「というわけで許可は何とか取れました!一緒に慰安旅行に行きませんか!」
「エスタさん。失礼かもしれないですけど順番がおかしくないですか。普通こっちに聞いてから許可取るってものじゃ……」
さながら一世一代の告白みたいに頭を下げてお願いしたが、弟くんに(珍しく)冷たい返しをされてしまった。でも正論だ。ぐぅの音も出ない事実であることが悔しくて苦し紛れに「ぐぅ……っ」とだけ返した。
「警備問題もありますし……ていうかそもそも遠出したことないんですよ?それなのに泊まりで行くって少し無理がありますって」
「まぁちょっと急かなーとは思ったんだけど……色々あったからみんなには少し羽伸ばしてもらいたいくて。これが他所の国だったら流石に『待った』が出たけど、いちおう国内だし何かあった時に帰れなくはない距離だからってことで大目に見てもらったの」
気まずくなり頬をかきながら弁明する。
実際のところ申請書には『来週から現国王の御子息と彼の御親族が復学するにあたり、試験的に遠方に外出することで改めて問題点を洗い出す』というそれっぽい名目を書いて提出した。それをそのまま伝えてもいいけど、そうすると弟くんたちが変に緊張しちゃうかもしれないので黙っておいた。
「俺と……クルベスさんが一緒だから大丈夫。折角の機会なんだからさ、みんなで楽しく行っちゃおうよ」
先ほどからティジ君も行きたそうに目を輝かせてるし。『行きたい!』と口にしないのは皆に遠慮しているのだろう。
ティジ君は『これがしたい』など自身の望みを口に出すことは滅多にない。以前ティジ君に「もうちょっと我が儘とか言っていいんだよ。どーんと任せて大丈夫」と言ったら「自分がそんなこと言ったら周りに気を遣わせちゃうから」と眉をへたらせて笑っていた。
でも本心としては行きたくてしょうがない様子。すっごいソワソワしてるもの。
「弟くんも旅行とかしたこと無いんじゃない?良い機会だしさ、サクラちゃんみたいに外への見聞を深めちゃおうよ」
ティジ君の双子の妹のサクラちゃんは現在留学している。本人が希望したためだ。喜び勇んで意気揚々と出掛けていった。
まぁあの子が行っているのは友好関係のある国の警備も厳重なお嬢様学校だし側仕えも同行している(表向きは寮の管理補佐を勤めるかたち)ので大丈夫だろう。心配することのないよう、父であるジャルアさんに毎日連絡を入れているらしいし。
「何かあったらって不安なんだろ。でも……エスタが警備の許可も取れたって言ってるなら良いんじゃないか」
俺の名前を呼ぶ時、少し言い淀んだクルベスさんの言葉に押されるように弟くんは「じゃあ折角なんで……」と了承してくれた。
クルベスさんからは若干遠慮の色が見られるし、俺も気まずくてクルベスさんの目は見られないままだ。この旅行で何とか改善したいなぁ。
移動は汽車。駅を行き交う人々や車内販売に興味津々なティジ君は見ていて微笑ましい。今だけは一国の王子という立場を忘れて年相応の16歳の子どもらしく過ごしてほしいな。
「ルイ、ちょっと待て。今は窓開けるな」
窓に手を掛けた弟くんをクルベスさんが止める。何とはなしに窓を開けてみようと思ったらしい。その様子から弟くんも内心ウキウキしているのだとうかがえた。ティジ君と同様、見ていて癒される。
『でも何で止めるんだ?』と思っていたら丁度トンネルに差し掛かった。
「トンネルの中で窓を開けると煙が入ってくるんだ。車内がえらいことになる」
いやそれはさすがに言い過ぎだけど……確実に全員咳き込むことになるのでまぁ訂正はしないでおく。ちなみに自分が学生の頃に家族で旅行へ行った際に俺も同じことをやった。どうなったかは察してほしい。
席順としてはボックス席の窓側にティジ君と弟くんが向かい合わせで座り、ティジ君の隣にクルベスさん、弟くんの隣に俺が座っている。子どもたちに景色を見せてあげようと考えたため、この席順になったのだ。
クルベスさんと向かい合わせなのはいささか気まずいが……隣でもそれは変わらないので、弟くんたちとこれからの予定を話すなどして過ごした。
喧騒に包まれた観光街。わりと名の知れた行楽地のようでまぁまぁ人が多い。先頭を手を繋いで歩くティジ君と弟くんを見ていると、かつてレイジと過ごした何でもない日々を思い出して胸が少し痛くなった。
「悪いな。折角誘ってくれたのに気まずい思いさせて」
唐突にクルベスさんの声が飛んでくる。全くの不意打ちだったので一瞬聞き逃してしまうところだった。
「いや俺から強引に誘ったんですし。むしろ応じてくれて俺のほうが感謝感激雨あられってやつですよ」
「あの二人のことを気遣って誘ってくれたんだろ。でも発案者であるお前が一番気を遣うってのは申し訳が立たない」
クルベスさんはばつが悪そうにこちらを見つめた。
これはもしかして、もしかすると……クルベスさんのほうから歩み寄ってくれようとしている?
