13.その後

 城内の病室。クルベスはベッドの脇に置かれた椅子に座る。ベッドの上には体を起こしたルイがいた。窓の外を遠い目で見つめている。

「ルイ、朝食だぞ」
 朝食をのせたプレートをサイドテーブルに置く。おかゆを匙ですくい、ルイの口元に差し出す。
 あれから数日が経ち、劇場で起こったことを話せるまでには回復した。しかしあの時、冷たくなったレイジの体を少しでも温めようと強く抱きしめていたため、凍傷を負った。幸い、完治する程度で済んだが指先に巻かれた包帯が痛々しい。
「ちょっとは食べないと、体がもたないぞ」
 食べようとする素振りすら見せないルイを諭す。やがて、ルイは顔をうつむかせてぽつりぽつりと呟く。

「……にいさんを……たすけられなかった」
 外の風にかき消されてしまいそうな声だった。

「なにか、ほうほうがあったかもしれなかったのに……なにも、できなかった」
 涙は出なかった。あの劇場で出し尽くしてしまったのだろう。
「にいさんが、つめたくなっていくのを、とめられなかった……っ」
 包帯が巻かれた手を見つめ、刺すような痛みなど関係なしに強く握りしめる。
「……やめろ、治りが遅くなる」
 強く握る手を開かせるため、その手にそっと触れようとしたクルベスの手をはじく。
「こんなの治らなくていい!!なんで、なんで兄さんが死んで俺が――」
「それ以上は言うな」
 叫ぶルイの声を遮る。
「レイジは、お前に生きてほしくてああしたんだ。あいつの覚悟を、無駄にするな」
 クルベスの言葉にルイは押し黙った。

「8年前も、あの劇場でも、アイツは自分で決めてやったんだ。それを分かってやってくれないか?」
「にいさんの、かくご……」

 分かりたかった。でも、ぽっかりと空いた穴がふさがらない。

 

「……クーさん」
 松葉杖をつきながら、ティジは病室に入ってきた。
「あれ?ルイは……」
 部屋の中を見回すがそこにはクルベスしかいなかった。
「そと行ってくるって」
「そっ、か」
 ひとりにしてほしいのだろうか、と思案した。
「ていうか動いたらダメだろ。足、痛くないか?」
 口元は笑っているが、いつもより力がない笑みだった。クルベス自身も相当むりをしているのだろう。
「痛み止めが効いてるから平気。その……話があるんだけど、いいかな?」
「あぁ、立ちっぱなしってのも何だからそこ座れよ」
 ベッドに座るよう促す。そこにクルベスに手を貸してもらいながら腰掛けた。

「……あの劇場で、思い出したんだ。4年前のこと」
 クルベスは驚く素振りすら見せなかった。
「あの日、あの庭園で母さんは俺をかばって死んじゃったんだね」
 はっきりと思い出せたわけではない。だが母が身を挺して守ってくれたあの瞬間は、目に焼き付いている。
「先に言うぞ。お前のせいじゃないからな。自分を責めるなよ」
「……クーさんは優しいね」
 気遣うクルベスに小さく笑いかける。
「それで、話っていうのはその後のことなんだけど……」
「その後?」
 ティジに続きを促すような視線を向ける。

「あの後、母さんが亡くなった後のこと。俺のいないところでクーさんや父さん、ルイは何をしていたのか知りたいんだ」
「なんでまた?」
 ただの興味本意で聞いてきているわけではない様子にクルベスは疑問を投げ掛ける。
「知らなきゃいけない気がするんだ。俺の記憶を消すっていうために、みんなにどんな思いをさせたのか。何を、強いてきたのか」
 そう言ってティジはシャツの胸元を握りしめる。
「そう思い詰めるな。あれはお前が大切だからやった。誰も嫌々やったわけじゃない」
「だとしても。自分だけ知らないままはもう嫌なんだ。……わがままだね、俺」
 自嘲するように軽く笑う。
「そんなんじゃ……いや、これ以上言ってもあれか。お前の決意は揺るがなさそうだし、話すよ」
 クルベスは足を組むと、ゆっくりと語り始めた。

