14.境目-9

 ルイはベッドに横たわるティジを見つめる。雷が鳴る日のように呻くこともなく、まるで死んでいるかのように眠るその人。毛布が微かに上下していることから呼吸をしているのは確かだが、それ以外の反応が見られないことにひどく心がざわめいた。

 ティジはいまだに目を覚まさない。最後に見た彼の様子はまるで別人のようだった。彼の母親が亡くなった直後……記憶の書き換えをおこなう前も相当なものだったが、それとは比にならないほどのひどい有り様だった。あんな状態に陥ってしまうほどの経験をしたのだ。しかも、初等部に入る前の年齢で。

 

 自分はティジに恋い焦がれていた。いや、今もそうだ。でも……この気持ちは抱えていて良いものなのか?
 ティジを襲ったリエ・サトワという男は暴行の最中に何度もティジに愛を囁いていた。その男も自分と同じようにティジを恋慕っていたのではないか?

 ティジへの気持ちを自覚してから、自分は彼に対してたびたび動揺を見せてしまっていた。時には周囲から見ても非常に分かりやすい反応をしていた場面もあったかもしれない。
 それなのにティジはそれを指摘するどころか、気付く素振りすら見せなかった。

 もしかするとティジの心がそのような気持ちを認識しないようにしていたのかもしれない。彼自身も気づかないうちに、過去の記憶を思い出さないように。

 

「目、覚ましてくれよ……」
 一粒の涙と共に言葉が洩れる。どれほど残酷なことを言っているのか自分でも分かっている。それでも、彼とまた話がしたくて、彼の笑顔が見たくてそうこぼさずにはいられなかった。

 すると、自分の声に呼応するかのようにティジの指先が小さく動いた。

 

「……っ」
 小さく息を吐き、そのまぶたが震える。そのまま見ているとやがて静かにその瞳が開かれた。

「ティ……ジ、ティジ!よかった……!目、覚ました……本当に、よかった……っ」
 紅い双眸がこちらを見つめる。
 不安だった。二度と目を覚まさないんじゃないかって。でも今、ちゃんと意識がある。
 緩慢な動作で起き上がったティジは口を開くも、何か言う前に苦しげに頭を押さえた。

 

「どうした……あ、目を覚ましたのか!良かった……調子悪いところは無いか?気分が悪いとか、頭が痛いとか」
 そこにちょうどクルベスが駆け込んでくる。少し遠慮がちに触れながらティジの容態を診るクルベスの後ろで遅れて部屋に入ってきたエスタも安堵の表情を見せている。何日も眠りっぱなしだったからかティジは困惑した様子で辺りを見回していた。

「ここ、は……」
「医務室だよ。お前、三日も眠っていたんだぞ。ずっとルイが一緒にいて、俺もジャルアもみんな心配してたんだからな。よかった……本当に……ティジ?」
 なおも首を傾げるティジの様子に違和感を覚えたのか、クルベスが今一度呼び掛ける。だがティジは視線を右往左往させるだけ。

 

「ティジ。お前、自分がいま何歳か言えるか」
 クルベスが問いかける。しかしティジはその質問に何も答えない。考える様子は見せているが、明確な回答は一向に示さない。

 もしも十一年前と同様に一部の記憶が消えていた場合、記憶に残っている最後の年齢を答えるだろう。そうだ、何かしら答えられるはずだ。それなのに、ティジは漠然とした年齢すら答えられないでいた。

 

「……自分の名前、分かるか」
 最悪の想像を思い浮かべ、それを必死に否定していた自分の横でクルベスが重ねて聞く。

 しばらくの沈黙の後、ティジは首を横に振った。

 

 ◆ ◆ ◆

 

「どういう、ことだよ」
「記憶がない。全部、なくなってる」
 国王の執務室。クルベスの説明を聞いたジャルアは指先が白くなるほど強く握りしめた。

 あれからティジにいくつか質問をして、それが事実だと分かった。ティジは事件があった一ヶ月の記憶どころかルイやジャルアたちのこと……これまでの人生の記憶が全て消えていたのだ。
『ひどく頭が痛い』とこぼしていたことから自分で記憶の消したことは明白だった。

 

「いますぐ会いに行く」
「会ってどうするつもりだよ」
 忙しなく立ち上がったジャルアを呼び止めると彼は勢いよく振り返った。

「あの子の記憶確かめんだよ!!まだなんとかできるかもしれない!とにかく何かやらないと、こんな力持った意味がないだろ……!」
 記憶に関する知識はジャルアのほうが格段にある。それに実の息子がこんな状態になったと聞いて何もするなと言うほうが酷な話だろう。

「……あんまり、刺激しないようにしてくれ。まだあの子も混乱してる」
 直接あの状態を目にしたほうがつらいだろうに。そんなことはきっと、彼も分かっているはずだ。クルベスの言葉にジャルアは無言でその場を後にした。

 


 エスタさんはルイやティジの前では年上のお兄さんっぽく振る舞っているけれど、クルベスさんとエディさんからするとエスタさんも十分子ども。まだ24歳だし。衛兵に就任した時なんかは20歳(四月時点では誕生日もまだ来てないので実質19歳)でしたからね。
 前回のように弱っている姿を見ると気に掛けずにはいられないのです。