01.木の芽時-1

 四月。うららかな春の陽気に当てられて自然と気分も明るくなる季節。年度も変わり、ティジとルイも学年が一つ上がり二年生となった心機一転の春。
 そんな雰囲気とは裏腹にルイは王宮の通路を怒り心頭で闊歩していた。

「あいつ、今日も懲りずにしつこく誘ってきたんですよ!?俺は『別にいい』って言ってんのに……俺をおちょくって遊んでるんですよ!絶対そうだ……!」
 隣を歩くエスタに怒りを訴えるルイ。朝に見送った時はそうでもなかったのだが、学校を終えてエスタが正門で合流した時にはこの調子だった。何がここまで彼の機嫌を損ねさせているのかと言うと同級生のシン・パドラである。

 二年生に進級した後も変わらずティジやルイに構っているようで、最近は「食堂で一緒にお食事でもどう?」と誘われているらしい。シンのことを毛嫌いしているルイは当然断ったのだがそれでも連日誘ってくるのだとか。
 別に食事に誘うくらいならここまで不機嫌になる要素は無いかと思うのだが、どうやらシンは一声かける前にティジをくすぐったり、ルイにちょっかいを出しているようだ。悪びれる様子もなく毎度毎度そのような事をされてルイもすっかりこの調子である。

 

「とりあえずー……弟くん個人としては食堂に行ってみたいなーって思ったりはしてる?」
「まぁ……気になりはしてますけど。でもあいつに誘われて行くのはすごく癪だし……なんか負けた気になって嫌だ」
 エスタにそう言うとルイはムスッと口を尖らせてカバンを持ち直した。

「もういっそのことティジと二人で行けばいいか……?それなら今度誘われても『もう行った』って言って断れる……いや、あいつならそれでも諦めなさそうだな……」
 ルイはぶつぶつと呟き、一人で考え始める。ルイについてはまた落ち着いたら話しかけてみることにして、エスタはティジのほうに顔を向けた。

「ちなみにティジ君は?食堂に行ってみたい?」
「一度は見てみたいかな。どんな料理があるのか興味あるし。あ、そういえばエスタさんって学校の卒業生だったっけ。エスタさんは食堂に行ったことはあったの?」
「うん、何回か行ったよ。居残り……勉強で遅くまで残った後に食べるアイスは絶品でねぇ。ご飯系だとオムライスが好きだったな。トロットロのオムレツとデミグラスソース。チキンライスのほうもまた格別で。あぁそうだ、フルーツサンドも美味しかったな。あまりにも人気ですぐ売り切れちゃうんだけどね。……話してたらまた食べたくなってきたな」
 グゥとお腹を鳴らすエスタと目を輝かせて話を聞き入るティジ。その様子にルイの決心も揺れていた。

 

「やっぱり行くしかないか……?そうだな。一回行けばあいつも満足するか。……フルーツサンドも気になるし……」
 最後のほうはかなり小声ではあったものの、むしろそちらが決め手となったよう。いまルイの頭の中はフルーツサンドでいっぱいになっていることだろう。

「一度クルベスさんにも聞いてみようか。クルベスさんなら多分『良いよ』って言うだろうけど念のためにね。料理長のほうにも、その日のお昼は無くて大丈夫って言っておかないといけないし」
 エスタの言葉にルイは「そうですね」と頷く。その後もエスタが「たまに限定メニューみたいな感じでフレンチトーストも出ていたよ」と言うとルイは「フレンチトースト……」と呟き、ごくりと唾を飲み込んだ。

 

 そうしてクルベスがいるであろう医務室の近くまでたどり着く。先んじてエスタが扉を少し開けるが突然ピタリと止まった。
 いつまで経っても中に入ろうとしないエスタにティジが「どうしたの?」と小首を傾げる。するとエスタは口元で人差し指を立てて声をひそめた。

「クルベスさん、今ちょっと忙しいみたい。食堂については俺が話しておくから、二人は自分のお部屋に戻ってて」
 もしかすると怪我人を診ている最中だったのかもしれない。ならばそれを邪魔するのは良くない。ティジとルイはエスタに後のことを任せて医務室の前から立ち去ることにした。

 

 

 時を同じくして扉を隔てた向こう側――医務室の中。

「おい、ふざけるのも大概にしろよ」
 クルベスは手にした携帯電話を握りしめる。あまりにも強い力で握りしめてしまっていたので、電話はキシリと小さな悲鳴を上げていた。

「俺だって冗談だと思いたかった。でも残念ながら事実なんだよ。ニィス・ヴェントが、死んだ」
 通話している相手――エディの発言にクルベスは沸き上がった憤りを抑え込もうと瞬間的に歯を食い縛った。

「どうやら聴取の最中に暴れたらしく。揉み合っているうちに取調官が所持していた拳銃で誤ってテメェの頭をぶち抜いたんだと」
「それで『はい、そうですか』って納得できるわけねぇだろ。国家警備隊ってのは脳みそお花畑の連中しかいないのか?」
 怒りでクルベスの声が震える。それが伝わったのかエディは深く息を吐いた。

 

