13.境目-8

「まぁ大体何があったかは分かった。それにしても……まさかそっちも同じ物を持ってたとは」
 クルベスから連絡を受け、城に駆けつけたエディ。クルベスの私室で落ち合った彼はクルベスから事の経緯を聞くとため息まじりに呟いた。その口振りから察するに、リエがティジにしおりを渡していた事は国家警備隊も知らなかったようだ。

 

「え、ルイ君学校行ってんの?すげぇな。普通休むだろ」
「俺もキツかったら休めって言ったんだがな……『何も出来ない事が苦しいから、せめて学校行ってティジの分もノートとっておく』って譲らなかった」
 何度も止めようとしたもののルイの意志は固く、クルベスが根負けする形で学校へ送り出すこととなった。

「……もう三日だっけか。いつになったら目を覚ますんだろうな」
 エディの憂いにクルベスは何も言葉を返せない。

 ただ待つことしか出来ない、祈ることしか出来ないという状況がどれほどつらいか。それをクルベスはよく知っていた。
 十一年前にティジが保護された時も。九年前にルイたち一家が襲われて、重症を負ったルイが保護された時も。いずれも自分は一刻も早く目覚めてくれることを願うことしか出来なかった。

 

 そこへ少し強めに扉を叩く音。次いでルイを連れたエスタが飛び込んできた。ルイの顔色はあまり良くない。

「クルベスさん、弟くんが……ってエディさん来てたんですか、お久しぶりです。あぁ、えっとそうじゃなくて。すみませんクルベスさん、弟くん診てくれませんか」
「ちょっとちょっと、どうしたの。学校行ってたんじゃなかったの」
 芳しくない顔色のルイを目にするとエディは即座にソファから退く。そして自分が先ほどまで座っていた場所にルイを座らせた。

「弟くん、お昼頃に気分が悪くなったみたいで。だからちょっと早退させたんですけど……」
 そう言うエスタはルイの背中をさする。容態を診るクルベスにルイは「いい……大丈夫。もう平気」と断る。だが限界まで無理をしていたのか声に覇気が無い。

 

「ただの寝不足だから……それよりティジはどこ」
「まだ眠ってるが……待て待て!そんな状態で動くな!気持ちは分かるが今は何も――」
「何も出来ない……けど、だからって何もしないでいるのも耐えられない。……せめて、そばにいたい」
 ルイはクルベスの声に被せるとゆらりと立ち上がる。一同の静止も聞かずにルイはおぼつかない足取りで扉まで歩いていく。その背中を引き留めようとエスタは慌てて手を伸ばす。

「じゃあ俺も一緒に行くよ。ね?クルベスさんももしお時間あったら一緒に、」
「俺ひとりでいけます……今は一人にして」
 ルイは振り返らずに言葉を吐く。思い詰めた表情のルイにエスタは言いかけていた言葉を飲み込んでしまう。今の発言でエスタを傷つけたと思ったのかルイはハッと我に返ると「……すみません」と一言謝って、部屋から出て行った。

 

 パタン、と扉が閉まる音。足音が段々と遠ざかり、やがて何も聞こえなくなるとエスタは行き場を失った手を下ろした。

「俺、どうしたら良かったんだろ……」
 それはクルベスやエディへ問いかけられた言葉にも、自分自身に向けた独り言にも聞こえる。そうしてエスタはその場にしゃがみ込むと大きく息を吐いた。

「あんな状態の弟くんを一人にするのは心配で……だけど『一人にしてほしい』っていう気持ちもすごく分かるんです。……俺もレイジがいなくなった時はそうなったから」
 顔をうずめたまま、ポツポツと言葉を紡ぐ。

「無理して学校行って……何も出来ない事がきつくて、父さんも母さんも心配してくれてるのは分かってたけど『一人にしてくれ』ってつっぱねて……二人ともこんな気持ちだったのかな……」
 段々と声が尻すぼみになり、最後は秒針の音にかき消されてしまいそうなほどのか細い声になる。
 弱々しい姿をさらけ出していることにより一層情けなくなる。すると上から影が落ちて、狭い視界の中で誰かが隣に膝をつく様子が見えた。丸まっていた背中に手が置かれると、先ほどまでルイにしていたように今度は自分の背中を撫でられた。

 

「……珍しいですね。クルベスさんが頭以外のところを撫でるなんて」
 視界の端で捉えた白衣に呼びかける。
「じゃあ俺が撫でてやろう。おー、よしよし。良い子良い子」
 エディはその言葉とともにクルベスとは反対側に腰を下ろすと荒っぽく頭を撫で回す。クルベスがやるものとは違ってあまりやり慣れていないのか手つきが雑で目が回ってしまいそうだ。

「うぇーん、お巡りさん優しいー。でももうちょっと優しく撫でてほしいー」
「お、結構わがままだな。おら、観念して思いっきり泣いちまえー」
「いや、泣いてないですって……ちょ、うわぁっ!」
 調子に乗ったエディがガシガシと頭を揺さぶるように撫でるので、エスタはバランスを崩して盛大に尻もちをついた。だがそのまま後ろに倒れ込む前にクルベスが咄嗟に背中を支えたので頭をぶつけることは無かった。
 あらわになった顔をエスタは慌てて腕で隠すとグイッと袖で何かを拭ったような動きをする。

 

「……泣いてないです。ちょっと目がかゆくなっただけです」
 二人の視線にエスタはぶつくさと言う。目元は赤くなっている上、その瞳も濡れているので言い訳としてはだいぶ苦しい。

「それじゃあもう少し落ち着いたらルイのところに行くか。ルイはああ言ってたけどやっぱり俺も心配だからな」
 クルベスはポフポフとエスタの頭に軽く手を置く。慣れ親しんだ手つきに内心気持ちが安らぐエスタにクルベスは優しく笑いかけた。

 


 クルベスさんやジャルアさんたちで密かに決められた禁止事項のうちのひとつ「『愛してる』ないしはそれに準ずる言葉をティジに聞かせること」について。
 実際のところ、第一章(10)『四年前』にてティジの母親のユリアさんは亡くなる直前に言いかけて止めてる。でももうミスミソウも見ちゃって思い出してしまっていたのでどちらにしろ手遅れ。