40.ほつれた糸-7

「クルベスさーん!」
「うぉっ、エスタか。どうした」
 駆けた勢いそのままに医務室の扉を開け放つとクルベスさんは意表をつかれた様子でこちらに顔を向ける。クルベスさんの手には携帯電話が握られていた。

「あ、すみません。電話中でしたか」
「いや、ちょうどお前に掛けようとしたところ」
「俺に?何でです?」
 俺が聞き返すとクルベスさんは若干呆れた表情を見せる。何でそんな反応をするのだろうか。全くもって心当たりがない。

「こっちの仕事が片付いたから連絡入れようとしたんだよ。ほら、俺の都合でティジたちのおやつの時間を遅らせてくれって言ってただろ」
「あぁー……なるほど。そういえばそうでしたね」
 ティジ君たちとのお城巡りもとい思い出の場所巡りが楽しくてすっかり忘れていた。そんな俺にクルベスさんは「そういえばってお前……」とため息を吐いていた。

「それで?ティジたちは一緒じゃないのか?」
「あぁ、あの……それなんですけど、ちょっとクルベスさんにご相談がありましてね……」
 俺はそう前置きして、ティジ君たちとのお城巡りとそこで発生した会話について語った。

 

「――……という感じで旅行の時に撮った写真がないかって話になったんです。ティジ君も『見たい』って興味津々で。それでですね、あのー……クルベスさん、前に言ってましたよね?『出来るだけ避けてくれ』って」
 あれは旅行から帰ってきた後のこと。クルベスさんに添削してもらいながら報告書を何とか書き終えた後にクルベスさんから言われたのだ。
『禁止、とまでは行かないけどできれば避けてくれ』と。書き上げたばかりの報告書の上にカメラを置いて。

 どうやら十一年前の事件の時にティジ君を襲った犯人の自宅から写真や動画が大量に見つかったらしい。その中には性的暴行を受けているティジ君の姿が映されていたのだという。それも一つや二つなどではなくほぼ毎日、一ヶ月分の記録が残されていた、と。

 この事からクルベスさんやジャルアさんは『カメラそのもの、ひいては撮影などの行為はティジ君の記憶を刺激してしまう可能性があるのではないか』と考え、事件以降はティジ君の前では写真や動画の類いを撮ることは極力控えることにしたのだそうだ。

 

「あの時と今だと状況も全然違いますしー……実際どうですかね。写真を撮るだけじゃなく写真を見せるのもダメだったりします?」
 話しながらも何となく気が落ち着かなくて、その場をウロウロしながらクルベスさんに問いかける。するとクルベスさんは「ふむ」と腕組みをして答えた。

「話してくれてありがとな。そうだな……旅行の時の写真なら俺のほうで持ってるからあの子にはそれを見せてやってくれ」
「え、いいんですか!?」
 いともあっさり了承してくれたことに驚く俺にクルベスさんが「あぁ」と頷く。

「ティジ自身がその写真を見たいって言ってるんだろ?少なくともその話をした時点で何とも無さそうなら見せても問題はないと俺は思ってる。写真は俺の部屋にあるから少し取りに行く必要はあるがいいか?」
「もっちろん大丈夫です!やったぁ!ティジ君きっと喜びますよ!」
 飛び上がって喜ぶ俺にクルベスさんは「元気だなぁ」と目を細めた。

「俺も出来るだけのことは協力してやりたいからな。事件の記憶を思い出す事になるのは避けてほしいが……あの子の頑張りには出来るだけ応えてあげたい」
「そうですね、俺も同じ気持ちです。……ティジ君、すごく頑張ってますもんね」
 微笑むクルベスさんに俺も応える。

 ティジ君と弟くん。庭園で別れる直前の二人はお互いどのように接したら良いか測り合ってる様子で、心なしかぎこちない空気が漂っていた。だが庭園での話し合いを終えて合流した後の二人はそのような緊張は解けていて。先ほど城の中を散策した際の二人の姿はありし日の――ティジ君が記憶を失う前のかつての日常を彷彿とさせた。

 少しずつ、歩み始めている。まだ解決できていない問題は山積みで不安だってたくさんある。でもあの子たちが少しずつ歩み始めているのならば。二人がつまづくことのないよう、道を見失ってしまわないよう、大人である俺たちが手を引いてあげよう。

 

 ティジ君たちのこれからを想い、改めて誓ったその時、クルベスさんの携帯電話が震えた。

「お、うわさをすれば」
「弟くんです?」
 あぁ、と言ってクルベスさんは電話を耳に当てる。いつの間にか結構時間が経っていた。もしかしたら俺がなかなか戻ってこないことを心配して確認しにきたのかもしれない。
 あれ?それだったら、まずは俺に電話を掛けるんじゃないか?何で俺じゃなくてクルベスさんのほうに連絡するんだ?

 そんな疑問を抱く俺をよそにクルベスさんが電話を繋ぐ。次の瞬間、狼狽した弟くんの声が耳を裂いた。

 

「クルベス!!ティジが、ティジの様子がおかしくて……!どうしよう、俺、ティジが……ティジが……!」
 電話の先から聞こえてくる弟くんの声は震えていて、ひどく落ち着きがない。ティジ君の声は聞こえないが弟くんの声とは別に何か苦しげに呻く声が聞こえる。電話なので向こうの状況は何も見えないが何か異常事態が発生したのだとすぐ分かった。

「すぐそっちに行くから今どこにいるか教えてくれ!」
 クルベスさんが弟くんに呼び掛ける。その顔は俺と同じくらい青い。

「書庫に……っ、書庫でエスタさんを待ってて……それで旅行のこと話してたらなんか急に……ティジ!?待て、ティジ!!」
 弟くんが声を張り上げる。それとバタバタと何かが駆けていく音が遠ざかっていく。それがティジ君の足音だと気付くと同時にクルベスさんと俺は医務室を飛び出していた。

 


 旅行のカメラについての注意もとい「出来れば避けてくれ」発言は幕間(6)『束の間の休息-6』の場面。ふんわりとした言い方で禁則事項を言います。覚えることがいっぱいでエスタさんもてんてこ舞いです。しかもウッカリやらかそうものなら「良くて左遷」なのでとても大変。だけどそこはティジ君のため、何とか頑張っていきます。