泡沫の夢 - 1/6

 今日は休日。去年の夏頃から通い始めた学校も休みである。
 皆で朝食の席に着き、会話に花を咲かせる……のがいつもの流れなのだが、今日は珍しくティジの姿が無かった。
 いつも朝食ではしっかり目を覚ましてルイたちに元気よく挨拶をするティジ。そんな彼がいないことを心配し、ルイはいの一番にティジの元へと向かう。

 

「なにもクルベスまでついてくること無かったのに」
 隣りを歩くクルベスにわざわざ言うのは、先ほど朝食の席で眠そうにしていたルイに「ルイはほーんと朝に弱いなー」とからかってきたのを根に持っているのだろう。
「いや、もしかしたら体調崩して起き上がれない可能性もあるしな」
 まぁそんなことは滅多に無いのだが。クルベスが(まだむくれている様子の)ルイを微笑ましい目で見ているうちに、あっという間にティジの部屋へと辿り着いた。

 コンコンと軽くノックをするも返事は無し。『もしかして入れ違いになったか……?』と思いながら扉を開けると部屋に鎮座するベッドが小さく膨らんでいるのが見えた。どうやら眠っているらしい。

「ティジ起きろー。朝だぞー」
 お寝坊さんめ、とクルベスは小さく丸まっている毛布を剥がして起床を促す……とそこには目を疑う光景があった。

 

「ん……あさ……?」
 窓から射し込む朝日に目を開ける。その中にはどう見ても16歳には見えない――幼児姿のティジがいた。

「……は?」
 クルベスは目の前の事象を理解できず、毛布を持ったまま固まる。ルイに至っては驚きのあまり声も出ていない。

「あれぇ……クーさん、どうしたの……?」
 まだ寝ぼけている様子の(おそらく)ティジは絶句するクルベスに小首を傾げる。するとティジはクシュンと小さなくしゃみをした。
「服おっきい……?なんでだろ」
 その言葉どおり、ティジの服はブカブカで手足は完全に隠れてしまっていた。

 

「ティジ?え、何があった?何で小さくなってんの?」
 そう聞いてもティジの反応は鈍い。その様子に『もしや』と思ったクルベス。あまりに荒唐無稽な考えに到達する。

「……ティルジア?」
「なぁに?」
 略称ではない呼び名を口にするとようやくティジは返事をした。これはもしかすると……もしかするかもしれない。

「ティルジア。いま何歳?」
「6歳。どうしたのクーさん。なんか変だよ」
 変なのはお前だ、という言葉はギリギリのところで飲み込んだ。

「……今日は何月何日かな」
「6月のー……えっと……」
「うん、分かった。もう大丈夫。じゃあちょっとジャルアのところに行こうか」
 それだけ言うとクルベスは有無を言わさずティジを抱き上げる。
「ルイはここで待機」
「え、俺も一緒に……」
「待機」
 唖然としていたルイにまるで犬に『待て』をするように命じる。
 その命令に異論しかないルイであったがクルベスの気迫に圧されてしまい、その場に一人残されることとなった。

 ◆ ◆ ◆

「へ、へー……。何言ってんのか全く分かんない」
「俺も同感。何が起きたのかさっぱり分からん」
 とりあえずティジを抱えてジャルアの元へと一直線に走ったクルベス。(道中、ジャルアに『お前の部屋で話がしたい』と連絡済み)
 ティジを椅子に座らせて経緯……というより自身が目にしたことを説明した。付け加えるとジャルアの顔を見たティジは大変嬉しそうに「お父さん!」と声を上げた。

「つまりアレか。ティジを起こしに行ったらそこには6歳の時の姿になってるティジがいたってわけか。……お前もなかなか手の込んだ冗談言えるんだな」
「お願いだから現実を見てくれ。こんなの俺ひとりじゃ受け止めきれない」
 その現実が訳のわからないことになっているのだが……とジャルアは小さなティジに視線を向ける。
 当の本人はその体には大きすぎる椅子に腰掛けてジャルアとクルベスの応酬を上機嫌に観察しているのがまた対照的だ。
 それを横目にジャルアは「しかも」と顔をしかめる。

 

「時期がお前……何でよりによってほぼ『直前』なんだよ……」
「わっかんねぇよ……!そんなの俺のほうが知りてぇわ……!」
「じぃじとお母さんは?」
 突然割り込んできた質問に頭を抱えていたジャルアとクルベスは思わず「え」と声を揃えて聞き返す。

「じぃじとお母さんはどこ?」
 ティジの純粋な瞳に二人は顔を見合わせる。
 そうだ。ティジが6歳の時にはこの子の祖父も母親も存命だった。でも二人とも今はもう……。

「あのなティジ。今日、父上とユリアは用事があって……今日中には帰るのは難しそうなんだ。ごめんな」
 いまのこの子に現状を説明しても理解はできないだろうし、余計に混乱させることになるだろう。その場しのぎの嘘だったが、ティジが疑うことはなかった。

 

「ていうか本当にこの子はティジなのか?実は姿がよく似た子どもって可能性は……」
「じゃあ何か聞いてみてくれ。この子じゃないと答えられないようなこと。あ、あとティジって呼び方だと反応しないぞ」
 クルベスの注意にジャルアはあからさまに表情を曇らせる。

「ティルジア。この間クルベスと一緒にお話してたお兄さんのお名前って覚えてるか?確か『魔法を見せてくれた』って言ってた……」
「レイジさんのこと?」
「あぁ、そうだった。ティルジアはやっぱり物覚えがいいな。すごいぞー」
 めいっぱい褒めながら頭を撫でるとティジは得意げに笑う。そろりとクルベスに向けたジャルアの表情は『まじで6歳のティジじゃねぇか』と語っていた。

 

「クーさん、ぼくお外行きたい」
 褒められて笑顔が絶えないティジは、突如ハッと何かを思い出した様子でクルベスに聞く。
「ダメだ。今日はジャルアも俺も忙しいからお家で過ごしなさい」
「衛兵さんと一緒なら?それだったら良い?」
「今日は、おうちで、大人しくしてなさい」
 有無を言わさないクルベスにティジは「むぅー」とむくれる。ここまで食い下がるのは珍しい。まぁ好奇心旺盛かつ外への関心が最大限の頃なのだから無理もないか。

「ねぇクーさん。さっきクーさんと一緒にいた、レイジさんに似てる人。あの人だぁれ?」
 意外としっかり周りの状況を見ていたことには今更驚かない。この子は小さい頃からよく人を見ている子だ。

「あー……あの人は俺の親戚の子。ティルジア、一つお願いなんだけど、あの人の前でレイジの名前は出さないでほしいんだ」
 クルベスのお願いにティジは「何で?」と聞き返す。

「あの人はー……レイジのことを知らないから。いきなり自分の知らない人と似てるって言われても困っちゃうだけだぞ」
 もちろん真っ赤な嘘。
 でも以前ルイに話した説明ではティジは7歳の時――祖父の葬儀の際にレイジと対面したことがある、と言ってしまっている。それなのに6歳のティジの口からレイジの名が出ればルイは疑問に思うだろう。
 仮にティジが無事に元の姿に戻った時に「もっと昔にレイジと会ったことがあるのか」と聞いてしまったら、もう誤魔化しようがない。

 この子のためとはいえ、嘘が雪だるま式に膨らんでいる現状に後ろめたい気持ちがないわけでは無かった。