書庫とティジの自室の往復を終えて戻って来たルイ。自分がいない間もティジはちゃんと大人しく待っていたことにホッと息をつく。
書庫から持ち出した本を読み聞かせていると小さなティジは熱心に聞き入っていた。この頃からこの物語が好きだったのだろう。フードの隙間から見える顔も何だか楽しそうだ。
そこでふと普段とは違う点に気づく。
「ティルジアくん。お部屋のなか、寒い?」
ルイが問うとティジは「ううん。大丈夫だよ」と首を振り『なぜそんなことを聞くのだろう』といった目を向けた。
「そっか。いや、ずっとフード被ってるからもしかしたら寒いのを我慢しているのかなーって」
この服装に着替えてからティジはずっとフードを被っている。室内だというのに。しかも少しずれてきたらすぐさま直している。
それを疑問に思ったルイと目が合うと、ティジは申し訳なさそうに目を泳がせた。
「……嫌な気持ちにさせてたならごめんなさい」
「謝ることなんてないよ。俺は嫌な気持ちになんてなってないんだから」
そう言ってもティジはキュッとフードの端を握ってますます顔を隠す。
「えっと……こうしちゃうのは……ぼく、ぼくね……色んな人の目が怖くて……とっても、とっても怖くて……」
ティジはしどろもどろになりながらも懸命に自身の思いを明かす。
「みんな、きっとぼくのこと変な子って思ってるんじゃないか……とか考えちゃうんだ。だからこうやってフードを被っていて……で、でもちゃんとお話はできるから!お顔見えないのも嫌だったら、ぼく頑張って取るから……!」
「いや、無理して取らなくてもいいよ。ティルジアくんのしたいほうで大丈夫だから」
何と返したら良いか内心頭を悩ませているルイを見てティジはますます顔を青くする。
「ご、ごめんなさい……ぼく変なこと言っちゃって……こんなこと突然言われても困っちゃうだけなのに……」
それきりティジは瞳を潤ませてひどく怯えた表情で俯いてしまう。
そこでルイはようやく何故こんなにも怯えられてしまうのか気がついた。
そうだ。この6歳のティジは自分と一切面識がない。
クルベスから「今日一日、一緒にいること」と言われたのでこうして一緒に過ごしているものの、知り合ってからまだ半日も経っていない初対面の人間の視線はこの子にとって相当なストレスになるだろう。
重い空気がその場を満たす。この子の不安や怯えを減らすには何と声を掛けたら良い?
その時、ティジと出会ったばかりの頃のある出来事を思い出した。
「ティルジアくん。きみは変じゃないよ」
ルイの告げた言葉にティジは「え」と顔を上げる。
「光が当たるとキラキラ輝くこの髪も、お日さまみたいに暖かい瞳も変なんかじゃない。俺は好きだよ」
昔は言えていたけれど、成長するにつれて気恥ずかしさが勝ってしまって伝えられなくなった思い。
それを素直に口にするとティジは暫しのあいだ唖然としていたが、ルイがお世辞で言っているのではないと理解すると嬉しそうにはにかんだ。
「ルイさんも……リエさんと同じこと言ってくれるんだね」
頬を染めながら呟かれたソレは開けっぱなしの窓から吹き抜ける風の音に紛れてしまい、ルイの耳には届かなかった。
「ありがとうルイさん。そう言ってくれて、ぼくすっごく嬉しい!」
フードの影からのぞくその顔は向日葵のように明るい、満面の笑みであった。
◆ ◆ ◆
「あー……なんっっにも分からん!イレギュラーにイレギュラーを重ねるなよ……!」
ティジとルイが親交を深めている一方、クルベスは今回の珍事を解明すべく孤軍奮闘していた。
ルイにティジを預ける前に「いつもの健康診断」と称して、小さくなったティジからいくらか血液を採取させてもらった。