「俺だって納得してねぇわ。不可解な点が多すぎる。だがこれ以上の説明が無い。俺だって現場に居たわけじゃないからその説明以上のことは知りようがないんだよ」
「罪を償うこともなく死んで逃げやがったってことだろ!セヴァもララさんもレイジも皆あいつに殺されたようなもんなのに、何で、ふざけんじゃねぇよ!!」
 電話の向こう側に怒号を浴びせる。エディに怒りをぶつけるのは筋違いだ。彼に責任が無いことは分かっているというのに、クルベスは行き場を失った感情をどこに向ければ良いのか分からず八つ当たりのようにエディにぶつけてしまった。
 クルベスは己の幼稚さを嫌悪し「くそっ」と吐き捨てる。何度か深呼吸を繰り返し、ひとまず落ち着きを取り戻した頃、エディが再び口を開いた。

 

「とりあえず今回の件でもう一人の……ブレナ・キートンのほうの聴取の方法を見直すこととなった。今回のことはいきなり別の部署が担当することになったっつーのにこのザマだからな。従来通り他の部署の人間も交えて相互監視を徹底した上で慎重に聴取をしていこうって方針になったわけだ。そういうわけでこっちも今バタバタしてる。すまんがしばらくそっちに行けそうにない」
 本来ならばこのような事柄は直接会って話すべきだろうがこうして電話での報告になったということは、その時間すらも確保できないほどに慌ただしい状況となっているようだ。

「悪いな。ようやく捕まえられたってのにこんな結果で終わらせて。……あんまり思い詰めんなよ」
 何も言えずにいたクルベスにエディはそれだけ言って通話を切った。

 クルベスは通話を終えた携帯電話を見つめ、今一度大きく息を吐く。携帯電話を机の上に粗雑に置くとそのそばにあるソファに腰を下ろした。

 壁に掛けられた時計の針が静かに時を刻み続ける。いつまでそうしていただろうか。しばらくすると控えめなノックの音と共に「すみませーん。いま大丈夫ですかー」と聞き慣れた声が聞こえてきた。その声に「いいぞ」と応えるとやはり予想していた通りエスタが入室してきた。

 

「今日のっ!報告書の提出に参りましたー。今日も至って問題無しです。あ、ちょっと話しておきたいことがあるんですけど、先に夕食を頂きたいんでまた夜に伺わせてもらいまーす」
 エスタは報告書を手渡し「それじゃあまた」とその場をあとにしようとする。クルベスはエスタの態度に少なからず違和感を覚えた。

 普段ならば「今日こんなことがあったんですよー」と送迎時の出来事やティジたちと交わしたとりとめもない雑談を話してくれるエスタ。だが今日はそんな話をする様子も無く、そそくさと退散しようとしている。
 クルベスは「おそらく電話のやり取りを聞いてしまったのだろう」と察したが、エスタが言及しないのならばこちらも気づいていないふりをしておくことにした。

 そう考えていたのだが何故かエスタが扉の前で立ち止まる。クルベスに背中を向けたまましばし沈黙するエスタ。やがてこちらを振り返りるとスゥっと息を吸った。

 

「弟くんたちは聞いてないですからね!!」
 エスタの言葉にポカンとするクルベス。珍妙奇天烈なエスタの行動に困惑を隠せない。

「何故わざわざ白状するんだ?」
「いや、だってクルベスさんのことだから俺が聞いちゃってたのに気付くかなと思って……でも『弟くんたちも聞いてたらどうしよう』とか心配してたら『大丈夫ですよー。聞いてないですよー』って言っといたほうが安心できるかなー……と」
 エスタは自身の指先をいじり、何故か気まずそうにしている。

「……勝手に聞いてすみません。でも弟くんたちとか関係無い人が聞いちゃうのも良くないかと思って『俺が部屋の前で見張っとけば良いかな』とか思って立ってたんですけど……でもクルベスさんからしたら頼んでもないことを勝手にされてるようなものだし、俺が聞いていい道理も無いし……」
「お前が考えて行動してくれたんだろ。実際そうしてもらって助かったんだからお前が気に病むことなんて無い」
 そう告げるとエスタは心底ホッとした様子で胸を撫で下ろす。それから重ねて「弟くんたちが聞いちゃう前に自分のお部屋に戻らせたんで。そこのところは安心してください」とグッと親指を立てた。

 

「……あ、あとさっきチラッと言った『話しておきたいこと』なんですけど、弟くんたちが学校の食堂に行ってみたいんですって。いちおう念のためクルベスさんに確認しておこうかと」
「あぁ、学校の食堂なら別に良いぞ。あれか、食事に関して毒味とかそういう気をつけることがあるか気にしてんのか?そういうのは特に無いな」
 前に行った旅行や学園祭とかでも普通に食事してただろ、と付け加える。クルベスの補足にエスタは「そういえばそうだった」と得心した。

「王室って変なところで緩いですよね。登下校も護衛は俺ひとりですし」
「それは俺も思ってた。まぁ何もかも規制してたら、かえって不審に思われてティジの素性がばれる可能性もあるからな」
 そういう考えもあるのか、と頷くエスタであった。

 


 第五章の始まりです。ティジたちも二年生になりました。4月3日生まれのティジは17歳になっております。またひとつお兄さんになりました。