菓子と悪戯 - 1/2

 エディ・ジャベロン。国家警備隊の刑事部捜査一課に所属しており、仕事に忙殺されている日々を送っている。

 10月末日。本日非番の彼は、この数年間ですっかり通いなれた王宮と衛兵の詰所を繋ぐ通路を歩いていた。そこへふと、ポテポテとこちらへ向かってくる小さな子どもに目を留める。相手もこちらの存在に気がついたようだ。

「こんにちは、ティジ君」
「こんにちは……?あ!この間クーさんにすっごい怒られてた、えーっと……」
「あー……うん。クルベスにすっごく怒られてたエディ・ジャベロンです。格好悪いとこ見られちゃったな」
 大きな本を抱えた齢8歳の子ども――ティジの発言に苦笑しながら、目線を合わせやすいように身を屈める。
 ティジの言う『この間すっごい怒られてた』とは、先日この子の前で不用意な発言をしたことへの処罰だ。あれは足や背骨が折れるかと思った。医者のやる所業ではない。
 とはいえ諸々の事情を考えれば、あそこまで憤慨するのも当然だ。ティジが元気そうにしていることを確認して、つい気が緩んでしまったのだろう。

 

「エディさん。今日はどうしたの?」
 ティジは大きな本を持ち直しながら小首を傾げる。
「クルベスとお話しようかなって。ティジ君はこれからどこ行くの?」
「書庫!本を返しにいくんだ」
 ティジは元気はつらつに言うが、こちらに書庫は無いはず。しかしその目は嘘をついているようにも見えないので、この子は『こちらに書庫がある』と信じて疑わないようだ。

 以前どこかで聞いた話を思い出す。迷子というものは、迷っている本人は『自分はいま迷子になっている』という自覚も無く、自信満々で間違った道を進んでいくとか。
 軽く挨拶だけして別れようと思っていたが、これは放っておけない。

「ティジ君。お願いがあるんだけど、ちょっとクルベスのところまで案内してほしいんだ。自分一人で行けるか不安で……いいかな?」
 両手を合わせてお願いすると、ティジは「いいよ!」と快く了承してくれた。とりあえず迷子の保護はできたことにエディはホッと息をついた。

 ◆ ◆ ◆

 ティジの話によると朝食時、クルベスは姿を見せなかったらしい。ティジと同い年のルイもいなかったことから、おそらくまだ部屋で眠っているのではないかと。
「医者なのに、昼前まで眠りこけるなんて」と呆れ笑いながらクルベスの私室を訪ねる。そこには案の定、呑気に寝ている旧友がいた。その腕の中ではクルベスの甥であるルイも。

 扉を開けた音に反応することもなく、ルイを抱いて眠るクルベスにエディは小さく笑う。
 だがしかしルイを含む、彼の弟家族が襲撃された件を目の当たりにした身としては、ここまで警戒心無く眠っている様子に安堵したのも事実だ。

 当時のクルベスは病室でルイに付き添っていた際、些細な物音にも神経を尖らせていた。『自分が守らなければ』という強迫観念に苛まれている姿は、見ていて心を痛んだ。
 一般の病棟とは違い、この王宮の警備は厳重だ。この場所だからこそクルベスも安心して眠ることができるのだろう。ルイも安らかな寝顔で身を寄せている。
 だが悪いがこちらも暇ではない。エディは心を鬼にして無駄に背の高い寝坊助を叩き起こすことにした。

 

「おーい、起きろ。菓子よこせ。さもなきゃイタズラするぞ」
 この時期特有の決まり文句と共にクルベスの脇腹をつつく。突然の攻撃にクルベスは「うぐっ」と呻き声を出して、不機嫌そうにエディを睨み付けた。
「……んだよ。しばくぞ」
 大層なご挨拶。今にも舌打ちしそうな勢いで吐き捨てた旧友の脇をつつき続けていると「やめろ」と言いながら手首を掴まれた。

「ルイが起きたらどうすんだ。じゃんけんの手で殴るぞ」
「何それ」
「グーは握りこぶし。チョキは目潰しでパーは平手打ち」
「俺の知ってるじゃんけんと違うなぁ」
 手を握りながら律儀に説明するクルベスから念のため距離をとる。小さい子の前で物騒なことを言うのはどうかと思う。
 そんな馬鹿話をしているとルイが「ふに……」と子猫のような声を漏らしながら目を覚ました。とりあえず顔面のガードを固めておこう。

 

「ルイ。おはよう」
 クルベスのモーニングコールにルイは「おはよう……」と返事をするが、クルベスに体を擦り寄せて再び夢の中へ戻ろうとする。それを「ほら起きて」と優しい声で頬を撫でる。こちらの存在などまるで眼中にない。

「相変わらずだなー……てかもう昼だぞ」
 起こす気など全く感じられないクルベスに今の時間を告げると、眼鏡を掛けていない鋭い眼光がこちらを向いた。
「……嘘だろ?」
「俺がそんなしょうもない嘘をつく奴に見えるか?」
 こちらが冗談で言ったことに「見える」と返す旧友。『そうか、見えるか。ふざけんなよ』という言葉が喉まで出かかるも何とか飲み込んだ。

「ルイ、おはよ。もうお昼だよ」
 扉の影で良い子にして待っていたティジがルイに駆け寄る。ティジの声を聞き、ルイは目元を擦りながら起き上がった。
「おひる……」
「うん。起きて一緒にご飯たべよう」
 まだ寝ぼけているようだがルイはこくりと頷き、ティジに手を引かれて顔を洗いに行った。二人の仲が窺えて微笑ましい。

 

「あー……くそっ。やらかした。昼まで寝るとか……」
 額に手を当て、大きなため息をつくクルベス。子どもたちの前では決してしない言葉遣い。学生時代はこのような物言いだったため、こちらとしてはこっちのほうが安心する。

「で、菓子あんの?無いなら遠慮無くイタズラするぞ」
「お前そんなイベントに乗り気なタイプじゃねぇだろ」
 生意気な旧友を懲らしめることのできる絶好の機会を逃す自分ではない。と、思っていたのだが脇にあった引き出しからキャンディを投げ渡した。準備のいい旧友を憎らしく思いながら片手でキャッチする。

「イタズラって何するつもりだったんだ」
 クルベスは慣れた手つきで眼鏡を掛けると先ほどの発言への疑問を投げ掛ける。
「学生時代のお前の様子をルイ君に話す」
「まじでやめろ。言ったら本気で殴るからな」
 低い声で国家警備隊の人間を脅す度胸にはほとほと感心させられる。とはいえ、聞かせていい話と良くない話の違いぐらいは分かっている。それを上手いこと避けて話すつもりだ。

 こちらとしては、顔を合わせる度にクルベスの昔話を聞きたそうにしているルイの期待に、少しは応えてあげたいのだ。この生意気な旧友が気恥ずかしそうにするところを見たい、という気持ちも多少はあるが。