その分析結果を元に、『今回の現象はどういう原理で発生したのか』また『どうやったら元の姿に戻るのか』を調査しようとしているのだが、これといった収穫は無い。
手にしていた書類を机の上に投げ出して椅子の背もたれに体を預けるクルベス。完全にお手上げ状態だ。いっそのこと寝て目を覚ましたら全部夢でしたー、とかだったらどれだけ良いか。
「大変そうだなー」
「あぁ、めちゃくちゃ大変。お前何でいるの?」
当然のように部屋に侵入している国家警備隊所属(ならびに友人でもある)のエディ・ジャベロンに問いかける。
「そんな言い方はねぇだろ。今日はいつものお話し合いの日。このためにわざわざ来てやったっていうのに」
文句をたれるエディにクルベスは「そうだった」と合点する。本日は定期的におこなっている情報共有の日だ。朝からあまりに予想外なことが起きてしまい、すっかり忘れていた。
「ふーん。ティジくん、ちっちゃくなったんだ」
「おい待て。それ誰から聞いた」
慌てて体を起こすクルベスにエディは「ん」と机の上を指差す。その先には自分が先ほど放った書類の山が。
「ダメだぞー。重要書類をほったらかしにしちゃあ」
「ならお前も勝手に見るなよ」
エディに見当違いな文句をぶつけながらもクルベスは書類を片付ける。いや、そもそもエディに声を掛けられた時点で片付けなかった自分にも非があるけども。
「もうダメ元で聞くけど、お前は何でこんなことが起きたか分かるか」
「うーん、俺は魔術とかそういうのは専門外だからなぁ。さっぱり分からん」
クルベスの質問に肩をすくめて答えるエディ。身体に直接影響を及ぼすような特異事例なのだから十中八九ティジの保有する魔力ないしは魔術が関係しているのだろうが「せめて考える素振りぐらいは見せろ」と言いたくなる。
「一つ聞いていい?……あの子、記憶のほうはどんな感じ?」
「……6歳の6月」
それを聞くとエディは「ふむ」と腕を組んだ。
「やめろよ」
「俺まだ何も言ってないんだけど」
「お前の考えてることなんざ分かるわ」
仕事に関しては一切妥協しない友人に釘を刺すと、当の本人はおかしそうに笑った。
「さっすが30年来の友人。で、ティジくんはどこ?」
「会わせるわけねぇだろ」
ピシャリと要求を突っぱねるもエディは引き下がらない。
「でもこんなチャンスは二度と無いじゃん?ちょーっとお話するだけだからさ。もしかしたらあの子自身は自覚が無くても、何かされてた可能性もあるかもしれないし。それで余罪が見つかればお前も万々歳。ほら、良いことしかない」
「だとしてもさすがに看過できない。もし元に戻った後で今回の出来事を覚えていたらどうする。そしたらこれまでの努力が全部水の泡だぞ」
「その言い分も分かるけどさー……」
なかなか往生際の悪いエディ。こちらはこの会話がティジやルイに聞かれてないか肝を冷やしているというのに。
「お前があの子に何かしてやりたいって思ってくれてるのも分かってる。でもアレはもう起きた事なんだ。……もう起きて、終わったことなんだよ。いまさら俺たちが行動して何か変わる物でもない」
クルベスは目を伏せてエディに告げる。
過去に戻れたら。何度もそう願った。でも現実はそうはいかない。
「そうだな。悪い、俺もムキになってた……ん?」
エディが何かに気がついた様子で明後日の方角へ顔を向ける。
「どうした」
「いま人の気配がしたような……あ、おい。こんな所にもまた重要そうな書類が置きっぱなし。しかも窓も開いてるし」
疲れてんのは分かるけど無用心にもほどがあるだろ、と呆れた声で投げかけるエディ。クルベスは『そこまで疲れてたのか……?』と思いながらエディが見つけた書類を手に取った。
「……これ俺の物じゃねぇぞ」
「え、違うの?」