 

 襲撃から三日。ティジの母、ユリアの葬儀を終えたジャルアとクルベスはある会合に参加していた。元老院と現国王という並々ならぬ面子が参加した会合。その議題はティジの今後についてだった。

「我々は今回のことを踏まえて、ティルジア・ルエ・レリリアンはこの城内のみで生活していくことを提案する」
 元老院の代表がいい放ったそれは、予想がついていた。
「あえて聞かせていただきます。なぜですか」
 ジャルアは臆せず問いかける。国王であるジャルアのほうが立場は上だが、元老院は先代国王の時代に輝かしい実績を積んだ者たちで構成されている。年季は向こうのほうが上だ。

「これまでがおかしかったというだけのこと。他の子どもと同じように学校へ行き、休日には町に出かけて。危機管理の観点から今後は比較的安全なこの城内のみでの生活に切り替えたほうが良い」
「今回の襲撃はその城内で発生してます。城の中と言えど確実な安全が保証できるわけではない」
 呆れたような物言いに構うことなく反論する。しかし元老院の連中はそれを想定していたように即座に返す。
「だから『比較的』安全と言ったでしょう。今後も外に自由に出られてはまたいつ同じようなことが起こってもおかしくない」
 元老院の意見は至極当然だ。だがしかし、それは息子に軟禁生活を強いるということ。いくら安全のためとはいえ、簡単に頷くことはできなかった。

「……まだティジは12歳だ。そんな子どもの未来を奪ってどうする」
「未来を思っているからこそ申し上げている。彼はゆくゆくはこの国を担う存在だ。第一、今の彼の状態では外に出ることはおろか、まともに人と関わることはできないでしょう?」
 鋭い指摘にジャルアは何も言い返せなくなる。
 あの日以降、ティジは昼夜を問わず泣き通している。無理もない。目の前で母親を亡くしているのだから。それに加えてあの様子だとおそらく……。一番恐れていた状態だった。最悪なかたちで訪れた。

「どちらにせよ、あの状態では外と関わりを持つことは不可能だ。ならば目に届く範囲においておく他あるまい」
 元老院は全員賛成のようだ。何か息子を救える活路を見いだせないかと思いあぐねていたその時。
「待って!!」
 重苦しい空気がたちこめた会議室にルイが飛び込んできた。

「ルイ、お前なんでここに」
 クルベスはそれまで一言も発さずにいたが、ルイの姿を見て思わず声をかけた。
「ごめんなさい、勝手に聞いてて……でもいまの話ってティジのこと、ですよね?」
 ルイはそうそうたる顔ぶれに臆しながらも問う。
「君には関係のないことだ。出ていきなさい」
 元老院の面々は突然割り込んできたルイのことなど歯牙にもかけずに冷たくあしらう。
「でも――」
「それに君は今回襲撃してきた男……レイジ・ステイ・カリアの実弟なのだろう?どの面さげてティルジア・ルエ・レリリアンを心配するというのだね」
 なおも食い下がるルイにしびれを切らした様子で決定的な一言を浴びせた。

「そ、れは……」
「子ども相手にその言い方はないんじゃないか。……ルイ、大丈夫か?」
 見かねたクルベスは動揺するルイに駆け寄り、少しでも落ち着かせようと肩を抱く。その様子に眉をひそめた元老院の一人が呟く。
「……クルベス・ミリエ・ライア。君も無関係ではない。そも、今回この会合に参加させたのは重要参考人として話を聞き出すという目的があってのこと。君に発言の自由はない」
 そんなことは分かっている。だがこのままではルイの立場ですら危うい。最悪、この城を追い出されるということも十分に考えられる。それは何としても避けなければならないのに、クルベスには現状を打破できる手立てがなかった。

「――僕が!」
 ルイが鋭く声を発する。
「僕が、ティジを守ります!何が来ても!何があっても!僕が絶対に守る!だから、どうか――!」
 涙をこぼしながらルイは訴える。
「そうは言っても、ただの12歳の子どもがいったい何から守れるというのかな」

