12.多事多端-4

 頃合いを見て医務室に顔を出したエスタ。そこではいたく反省した様子のティジと刺々しい空気をまとったクルベス、状況説明のために同行していたルイがいた。

 倒れた際に怪我を負っていないか念入りに確認されるティジ。袖を捲り、腕の内側まで目を通すクルベスに「そこまで見なくても……」とティジは苦笑いした。

「痛いところとか……体に違和感はあるか」
「大丈夫。どこも痛くないよ」
 クルベスは「この通り、元気だよ」と立ちあがろうとするティジの肩を掴んで止めた。
 どうやらティジは自身が倒れた時のことを覚えていないらしい。直前に(迷子になって)校内を右往左往していた記憶はあるものの、気が付いたら保健室にいたのだ。

「本当に魔術は使ってないんだな?」
 クルベスが今一度問いかける。ティジが倒れる要因といえば十中八九、魔術の使用によるものだ。だがしかしティジは「魔術を使用した覚えもない」と言う。何故倒れたのか思い当たる要因が一つもない。

 非常に不安だがしばらく体調には気を遣うことを忠告し、ようやくティジとルイを解放する。エスタは軽く手を振って二人を見送り、先ほどまでティジが座っていたソファに腰を下ろした。

 

「まじで何だろう。倒れちゃった原因って」
 エスタは二人が出て行った扉を振り返る。
「全く分からない。立ちくらみとかか……?」
 体調を崩すことなど滅多にない健康そのもののティジ。本人も思い当たるふしは無いと言うのだからお手上げだ。
「……腕とか手首を見てたのって」
「念のため。でも怪我とかアザも無かったからお前が心配してるようなことは起きてないと思う」
 ティジの顔には泣いた跡も無く、何か隠している様子も見受けられなかった。本当に突然気を失ったのだと考えられる。医者としてはそちらのほうが不安であるが。

「本人が気づかないうちに魔術を使って倒れちゃったとかありますかね」
 エスタは「たまにそういう人もいると何かで知った」と付け加える。意図しない状況で勝手に魔術が発動してしまうこともあるのだとか。それに対してクルベスは「そうだなぁ」と口元に手を当てて応える。
「小さい頃のティジは庭園で居眠りして、芝生を伸ばしてたとかあったけど……今はそういうことも無いからな」
「え、なんですかソレ」
 エスタは思わずソファから身を乗り出す。

「芝生で寝転がっているうちにうたた寝して……眠っている間に周囲の草花に魔力を与えたのかな。ひどい時は手元の雑草が指に絡みつくぐらい成長してた」
 その度に慌てて部屋まで運んでいたが内心気が気でなかったらしい。はたから見れば眠っているのか気を失っているのか分からない状態で無造作に転がっているし、魔術を使ったとなれば体調に支障をきたす恐れがあるからだ。

 

「そういえばレイジも風邪引いた時は色々大変だったとか言ってましたっけ」
「レイジの場合は汗とかも直接凍らせられたからな。汗を拭こうにもタオルまで凍ったりして大変だったぞ」
 クルベスの物言いに少々引っかかりを覚えるエスタ。
「ティジ君はならないんですか」
「ならない。流石に無理」
 またも引っかかる言い方。その違和感の正体を掴もうと頭を悩ませているエスタにクルベスは瞳を瞬かせる。

「何をそんなに考えてんだ」
「なんかおかしいなーって。レイジに出来てたならティジ君も出来ると思うのに……」
 お前がそこまで真剣に考えるなんて珍しいな、と言われたが聞こえないふりをした。失礼な、こちらだって普段から色々考えたりする。主に上官への言い訳とか。
「いやティジには無理だって……あ、そうか。お前知らないのか。レイジの扱う魔術はそもそも仕組みが異なるぞ」
 ここでまさかの新事実。だいぶ疲れてしまった脳に入るだろうか。

「ティジ君が特別って方向ではなくレイジが特別?」
 首を傾げるエスタに「そう」と頷くクルベス。
 そのあとの簡単な説明を要約すると『通常、凍結の魔術は周りの空気の温度を低下させて間接的に氷を形作る手法をとっている。触れた物を直接凍らせるのは不可能。だがレイジの場合は何故か周囲や自身が触れた水分を直接凍らせることができる』ということ。エスタは「やはり俺の頭では理解できそうにないな」と思考を放棄した。

「ジャルアと同じ。わりと直感的に使用できてしまう性質みたいでな。最終的には何とか扱える形にしようと既存の原理をツギハギにくっつけた状態に近いか」
 聞けば聞くほど理解から遠ざかっていきそうだ。当時も解決策を探し回ったが目ぼしい成果が得られず、結局ティジの祖父である先代国王サフィオにも頼ったのだそう。改めて先代国王は聡明な人物だったのだな、と認識させられた。

 

「……レイジの件、あれから何か分かりましたか」
 エスタが問うのはルイたち一家を襲い、レイジを自死に至らしめた『白衣の男』のことだ。かなり踏み入った質問だがレイジの話題が出たことだし、思い切って聞いてみることにした。だがしかし、ルイたちの前では出来ない話のため勇気を振り絞って聞いてみたものの、クルベスは苦い顔で首を振る。

