッと顔をしかめたまま口を開く。

 

「もう二度とルイを泣かせないって誓えるか」
「誓います。ですのでレイジ兄さん。どうかお許し願えないでしょうか」
 平身低頭で許しを乞うエスタ。それを見定めるように暫し睨みつけていたレイジはやがて渋々といった様子で大きなため息をついた。
「今回は許す。……今回だけだぞ」
 仲直りした、とルイに分かりやすく示すため今一度互いの手を握る。その時のレイジの目は『次は無いからな』と静かに語っていた。

「……兄さん」
 人知れずエスタの発言を反芻するルイ。
 この出来事がきっかけでレイジを『兄さん』と呼ぶようになるとは。この時のレイジは知る由も無い。

 


『Teobroma ~マンディアンを摘まみながら~』から一年後のお話。Schokoladeとはドイツ語でチョコレートのこと。フリュイ(fruit)はフランス語でフルーツ。

 レイジとエスタがお互いに贈ったチョコレートにはモデルとなるお菓子があります。(ご興味・ご関心があったら是非とも調べてください。チョコレートは良いぞ)

◆レイジ
 小さめのチョコレートバー。その中にはアーモンドなどのプラリネとストロベリー、それらにフィアンティーヌも入っているサクサク食感のチョコレート。
 猫の舌の形をしたチョコレートが有名なところが作っている物がモデル。猫の舌みたいな形のチョコレートはルイもとても気に入ってるチョコレートです。

◆エスタ
 様々なフルーツで出来たパート・ド・フリュイ(エスタが『ゼリーみたいな物』と語っていたやつ)がチョコレートで覆われた、丸っこいおおきめのチョコレートボール。見た目が賑やかで色々な味も楽しめるチョコレートです。
 フランソワでデュッセなところが作ってる物がモデル。

 ここでレイジの伯父さんことクルベスさんから一言。
「二人とも『友達に贈る物』にしては気合い入りすぎじゃないか……?」
 とどのつまり似た物同士ってことですね。