「俺がやります」
 苦言を呈す元老院にジャルアが口を開いた。
「俺が、ティジの記憶を書き換える」
「というと?」
 ジャルアに続けるよう促す。
「……俺の魔術を使ってティジの記憶を書き換える。そうすれば、少なくとも今の状態からは回復できる」
「問題を先送りにする、と?」
「あれだけのこと、全部受け止めるにはティジはまだ幼すぎる。機をうかがうというだけです」
「お前、それでいいのか?」
 思わず口を挟むクルベスにジャルアはちらりと目を向け、無言でうなずく。
 記憶に干渉する際、干渉したい記憶に真正面から向き合わなければいけない。一部始終を見て、どのように書き換えるかを行う必要があるのだ。つまり、自分の妻が殺される瞬間を見せつけられるということに他ならない。その心中は察するに余りある。
「……ティジはもう、十分苦しんだ。これ以上辛い思いはさせたくない」

 

 中庭でティジは泣いていた。ルイはそれを隣に寄り添うことしかできない。
「ティジ」
 名を呼ばれ、顔を上げるティジ。ずっと泣いているから目のまわりは赤く腫れていた。
「ごめん……っ」
 ルイがそう告げるとティジは倒れた。ティジの背後にはクルベスが立っていた。
「ルイ、ごめんな。こんなことさせて」
「……ううん、全然へいき」
 クルベスに気づかないようティジの気をそらす。たったそれだけのことなのに、クルベスはとても申し訳なさそうにしていた。

「……ティジは、これからどうなるの?」
 気を失ってもなお、涙が頬を伝うティジの姿に聞かずにはいられなかった。
「ジャルアが記憶を書き換える。母親は病気で亡くなったってことにする。それが一番違和感が少ないからな。記憶の処理で数日は眠ったままだけど、心配すんな」
 クルベスはそう言ってティジを抱きかかえた。
「……他に、僕にできることはない?」
 なおも気遣うルイにクルベスは優しく微笑む。

「あとはもう俺たちに任せて、ルイは部屋に戻ってろ。ティジのことは大丈夫だから」
 ルイの頭を撫でながらクルベスは告げた。

 

「あとは……さすがに分かるか。ジャルアがお前の記憶を書き換えて、数日してお前が目を覚ました。これがお前の知りたかった『その後』のこと」
 話し終えたクルベスは語りつかれたのか息をはいた。
「そっか、そんなことがあったんだ……」
「ルイもジャルアも、もちろん俺だって騙そうと思ってやったわけじゃない。けど、今さらかもしれないけれど、ずっと本当のこと黙っててすまなかった」
 クルベスは深く頭を下げる。ずっと、後ろめたい気持ちがあったのだろう。そんな姿に申し訳なくなり、頭を慌てて上げさせる。

「……でも、これでようやく本当の意味でちゃんと母さんのお墓に、死に向き合える気がする。ごめんね、ここまで苦しい思いさせちゃって」
「……そっか」
 そう語るティジの様子を見てクルベスは内心、ホッと一息ついた。全てを思い出したわけではないのだと。
 花のことは、あのままで大丈夫だろう。

「俺、ちょっと行ってくる」
「……ルイのとこか?」
 足をかばいながら立ち上がったティジを見る。するとティジは笑顔を見せながら振り返った。
「うん。一人はやっぱり寂しいから」

 

 中庭の一角。庭園のベンチにルイは座っていた。クルベスも辛いだろうに気を遣わせてしまうのが申し訳なくて、自分の弱さから目を背けたくて、いつのまにかココにきていた。クルベスも察したのか、ついては来なかった。風が冷たかった。

 兄さんの覚悟を分かりたかった。でも心が追い付かない。兄さんが自分の命をかけて守ろうとしたのだから、早まった行動はできなかった。
 これからどうすればいいのだろう。考えようとしても、頭が働かない。涙だけでなく頭まであの劇場に置いてきてしまったのだろうか。

