08.とある事件の記録-1

 平日は医師業務の傍ら、良き友人でもある国王の息子、好奇心旺盛な王子さまの世話を見る。休日は弟家族のところへ出向き、とりとめのない話をしたり素直じゃないだけの甥と笑顔が絶えない可愛らしい甥たちと一緒に過ごす。
 多忙だけど、そんななんでもない普通の日々がずっと続いてほしい。それはそんなに過ぎた願いだったのだろうか。

 俺はただ、あいつらが幸せに過ごしてくれればそれだけで良かった。
 それだけで、良かったのに。

 

「それで?その話はどれぐらいで終わるんだ」
 ある日の昼下がり。クルベスの私室にて、学生の頃から付き合いのある目の前の男は退屈そうに指先をもてあそぶ。その男、国家警備隊のまぁまぁな立場にいるエディ・ジャベロンはうんざりした顔でクルベスを見やった。
「へー、もっと聞きたいのか。全くしょうがない奴だなぁ」
 それならばとクルベスは本棚からアルバムを取り出した。もちろん中身は先ほどまで話していた弟家族の写真だ。向こうの家にも同じ物がある。

「何をどう見たらもっと聞きたいって顔に見えるんだ?いつまで同じ話してんだって聞いてんだよ」
 そんな物いらん、と手を払って頬杖をつくその態度にクルベスは眉根を寄せる。
「そっちこそ、記憶力下がったんじゃないか?何をどう聞いたら同じ話だって思える?見ろ。これはルイが初めて苦手なお野菜を食べられた時。そんでこっちは一人でお店の人とお話できた時。全然違うだろ」
 指し示した写真にはこちらに笑みを向けるルイが写っている。いつ見ても可愛らしい笑顔だ。この写真を撮るとき、レイジにそれはもうすごい目つきで睨まれたが。
「要するにどっちもうちの甥っ子がよくできましたって話じゃねぇか」
 足を組むな。それが人の話聞く態度か。
「ぜんっぜん違う。仕事に追われて物事の判別もつかなくなったのか。なんなら今ここで診察してやるぞ?」
 旧友のよしみで特別にタダで診てやるよ、と皮肉を多分に込めて聞いてやる。
 あんなに小さかった子どもが目まぐるしい勢いで成長していく姿に感動しないのか。かわいそうな奴、と目の前の男が不憫に思えてくる。

「こっちはそのクッッソ忙しい日々の僅かな、貴重な休日つかって出向いてやったわけなんだが。てかこの後その弟さんのとこ行くんだろ?いいのか、こんな話していて」
 こんな話ってなんだ、という言葉は飲み込んだ。そんなこといちいち気にしてたらキリがないし、伊達に二十年も付き合ってない。あの態度はどうかと思うが。壁に掛けてある時計を見るとかれこれ一時間は話していたようだ。
「セヴァのところに向かうにはまだ早いから大丈夫。……しょうがないな、じゃあこれは片付けとくか」
 口惜しいがアルバムを戻し、テーブルを挟んだ向かい側に座る。あの写真のエピソードはまたの機会にしよう。その際にはレイジが楽しそうに学校に通っている話もしてやるとするか、と次のことを考えながら。それにエディはやっと本題に入れる、とため息をつき組んでいた足をほどいた。

「で、どうなんだ。様子は」
 エディはブラウンの革手帳と黒い軸のペンを手にして本題に切り出した。
「特に何とも。変わりなく過ごしてる」
 まぁ所見でしかないけど、と定期的に繰り返される質疑応答に淡々と応えた。あれから何年経ってもこうして律儀に様子を伺いにきてくれるのには感謝している。あいつのその後の動向について知ることもできるし。

「変化なしって感じか……まぁ悪くなるよりはマシか」
 仕事に関しては一切妥協することのないエディは安堵したかのように息をはく。
「現状維持ってのが一番きついんだからな」
 エディの呟きに小言で返す。こちとら日々緊張しっぱなしなんだ。ましてやあんなこと、下手に触れていい問題じゃない。
「こればっかりは仕方ない物として割りきるしかない、か」
 エディが一際大きなため息をつくと電話がなった。俺の携帯電話だ。