『ならば今しかない』と自分を奮い立たせクルベスさんに向き直る。こんな街中で言うのは想定していなかったがこのチャンスを逃すわけにはいかない。
「クルベスさん。この間の――」
「ちょっと待ってくれ。二人はどこだ?」
その問いかけに「え」と声をあげ、辺りを見回した。
「ルイ、あっちのほうに古書店がある!ちょっとだけ寄って、あ!あんなところに花屋さんも……!」
「あんまり引っ張るなって。人も多いんだから万が一はぐれたら見つけられるか分からないんだぞ」
ティジは初めて訪れる場所にもっぱら関心が尽きない様子。すぐに脇道に逸れようとするので一応手を繋いでいるが不安でしょうがない(付け加えるとティジが書店や図書館に寄る場合『ちょっとだけ』では済まない)
せめてこの手を離さないようにといつもよりしっかり手を握る。決してやましい気持ちは無いのだが、その温かな体温に少し緊張してしまう。……手、汗ばんでないかな。
実際、クルベスとエスタさんがギクシャクしているのは気づいていた。おそらく兄さんのことが関係しているのだろう。
兄さんがああなったのは自分のせいだ。それならあの二人が気まずくなってるのも……いや、だめだ。考えすぎるな。俺が落ち込んだ様子なんて見せたらそれこそあの二人の気をわずらわせてしまう。折角誘ってくれたのだから楽しい思い出にしてもらいたい。
「ルイ。あのお店、ぬいぐるみが売ってるよ。見てみない?」
先ほどまで自身の興味を引くものに目を奪われていたティジが立ち止まり、遠慮がちに腕を引く。もしかして気を遣わせてしまったのだろうか。
「いや、あんまり勝手に動くのも良くないから大丈夫。それより――」
クルベスたちのことを置いてきぼりにしていないか、と言う前に腕を掴まれる。
自身の腕を掴んだのは見知らぬ男だった。
「……何ですか」
突然の不躾な行いにこちらも冷たい声で凄む。思ったよりも強い力で掴まれているのか、びくともしない。そして品定めをするかのようにジロジロと無遠慮に視線を這わす。
なめ回すようなジットリとした目つきに鳥肌が立つも『せめてティジに危害が及ぶことがないようにしないと』とティジを背中で隠すように立ち塞がった。
やがて男は何か得心したかのように頷くと一気に引き寄せてきた。突然のことにバランスを崩してしまい、ティジと繋いでいた手が離れる。道の端を歩いていたため、そのまま建物と建物の間の細い路地に引きずり込まれた。
「なに、なんだよ!離せ!人呼ぶぞ!」
その間も必死に腕を振りほどこうとするも、うんともすんともいわない。
それを助けようとするティジの肩を背後から別の男が掴む。――仲間がいたのか。
「うわ、すっごい見た目」
もう一人の男は恐る恐る振り返るティジの顔を覗き込み、フードに手を差し入れてその頬に触れた。ティジは混乱しているのか硬直してしまっている。
自身の容姿を気にしているティジに向かって、そんなことを吐き捨てた男にこれ以上にないほどの怒りがこみ上げてくる。それと同時に湧き上がった『はやく助けないと』という自分の心の声に反して、何故か体が思うように動かなかった。
そうこうしている間に壁に押さえつけられ、自身の脚の間に目の前の男の脚が割り入る。一気に血の気が引くと共にその手が服へと伸びるも指先ひとつ動かせない。
「やめ――」
恐怖と嫌悪感に小さく声を漏らすと次の瞬間、目の前の男の体が吹っ飛んだ。
呆気にとられている俺を見慣れた背中が――クルベスが自身を守るかのように立っていた。
「失せろ」
倒れる男の顔を掠めるように地面を踏みつけ、端的に呟く。クルベスの気迫に男は仲間と共に一目散に逃げ出していくのを見るとすぐさまこちらを振り返った。
「ルイ、大丈夫。危ない奴はどっか行ったから」
地面にへたりこんでいた俺を撫でながら、優しい声で語りかける。心配させないように「平気」だと言えたら良かったのに言葉が出てこない。
『こんなことで』と自身を情けなく思いながらティジを見やる。ティジのほうにはどうやらエスタさんがついているようだ。
「大丈夫。大丈夫だよ。もう怖くないからね」
エスタはしきりに呟きながら小さく震えるティジをそっと抱き締めた。
背中を擦られているティジはまだ状況を飲み込めていない様子で呆然としていた。
勝手に離れてしまった自分たちを責めることもなく二人はそばにいてくれた。それから「よーし、気を取り直して行こう!」とエスタさんの明るい号令に引かれるように観光を再開する。
最初は塞ぎ込んでいたティジも、率先して特産品や土産の菓子などを見せてくるエスタさんにつられるようにして普段の調子を取り戻していった。
ギクシャクした雰囲気が漂う旅行、いよいよスタート!
何とかして解消できないかと孤軍奮闘するエスタさん。今までクルベスさんと衝突したことは無かったのでなかなか難航しているようです。