「レイジ、今から出かけるから準備して」
暦は二月。まだ起きたばかりのため、少々寒さを感じながらリビングに行ったレイジ。起き抜け早々に父――セヴァにそう言われ、レイジは思わず「え」と声をあげた。見ると母も慌ただしく準備をしている。(ルイも一度起こされたようだが再びソファで眠りについていた)
両親ともに何やらバタバタと忙しない。学校は今日は休みだ。レイジが『今日って何かあったっけ……』とまだ少し寝ぼけた頭で考えていると、セヴァは学校の制服を手渡しながら口を開いた。
「前の国王だったサフィオさん。レイジも何回か会ったことあると思うけど……。その人がね、昨日の夜に亡くなったって」
さっき兄さんから連絡が来たんだ、とセヴァが呟いた。
◆ ◆ ◆
長いこと訪れていなかった王宮へと足を踏み入れる。最後にここを訪れたのは確か……中等部に入った年の六月だったっけ。じゃああれからもう一年以上経っているのか。
城の中も慌ただしい。先代国王が亡くなったのだから当然か。ここには魔術や護身術の特訓でよく訪れていたが……再び足を踏み入れる理由がまさか葬儀だなんて。
先代国王――サフィオ・ユゥ・レリリアンは俺も何度か関わったことがある。それこそ俺が扱う『凍結』の魔術では大変お世話になった。
俺は数えるほどしかサフィオおじいさんと交流していないけれど……それでも時折見せる茶目っけのある言動や人柄の良さに『この人はきっと色々な人から好かれているのだろうな』と思わせられて。
かく言う俺も彼には敬愛の念を抱いていた。そんな人が亡くなったなんて。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
ルイの声にハッと我に返る。無意識のうちに手に力が入っていたらしい。手を繋いでいたルイがこちらを見上げていた。
「今日は寒いなぁって思って。ルイは寒くないか?」
「うん。お兄ちゃんと手ぇ繋いでるから寒くないよ!」
天真爛漫な笑顔を見せて応えるルイ。元気な返答にレイジは「それなら良かった」と微笑み、前方を歩く両親の後についていく。
城の中はおそらくある程度は室温も調整されているはず。それなのに何故か体が冷えていた。ふと前方を歩いている母がこちらを振り返る。すると腕に掛けて持っていたコートを羽織らせてくれた。
「え、なに。どうしたの」
「こうしてたら少しは温まるかなって」
もしかしたら母にはさっきの会話が聞こえていたのかもしれない。
「いや、これ母さんのでしょ。それにもう城の中だからコートは脱いでたほうが良いと思うんだけど」
「大丈夫大丈夫。そこまで気にしなくていいの。風邪引くほうが大変なんだから。もし気になるんだったらクルベスさんに会う時に脱いどいたら良いんじゃない?」
適当な言い方に「えぇ……」と洩らすも、寒いと思っていたことは事実だったので母のコートを羽織ったままにしておく。
たった一枚羽織っただけだというのに体の内側から冷える感覚が幾分かマシになった気がした。
あれから無事にクルベスと合流してこの後の流れを話し合った。いや、正確に言うとクルベスと両親が話し合っている様子をルイと一緒に見ていただけだが。
サフィオおじいさんと俺の祖父(つまり父さんとクルベスの父親)は兄弟だった。父さんも王族とも少なからず関係がある立場として今回の葬儀では色々とやる事があるのだとか。
これから葬儀まで忙しくなるのだが十四歳の俺と七歳のルイ、要するにただの子どもである自分たちには特に手伝える事がない。そういうわけでとりあえずクルベスの私室で大人しく待っているように言われたのだ。
初めて訪れる場所にルイも少し緊張している様子。二人並んでソファに座っているのだがピタリと体をくっつけてくる。
おそらくだがルイは今の状況をよく分かっていない。それもそうか。まだ七歳の子どもに『人の死』を理解することは難しい。ましてや全く関わりのない人物だとすると。
だが周囲が妙に硬い表情をして忙しなく動いていれば、幼な子でもその雰囲気に当てられて緊張が伝わってしまうらしい。