「セヴァ?」
 弟のセヴァからの着信だった。
「お前時間まちがえてんじゃないのか」
 長々と家族自慢しているから……とぼやくのを無視する。あとで覚えとけよ。
「いや、今日はみんなで劇を見に行く予定で……その準備に時間かかるからいつもより遅くて大丈夫って言ってた、はず」
 まだ十分に時間はあるはずだ。なにか伝え忘れたことでもあったのだろうか。結構抜けてるあいつのことだ。そういうこともあるか、と頭の片隅で考えながら電話に出た。

「……」
「セヴァ?おーい」
 電話の向こうは無音だった。電波でも悪いのかと思ったがそうでも無いようだ。ルイが間違えてかけてしまったのだろうか。
「どうした?とりあえず一旦切る、」
「に、いさ……」
 ひとまずこちらからかけ直すか、と考えていたら微かにセヴァの声が聞こえた。

「……セヴァ?」
 何か、様子がおかしい。
 荒い呼吸の音だけが聞こえる電話に呼び掛ける。

「……ごめ、にいさん……おれ」
「セヴァ?どうした何謝ってるんだ?大丈夫か、俺の声聞こえるか?」
 矢継ぎ早に呼び掛けるもそれに対する返事はない。いつもならば電話の向こうから楽しそうに遊ぶルイの声が聞こえてくるがそれも無いことに気づく。背筋にじっとりとした汗が流れる。壁掛け時計の秒針の音が嫌に頭に響いた。

「っ、……ルイと、レイジを……たのむ、ね」
 掠れた、か細い声でそう告げられる。それきり電話の向こうは再び静寂に包まれた。

「……セヴァ?セヴァ!おい、なんか聞こえてんなら返事しろ!!なぁ!!」
 異様な空気にたまらず立ち上がり、送話口に叫んだ。
「どうした?何かあったのか」
 冷静さを欠いた様子に異変を感じたエディが訝しげな目で電話を見る。
「分からない……悪い、今からあいつらのところに行ってくる」
 何か非常に嫌な予感がする。すぐに、セヴァたちのところへ向かわないといけない気がした。
「ついてくよ。俺が運転する」
 クルベスの動揺した姿を見てこのまま一人にしておくのは危険だと悟ったのだろう。エディは自身の乗ってきた車の元へとクルベスを誘った。

 通話は切らずに繋いだままにしておいた。エディの運転に揺られながらも、絶えず電話の向こうに呼び掛け続ける。
 あれ以降、何も声は聞こえない。通話料もかかるはずなのに何故か向こうから切られることは無かった。

 

 ようやくたどり着く。いつもと変わらない二階建ての一軒家。普段は入る前にベルを鳴らすが四の五の言ってられない。玄関の扉に手をかけた。

「――セ、」

 弟は、そこにいた。
 訪ねてきたクルベスを明るく出迎えることもなく。その場に転がっていた。

「セ、ヴァ?」
 寄り添うように彼の妻も倒れていた。近づいても、二人とも微動だにしなかった。
「……ふたりとも、なにしてんだよ。こんなとこで寝転がってたら、風邪ひくって」
 自分でも驚くほどひどく乾いた声が出た。ひとまずセヴァの体を抱き起こそうとする。紅い何かが見えたがよく分からなかった。わかりたく、なかった。
「おまえさ、俺がこういうタチの悪い冗談嫌いだって知ってるだろ?いいかげんおこるぞ?」
 いたずら好きなその体を揺らす。ただ揺さぶられるままの弟の体を。
「なぁ、もうわかったから。おきろよ、おい、目ぇあけろって……っ!」
 いたずらで泣くのなんて初めてなんだ。もう十分驚いたから。だから、なんで。
「クルベス。そいつはもう……」
「だまれ」
 ちがう。そんなはずない。そうか、エディもグルか。みんなで俺を驚かそうとしているだけか。ずいぶん手の込んだことをするんだな。

「……二人とも死んでる」
「ちがう!そんなわけない!!眠って、俺を驚かそうとしているだけなんだ!なぁそうだよな?でももうおきろよ、おきてんだろ?それともなんだ、小さい頃みたいに起こしてほしいのか?じゃあいくらでも、何度でもそうしてやるから、だから、なぁ!目ぇあけろよ……!」

 手に電話を握ったまま、その目はかたく閉ざされていた。

「なんで……なんでなんだよ……っ」
 信じたくない。でも自分が一番よく分かってた。医者なんだから。
 もう二人がその目を開くことは無く、こちらに笑いかけることもない。とりとめのない話をすることなんて二度とできないのだと。両の目からこぼれた雫が眼鏡を濡らし、視界がにじむ。