「おっそろしいほど何の情報も得られない。エディにも協力してもらって事件当時のことを再調査してるけど何も出てこない」
 そう言うとクルベスはため息を吐き、ソファの背に体を預けて天井を仰いだ。
「あれからもう8年も経過している。不可解な点が多すぎる事件だったんだから当時も散々調べ尽くしたんだ……今更新たな情報が見つかるわけがない」
 でもなぁ、と目元を隠すように手を当てて呟く。

「あの子が必死に伝えてくれた唯一の手がかりなんだ。それなのに……俺の力が足りないせいで、不甲斐ないせいで、あの子が繋いでくれたものを途切れさせてしまってるようで……何だろうな。悔しいっていうか……こんなところでも俺は何にもできないんだなって」
 今日のクルベスはいつにもまして自身の心の内を話している。よほど精神的に参っているのだろう。今朝もジャルアが過去の出来事に苛まれて泣きながら謝っているのをなだめたと聞いた。加えて原因不明のティジの昏倒。こうも立て続けに不安な事が起きると弱らないほうがおかしい。

 

「お前のほうはどうだ。調査、進んでるか」
「難しいですね。下手に動けばこっちがタダじゃすまないんで地団駄踏んでます」
 レイジが再び現れた時期、エスタは不穏な噂を調査に同行してこの城から離れていた。
 不穏な噂。それはジャルアと共に国の執政をおこなう元老院――その構成メンバーの一人が怪しげな動きをしているという噂だった。

 結局、数ヶ月にも渡る調査は大した成果を得られなかった。何者かと頻繁にやり取りをしていることは判明したが、向こうも探りを警戒をしていたのだろう。いくつもの仲介人を通してやり取りをおこなっていたため、調査期間中に目的の人物に辿り着くことは出来なかったのだ。
 だがしかしそれほど警戒しているということは何か後ろ暗い物を抱えている可能性は高い。
 万が一、王室に害なすことを企てているのであれば。安全であるはずの王宮でこれ以上何かあってはいけない。ここはティジたちにとって心安らげる居場所でなくてはならないのだから。

 

「ていうか元老院ってなんですか。国王と一緒に国のことを決めるお偉いさんってことは知ってますけど……その恩恵っていうのかな、有り難みとかあんまり感じられないんですけど」
 エスタは腕を伸ばして座りっぱなしの体をほぐしながらクルベスを見やる。
 表舞台に顔を出すことも少なく、よく分からない連中だ。先代国王の時代には少々活躍することもあったらしいが、実のところ先代国王のほうがあらゆる面で圧倒的に優っていたため大した印象も無い。

「プライドだけは無駄に高い、カビが生えた時代遅れ思考の老人の集まり」
 冗談にしては棘がある。加えて、先ほどまでの意気消沈した様とは打って変わってクルベスの声はこれ以上になく冷たい。
「……良くは思ってない感じ?」
「嫌い」
 眉間にしわを寄せて不快感をあらわにする。まるで子どものようにあからさまな態度を見せるクルベスに失礼ながら笑いが込み上げてしまう。

「珍しいですね。クルベスさんがそこまで言うって何があったんですか」
「ユリアさんが亡くなってティジの今後を話し合った時に……事もあろうかルイを傷つけることを言ったんだぞ。子ども相手にあんなこと言えるって人間性を疑うわ。あんのジジイども、こっちが言い返せない立場だって分かってて好き勝手グチャグチャ言いやがってよぉ……」
 よほど心無い言葉を浴びせられたのだろう。クルベスは地獄の底から響くようなドスの利いた声でつらつらと恨み言を吐く。
 触らぬ神に祟りなし。落ち着くまで息を潜めて待っていると、やがてクルベスは気を鎮めるように深呼吸し(まだ少し殺気の残っている)視線を向けた。

「あの一件があってからジャルアはかなり頑張ったんだ。元老院の連中を交えずともやっていけるって国民に思ってもらえるよう、些細なことでも積極的に動いてジャルア一人で取り決めたりした。あいつらに余計な口出しさせないために」
 一歩間違えれば全ての非難がジャルア一人に向けられかねない危険な選択。それでも子どもたちを守るために茨の道を進んだのだ。

 

「元老院を無くすことってできないんですか」
 エスタの発言にクルベスは「お前物騒なこと考えるなぁ……」と苦笑する。
「残念ながらそれは非常に難しい。あいつらはポッと出の成り上がりとかじゃないからな。過去の王族があいつらの先祖にお世話になったりして、有事の際に力を借りられるよう作られた集まりが今も力を持ってるってわけ。世代を越えて続いてきた物を『自分は頼りたくないから解体します』はちょっとなぁ……」
 従来の規範を打ち壊すことに近い。それなりの理由と『解体しても問題ない』と思わせるだけの実績がなければ成し得ないだろう。
 実績のほうは現在ジャルアが奮闘しているのでそちらに任せるしかないが、問題は『解体させられるだけの理由』だ。

「まぁ『理由』についてはお前が調査している件で収穫があればかなり良い足掛かりになるな。期待してるぞー」
「クルベスさんも相当あぶないこと言ってるじゃないですか……」
 人には『物騒なこと考えるなぁ』と言ってるのに、とエスタは呆れ顔でひとりごちた。

 


 怒ると口が悪くなるクルベスさん。自分の大切な人が傷つけられたら流石に許せない。でも手を出したら負けだし、そのせいで嫌いな奴と同じレベルに成り下がるのはこれ以上になく癪なので頑張って堪えます。子どもたちの前で格好悪いところは見せたくないので堪えます。