小さな肩を抱いてあやすようにトントンと優しく叩く。そうしていると扉がガチャリと開き、そこからクルベスがヌッと長身を覗かせた。
「ごめんな。退屈だろ」
「別に。むしろ俺だけこうしてジッとしていていいのか?俺でも手伝える事があるなら……」
片手にマグカップを二つ持ち、もう片方の手で扉を閉めるクルベスにそう言うと「いや、大丈夫」と返された。
「レイジはもう十分してくれてるよ。ルイのことを見ていてくれている。お兄ちゃんにしかできないすんごい大事な役目なんだからな」
コトッと二つのマグカップを目の前のテーブルに置く。
「ココア。温かいぞ」
ルイは喜んでマグカップを受け取り、ココアに口をつける。その様子を『火傷してしまわないか』と恐々と見守っていたが、ルイはそのまま美味しそうにココアを飲んだ。
おそらくクルベスは『ルイならばすぐに飲もうとするはず』と予想し、少し冷ましてから持ってきてくれたのだろう。こんな時でもこういう細かな気遣いが出来る。クルベスはそういう男なのだ。
ルイにならって自分もココアを口にする。ココアの優しい甘さと熱が体を内側から温めて、それに思わずほっと息を吐いた。
それにしても今日は寒い。ココアを飲んだから少しは落ち着いたが、朝からずっと『二月だから』という理由では片付けられない変な寒気に襲われている。
もしかすると母が懸念していた通り、風邪を引いてしまったのだろうか。でも喉の不調や頭痛、倦怠感などの風邪の諸症状は全くない。寒気も背筋を這い上がるような気持ちの悪いものではなく、体の内側や手指の末端が冷えているという状態だ。
正体が掴めないその寒気が不快で、気を紛らわそうと自分の腕をさする。
それを見ていたクルベスは隣りの部屋(開いた扉からベッドが見えたのでもしかしたらあいつの寝室かもしれない)から毛布を持ってくると、ふわりと俺とルイに掛けた。
「ここでジッとしてるのも暇だろ。あとで本も持ってくるから。あぁ、あともし調子悪かったらすぐに言ってくれよ」
「……風邪、じゃないと思うんだけど……なんか寒い」
それを聞くとクルベスはサッと俺の前に膝をついて体温を測り、目が潤んでいないか、喉が腫れていないかなどを手早く確認する。医者らしく慣れた様子の診察に『風邪じゃないって言ってんだし別にそこまで確認しなくても……』と思いながらされるがままにした。
一通り確認を終えると一呼吸置いてクルベスは突然何も言わずに頭を撫でてきた。その意味不明な行動に目をぱちくりとしていた俺にクルベスは言葉を紡ぐ。
「とりあえず風邪じゃない。寒さの原因は……ストレスかな。強いストレスがかかると体温が下がることがあるんだ。それかもしれないな」
強いストレス。その文言に思い当たる節はあった。
今まさに直面している状況――サフィオおじいさんの死だ。
それが原因かもしれないと思うと途端に胸のあたりにどこか穴が空いたみたいにスッポリと何かが抜けてしまったような感覚に気がつく。
いや、ずっとその感覚はあったのかもしれない。指摘されてようやく自覚できたのだろうか。
頭を撫でていたクルベスの手が俺の後頭部へと回り、その肩口へと引き寄せた。そして俺の頭を引き寄せたクルベスの腕がそのまま背中に下りると、先ほど俺がルイにしたのと同じようにポンポンと俺の背中を優しく叩く。その様子を見ていたルイが「ぼくも」と言わんばかりに俺とクルベスに抱きついた。
「ルイも一緒にするか?いいぞ。みんなでギューってしてたら温かいもんな」
そう柔らかな声でルイに笑いかけるのが聞こえた。『聞こえた』といったのはその表情を見ることができなかったからだ。
ルイに見られてしまわないように。
ルイを不安にさせないように。
クルベスなんかにこんな情けない姿は見せたくなくて。
次から次へと溢れ出す涙を隠そうと、声を押し殺して目の前の大きな肩に顔を擦り寄せるので精一杯だった。
今回の時期はティジたちが七歳の二月。幕間(5)『束の間の休息-5』にて言及があった、ティジの祖父サフィオおじいさんの葬儀での出来事。
ルイたち家族が襲撃される事件はこの三ヶ月後のことです。