 ふと、あることに気づいた。
「……あいつらは?」
「え?」
 黙って見ていたエディが呆けた声で聞き返す。
「ルイと、レイジがいない」

『……ルイと、レイジを……たのむ、ね』
 セヴァはあの電話で確かにそう言っていた。なのに、二人の姿がない。同じようにそばに倒れているのではないかと思い、あたりを見回したが見当たらない。
 そのかわりに血の跡が点々と廊下の先へと続いていた。嫌な汗が頬を伝う。
「ふたりのこと、たのむって言われたんだ」
 セヴァをゆっくりとその場に下ろし、ゆらりと立ち上がる。
「おれが、おれが守らないと」
 うわごとのように呟き、足を動かす。所々引きずったような跡が残るソレ。いままで幾度となく歩いた廊下をおぼつかない足取りで辿った。

 やがて、キッチンにたどり着く。その奥の異様な光景に息をのんだ。
 裏口が所々凍りついていた。溶けかけているのか、ドアノブから水が滴り落ちている。今は5月。ありえない光景だった。
「これ――」
 一つの仮定にたどり着こうとしたとき、またあることに気がつく。
 まだ、血の跡が続いている。裏口から引き返すようにキッチンの外へと延びていた。
 何かに誘われるかのように再び歩きだす。2階へと続く階段を昇る。手すりにも水が滴っていた。

 それはレイジの部屋の中へと続いていた。中に入るとそこはところどころ霜がおりていて、あたりに溶けかけた氷塊が散らばる。
 いや、そんなことよりも――

「なん、だよ。これ」
 部屋の中心にはおびただしい量の血痕だけが残されていた。

「レイジ!ルイ!!」
 その名を叫びながら部屋の中を引っ掻き回す。ベッドの下。キャビネットの中。クローゼットの奥。子どもが入れそうな場所もそうでないところも全て。
「おい、おちつけって!」
「いない、いない!二人とも、こんな、こんな状態なのに、どこにもっ!!」
 腕を掴んで止めようとするエディを突き飛ばす。クルベスの膂力に抗えず、床に腰を強かに打ち、痛みに呻いた。
「なぁ、なんだよこれ!さっきのドアといい……!」
 訳が分からず声を荒げるエディの言葉でハッと思いだす。
「ドア……?」

 何か違和感があった。
 玄関で倒れていた二人。
 レイジの凍結の力。
 凍りづけの裏口。
 ――あの裏口は、どんな状態だった?

「――っ!」
「どうした、どこに行くつもりだ!?」
 息をのみ、駆け出したクルベスの腕をエディは今度こそ掴んで引き留める。その手を振りほどくことはせず、エディに視線を向ける。
 あの玄関の惨状からして、あそこで何者かに襲撃されたのは明白だ。
 ならばなぜ残された唯一の出口である裏口を、家の内側から凍らせる必要があった?レイジは自分で凍らせた物を溶かすことなどできないはず。それはつまり――
「裏口、あの向こうにルイがいる!!」

 玄関から表にまわる。少しでも時間が惜しかった。
「ルイ!どこだ!ルイ!!」
 今こうしている間にも何かひどい目にあっているかもしれない。もしかしたらすでにセヴァたちと同じことになって――そんな考えを振り払うようにその名を繰り返し叫ぶ。

 間に合ってくれ、お願いだから……!お前まで、俺の前からいなくなるな……!!
 そう願いながら声を枯らして必死に叫ぶ。すると――
「ルイ!!」
 裏口から少し離れた所にルイはいた。セヴァたちと同じように倒れ込むその小さな体を抱き上げる。
「ルイ!ルイ!!」
「――っ、ぃ」
 その名を何度も呼ぶと意識はないものの小さくうめき声を上げた。顔はひどく青白かったが、息はある。
「よかっ、ルイ!ルイ……!」
「通報はした。じきに救急車が来る」
 少し遅れてきたエディが自身の携帯電話を片手にそう告げる。

「ルイ、がんばれ、あとちょっとだから……!ごめん、ごめんな……っ、俺が、もっと早く来ていれば……!」
 微かに呼吸を繰り返すその体を決して離すまい、と顔を涙で濡らしながら強く抱き締めた。

 


第一章(7)(8)「転調」にて語られた事件のクルベスさん視点です。「転調」と合わせて読むとより一層楽しめるんじゃないかなと思ってます。