07.境目-2

 先日から体調を崩していたティジ。ここ数日は学校を休んでしまっていた彼だが、今ではすっかり熱も下がり、さらに言えば昼頃にはクルベスからも「今日一日だけ様子を見て、問題無ければ学校に復帰できるな」とお墨付きをいただいた。

 クルベスの言葉に思わず舞い上がってしまいそうだ。だがここで気を抜いて風邪をぶり返してしまったら元も子もない。そんなことになればルイを心配させてしまう上、確実にクルベスから怒られる。
 油断しない。今日は大人しく過ごそう。ティジはそう自分に言い聞かせて、はやる気持ちを抑えていた。

 

 とは言え、平常時と大差ない状態にまで回復していたティジは暇を持て余していた。だが調子付いて城の中を散策しようものならクルベスに強制的に連れ戻されるだろう。でもただボンヤリとベッドで寝転がるだけというのもこの数日で散々したのでとっくの昔に飽きている。

 そうだ。良い機会だから自室に置いてある本でも読み返してみようか。普段は城内にある書庫や外の図書館に収蔵されている本を借りて読んでいるが、たまには自分の部屋にある本を読むのも良いだろう。

 そう考えつくとティジは部屋に鎮座している本棚へと歩み寄る。整然と並ぶ背表紙に視線を巡らせ、やがて一冊の本を取り出した。

 それは以前、王室教師から貰い受けた西の国の魔術についてまとめられた本だった。貰ってすぐにひと通り読んではいたが、学校の勉強や学園祭の準備などで忙しくなり、しっかりと読み込めてはいなかったのだ。

 

 自分は元より魔術に関心があるからか、この本の内容は至極興味を掻き立てられる。
 当時は魔術という存在が全くと言っていいほど認知されていなかった事や、それゆえに魔術に対する考え方が現代とは全く異なっていた事。
 どの話も関心が尽きないが、その中でも一際強く興味を惹かれる話があった。ある領主の子どもたちの話だ。

 当時は魔術が扱えるというだけでも大変珍しかったのだが、領主の子どもたちの中でも長男と次男は魔術を扱えたらしい。
 扱えた魔術の詳細は記載されていない。どれも真実味に欠ける眉唾物の話しか残っておらず、魔術を扱っているところを実際に目にした人間はごく一部しかいなかったからだ。

 だがうわさ程度の話の中でも、一つだけ共通して伝わっている事があった。
 それは兄弟が扱う魔術は脅威的な力だったということ。特に長男の魔術を目にした者はその恐ろしさゆえに口に出す事すらためらったのだとか。

 長男はその力を利用して、利用されて……平穏とは程遠い生涯を送った、という記載にティジは心を痛めた。

 

 もし自分がその時代に生きていたら、どうしていただろうか。何か助けられたのではないだろうか。

 ……いや、そもそも人前に出ることすら難しいか。
 今ですら、この他とは違う容姿によって嫌でも人目を引いている。それに加えて現代でも二種類の魔術を扱える者は滅多にいないというのに、それを超える数の魔術を使うことができるとあったら。
 少なくとも普通の人は良い目を向けないだろう。

 

『ティルジア。君は他のやつとは違うんだ』

 

「っ、ぅ」
 頭にジリっと焼けるような痛みが走る。
 やはりまだ風邪が治りきっていないのだろう。食堂で感じたものと似た、耐え難い頭痛に呻き声を漏らした。

 やだな、この感じ。……他の本でも読もう。

 ティジは開いていた本をひとまず脇に置き、再び本棚に向かう。そうして普段はあまり手を伸ばさない、大判本や図鑑が収められている最下段に視線を滑らせた。

 こういう時は深く考え込んだりしない本が良い。そう思って、右から数えて二番目の本――草花図鑑を引き出した。
 この本には一般的な花はおおかた収録されていることに加えて、花言葉も掲載されているので眺めているだけでも楽しめる。気分転換にはうってつけの本だ。

 久しぶりに取り出したからか図鑑は埃を被っていた。ティジは本の上部に積もっていた埃を払い落とすと「後で本棚のほうも掃除しないとな」と図鑑が収まっていた空間を覗き込む。

 

 その時、本棚の奥に何かが見えた。
 視界に捉えた物の正体を探ろうと目を凝らすと、図鑑が収められていた場所のちょうど真上の天板に何やら封筒らしき物を見つける。どうやら先ほど図鑑を引き出した際に引っ掛けたらしく、封筒は少し形を歪めていた。

 天板に貼り付けられていた封筒に手を伸ばす。剥がして取ろうと思ったが封筒が破れてしまいそうだったので手探りで開け口を探す。
 それからしばらく悪戦苦闘し、どうにか中に入っていた物を探り当てた。

 袖についた埃を手のひらではたきながら、ティジはやっとの思いで封筒から取り出した物を見遣る。

 短冊状の薄緑色の紙に上部に空けられた小さな穴には白いリボンが通されている。そしてひときわ目を惹くのは青い押し花の装飾。見たところ、しおりのようだ。
 よく晴れた日の空のような群青色の花が妙に気になり、手元にある図鑑で調べるが一致する物は見つからない。結構珍しい花なのかもしれない。

 でもどこかで見覚えがあるような……、あ。

 ふと思い出し、先ほど読んでいた西の国の魔術についての本を開く。

 

「あった……ミスミソウ?」
 挿絵と一致するそれは西の国にのみ生息する花だった。
 その国の名産の花らしく、他にも白やピンク、紫色の花もあるそうだ。だが青い花弁のものはかなり希少な品種であることが明記されている。残念ながらこの本には花言葉などという洒落たものは書かれていなかった。

 まぁ良いや。花言葉についてはまた後で調べよう。そうボンヤリと考えながら何の気なしにしおりを裏返す。すると手書きのメッセージが目に入った。

 

『あいをこめて』

 

 ……あい?

 愛?

 

 刹那、バチリとあの嫌な痛みが走った。

 焼けるような痛みと共に流れこんだモノは――

 

「リエ、さん?」

 

 いつも優しく笑いかけてくれた、大好きだったあの人の記憶。

 


 今回登場した「西の国の魔術についてまとめられた本」は第二章(2)『ティジの一日』で貰った物。

 第四章(20)『萌芽-1』でチラリと言及されてますが書庫など王宮に入ってくる物は検閲されております。(『まぁここに入ってくる物は検閲もしてるし』の箇所)
 しかしながら上記の本は検閲から抜けてしまうルートでティジの手に渡ったというわけで。王室教師は全く悪気は無いよ!むしろ「喜んでくれるかな」という気持ちが先行して、いわゆる善意で渡してるからね。