泡沫の夢 - 2/6

「というわけでルイ。今日一日、この子のことを頼んだ」
「いや、待って。そんな急に言われても困る」
 クルベスの頼みにルイは珍しく『待った』をかけた。ルイにはあらかた説明はしたのだがやはりそれとこれとは話が別。

「こうなった原因を調べる必要があるんだが……その際に本来の年齢である16歳の身体情報との比較もする必要があるんだ。でもそれを今のこの子に見られたら説明できない。その事態を避けるためにそばについていてほしい」
 必死に理由を話すクルベスは長身を屈めて手を合わせる。ちなみにジャルアは本日も公務に追われている。国王に休日など無いのだ。

「あとこの状態で出歩かれると他の衛兵とかも混乱する。だから今日一日、極力この場にとどめておいてくれないか……!」
「それは分かるけど……俺のことはなんて説明すんの」
 後生だから、と頼まれたルイは大人しくベッドに座って待っているティジを見やる。
「お前は俺の親戚の子って説明してる。それで納得もしてくれた」
 納得するんだ……という言葉は飲み込んだ。実際ルイはクルベスの弟の子どもなので当たらずとも遠からず、といったことになるので良いだろう。

 

「えっと、ティジ……じゃない、ティルジアくん。はじめまして、ルイです。仲良くしてくれると嬉しいな」
 手を差し出すとティジは躊躇する様子もなくルイの手を握り返した。クルベスの親戚と聞いて、ある程度警戒は解いているのだろう。(そもそもティジが人見知りをすることなど滅多にない)

「ルイさんって何歳なの?」
「16歳だよ」
 このティジからすると10歳も離れている、という認識になるか。『俺と兄さんは7歳離れだったけど、それ以上か』としみじみとしていると、それを聞いたティジは目を輝かせた。

「すごい!じゃあルイお兄ちゃんだ!」
「ン゛ぐふ……ッ!!」
「おっと、弟くんから聞いたことのない声が」
 突然の『お兄ちゃん』呼びに悶絶するルイ。そんな彼を休日出勤のエスタが茶化した。

 口元を押さえてうずくまるルイ。それを目にしたクルベスは『そういえばルイは兄はいたが幼い子どもと関わった経験はなかったか』と思い至る。
 誕生日もティジのほうが先であることに加えて、ティジ本人が非常にしっかりしているため誰かに甘えたり頼ったりすることもほとんど無かった。

 そこへ不意打ちの『お兄ちゃん』呼び。そのような対応に慣れていないこともあるのだろうが、もしかすると恋焦がれている人物からそう呼ばれたことへの衝撃もあるのかもしれない。
 いちおうティジには「ルイさんって呼んであげて」と告げておく。じゃないと呼ばれるたびにルイが行動不能になってしまう。

 

「休日だっていうのにすまんな」
「いえいえ、俺もすっごい気になって来たんで大丈夫です。ご注文の品はお揃いでしょーか」
 エスタは軽口を叩きながらクルベスに頼まれていた品物――子ども用の衣服一式を手渡す。言わずもがなティジの着替えである。
 特に取り立てて特別な点もない、よくあるズボンとパーカー。それをティジはいそいそと着替え始めた。(ちなみにその間ルイは目を逸らしていた。律儀である)

「ルイさん、お着替え終わったよー」
 着替え終わったティジはパーカーのフードを被る。服のサイズも申し分ないようだ。
「それじゃあティルジア。俺はこれから仕事があるから。ルイと一緒に良い子にしてるんだぞ」
 エスタにはなるべくこの近辺に人が立ち寄らないよう見張っていてもらうよう頼み、クルベスは今回の不可解な現象を解明するべく走り去った。

 

 かくして残された二人。ティジからすればルイは全くの初対面。そしてルイから見てもこのような年の離れた小さな子どもの相手をしたことが無かったのでどう過ごしたら良いものか分からない。

『自分がこの歳の頃は何をして過ごしていただろうか』と思案するルイ。真っ先に思い当たるものといえば兄に魔法を見せてもらったり絵本を読んでもらったこと。あとはお気に入りのクマのぬいぐるみ相手に一人で遊んだりもしたか。

「ティルジアくんは何かしたいことってあるかな」
「うーん……ぼくは何でもいいよ!ルイさんは?」
 困った。大変に困った。まさかこちらに判断を委ねられるとは思っていなかったので、ルイは頭をフル回転させて『何をしたら喜ぶか』と考える。
 それにしてもこんなに小さいのに『ぼくは何でもいいよ』と言うとは……もしやこの頃から自分より他者のことを優先して考えるような気遣い屋さんだったのだろうか。……いや、さすがに考えすぎか。

 

「それじゃあ一緒に本でも読もうか。何がいいかな」
 ティジといえば本。書庫に新刊が入荷したと聞きつければすぐさま確認しに行く本の虫だ。ティジはどうやらこの頃から読書に関心はあったらしく、部屋の本棚へと近づくルイの後を意気揚々と追いかけた。

「あんまり難しい本じゃないほうがいいか。それなら……」
 ルイは本棚に収められている書籍の中から目についた物――草花図鑑の背表紙に指を掛ける。それを横で見ていたティジが「あ」と声をあげた。

「ぼく、物語が読みたい!あの……男の子が冒険するお話!」
「ん?分かった。……あ、でもその本ここには無いな」
「たぶん書庫にはあると思う!ぼく、あのお話がすっごく読みたい!ね、一緒に行こっ!」
 ルイの腕を引いて「早く早く!」と急かす。確か出会ったばかりの頃のティジも「僕の一番好きな本」と言っていた。よほど気に入っているのだろう。だがその提案を飲むことはできない。

 

「ティルジアくん。あのね、今日はみんな忙しいらしいからここで過ごしておいてほしいんだ。だから書庫に行くのはちょっと難しくて」
 第一、書庫に常駐している司書が現在のティジの姿を見れば十中八九、説明を求められる。周囲への混乱を防ぐためにも元の状態に戻るまではあまり動き回らないほうがいい。

「それならぼく、ここで良い子にして待ってる!だからルイさん、あのお話取ってきてほしいなぁ……だめ?」
 上目遣いで首をコテリと揺らす。その仕草にルイは危うく「可愛いぃ……!」とまたも悶絶しそうになったがギリギリ持ち堪えた。

「それじゃあ行ってくるけど……俺が戻ってくるまでちゃんと待ってるんだよ。戻ってきた時にいなくなっちゃってたら俺もみんなも心配であちこち走り回っちゃうからね」
 それにティジは「分かった!」と元気よくお返事をした。