 冷たい風が吹き荒ぶ音だけが響く庭園。そこへぎこちなく芝生を踏みしめる音が聞こえてくる。ティジが隣に座った。
「ティジ……」
 どうかしたのだろうか。どこか痛むのか。いや、痛いのは俺か?もう、よく分からなかった。

「……母さんが亡くなって俺が苦しかった時、ルイはそばにいてくれたから。だから俺もルイが苦しいときは力になりたいんだ。俺に……できることはある?」
 柔らかい微笑みでこちらを見る。その紅い瞳は俺だけを映した。

「……そばにいてくれ……独りに、しないで……」

「うん……大丈夫。そばにいるよ、ルイ」

 絞り出した声に応じるように、手をそっと握られる。それは確かにここにいる、と感じられた。途端にせきをきったように涙が溢れだす。

 その手はとても優しくて、温かかった。

 

 ――ティジの足も松葉杖なしで歩けるようになった頃。
 その日、ティジはルイとクルベスと共に再び墓地に訪れていた。以前訪れた時と変わらない、心地よい風が吹いている。
 いや、一つだけ以前とは変化した点があった。ルイの両親の墓の隣に新しい墓が増えている。――レイジの墓だ。

「……ティジは一人にしてて大丈夫なのか?」
 墓前に立つルイがクルベスに問いかける。
「まぁ、大方こっちに気ィ遣ってんだろうな」
 生前のレイジとはほとんど関わりがなかったので、ルイやクルベスと肩を並べて立つことは気が引けたのだろう。こんな時まで周りに気ィ遣わなくてもいいのに、と少し離れた場所にいるティジを見やる。
 母の眠るその墓を、どのような思いで見つめているのか。

「……俺、決めたんだ」
 ルイがレイジの墓を見つめながらぽつりと呟く。
「俺は今まで、父さんも母さんも……兄さんのことも誰一人守れなかった」
 蒼い瞳に悲しみと後悔がにじむ。
「俺は、これからは俺の大切な人は絶対に守りたい。もう二度と、失いたくない」
 次第にその声は芯を持ち始める。

「俺を支えて寄り添ってくれたティジを、俺は守りたい。だから、兄さんを心配させないためにも、ちゃんと生きて、大切な人を守るって決めたよ」
 クルベスのほうへと向けたその表情は、何かを吹っ切ったかのような笑みを浮かべていた。

「あぁ、レイジの分も、いやそれ以上に生きろ。それが、あいつが一番喜ぶことだからな」
 そう告げてルイの頭を撫でると、途端にルイの目から雫が落ちた。

「……ほんっと、レイジと違って泣き虫だな。お前は」
 ルイを優しく撫でるその瞳は、涙が薄く滲んでいた。

 

「あぁ、でもアレを失ったのはもったいなかったなー、結構上手いこといってたのに」
 閉鎖された小さな劇場に背を向け、ひとりごちる。

 自分で考え行動することができる、唯一の成功例だった。欠点といえば、魔術を使えないことだけ。
 凍結の力を使おうとすると魔力が暴走する。それを知った上であえて使うとは思わなかった。そうまでして弟を守ろうとしたのは何故なのか。全く理解ができない。
 所詮は血の繋がりがあるだけの他人でしかないのに、と首を傾げる。その動きに合わせて、結われた紫の髪が揺れた。

「ま、いいか。あの子さえ手に入れば他はどうでもいいし」
 影から見ていたが間違いない。ずっと、ずぅっと追い求めていたソレと同じ、あの姿。
 あの場ではあの子を捕まえられたとしても追跡されるリスクのほうが高いと考え断念したが、次はそうはいかない。
 着崩した白衣が風になびいた。

「それじゃ、あとはよろしくね18番」

 後ろを歩く虚ろな表情の男にそう告げると、弾んだ足取りで雑踏の中へと消えていった。

 


第一章、これにて終了です。
傷ついても支え合える人がいたら、幾分か気は楽になると思います。

彼らのお話はまだまだ続きます。