15.淡彩色の記録-1

 目を覚ましたら知らない場所だった。でも知らない場所に連れて来られたのではなく、自分が記憶喪失になっているのだと知ったのはそれからすぐの事。それを教えてくれた眼鏡を掛けた男性は自分にいくつか質問をすると慌ただしく部屋から出ていってしまった。

「ちょっと混乱してるだろうけど大丈夫だからね。あの人はお医者さん。少し確認する事があるから行っちゃったけどすぐ戻ってくるからそれまで一緒に待っていようか」
 男性が出ていった扉を見つめていると傍らにいた男性が優しく声を掛けてくる。

 

「俺はあのお医者さんのお友達。名前はエディ・ジャベロン。普段のお仕事はおまわりさんをしているけど今日は遊びに来ていてね。『エディさん』って気軽に呼んで大丈夫だし、もし難しかったら『おまわりさん』で覚えてくれていいから」
 エディさんという名前のおまわりさんは柔和な笑みで簡単に自己紹介をする。それにペコリと頭を下げて「よろしくお願いします」と言おうとしたが、思うように声が出せず咳き込んでしまった。

「うぉっと……無理に喋らなくて大丈夫だから。ごめん、エスタ君。ちょっと水か何か持って来てくれないかな」
 エディさんは咳き込む自分の背中をさすりながら、部屋にいた金髪の青年に頼む。それを聞いた金髪の青年は「分かりました!」と余裕の無い返事をして、驚くほどの速さで水を持ってきた。エディさんは金髪の青年から水を受け取ると「焦らなくて良いからね。ゆっくり飲むんだよ」と差し出す。
 だが自分の喉はまるで久しぶりに使うかのように動かず、水を飲むのも一苦労だ。自分の置かれている状況や周りの事について色々と聞こうと思っていたがこんな状態ではそれも難しい。

 

 エディさんに寄り添われながら喉の調子を整えているとやがてお医者さんと一緒に茶色い髪の青年が戻って来る。酷い顔色をしている青年は脇目も振らずに自分の元まで歩み寄るとそのまま無言で顔に触れた。

 この人はいったい何をしているのだろう。でも青年は真剣な顔をしているのでそれを聞ける雰囲気ではない。
 気まずさを紛らわせるように視線を巡らせると、先ほどのお医者さんが自分と青年の様子を静かに見守っていた。
 さっき慌てて出ていったのはこの青年を呼びに行こうとしたのだろうか。じゃあもしかしたらこの青年も医療に携わる人なのかもしれない。

 そんなことを考えながら待っていると、自分の顔に添えられていた青年の手がおもむろに離れていった。すでに真っ青になっていたその顔は病人のように青白く、今にも倒れてしまうのではないかと心配になるほどだ。
 そうしてしばらく黙り込んでいた青年はやがて細く息を吐くと、良好とはとても言えない顔色のまま口を開いた。

 

「事情はクルベスから……そこの白衣を着た奴から聞いてる。あらためて自己紹介したほうが良いか。俺はジャルア、ジャルア・リズ・レリリアン。お前の父親だ」
 この人は自分の父親だったようだ。あまりにも若々しく見えたので予想外だった。父さんの名乗りに遅れて先ほどのお医者さんが続く。

「俺はクルベス・ミリエ・ライア。この王宮で医者をやってる。あとはお前の保護者代理として外に関する手続きとかもやってるか。ここで白衣を着てる奴は俺だけだから、白衣を着てたら俺だって思ってくれて大丈夫だ」
 眼鏡の奥の瞳を細めて笑顔を見せたお医者さん――クルベスさんは椅子に座ってもその背の高さが窺える。『白衣を着た背の高い人がクルベスさん』と頭の中で名前と特徴を唱えていると、続いてさっき自己紹介をされたばかりのエディさんが身を乗り出してきた。

「俺は先に済ませたけど一応もう一回言っておこうか。エディです。おまわりさんしてます。このお医者さんときみのお父さんともお友達なんだ。あらためてよろしく」
 エディさんが簡単に名乗り終えると今度は部屋の隅にいた金髪の青年が「じゃあ次は俺が」と手を挙げる。

「俺の名前はエスタ・ヴィアン。エっちゃんでもエーちゃんでも好きに呼んでくれて大丈夫だよ。ここではお城の平和を守る衛兵さんをしてるんだ」
 エスタさんはそう言って「よろしくね」と気さくに笑う。第一印象通り、明るい人柄のようだ。そういえば先ほど咳き込んだ時に水を持って来てくれたっけ。

 

「それで、えっと……弟くん、いけそう?……うん、分かった。ティジ君、この子はルナイル・ノア・カリア君っていうんだ。みんなは『ルイ』って呼んでるかな。俺はちょっと色々あって『弟くん』って呼んでるけど。きみと同い年のご親戚。良かったら仲良くしてあげてね」
 エスタさんは傍らに座っている人――ルイに小声で話しかけた後、彼に代わって紹介をする。ルイは何度かこちらを見るも、結局何も言わずに口を閉ざしたままでいる。心配になって様子を窺っているとそれに気が付いたエスタさんが「寝不足で調子が良くないみたい」と教えてくれた。
 青い顔をしているルイを気にかけていると目の前にクルベスさんが割り込んできた。

 

「あとお前には妹がいるんだが……そっちは後で紹介する。とりあえず日常的に関係のある人間はそれだけだな。ここまでの間で何か気になる事はあったか」
 正直に言うとこの人たちの名前を覚えるので精一杯。見聞きする物の全てが初めて知る事なので、何が分からないのかということも分からない状態だ。気になった事を洗い出す余裕は無い。

「気になる事は沢山ありますけれど……とりあえず一つだけいいですか?」
「敬語じゃなくて良い。いつも通り……肩の力を抜いて大丈夫」
 硬くなっていた自分にクルベスさんは優しく言う。それにエスタさんも「そうそう!もっとゆるい感じで大丈夫だよ!」と応援してくれた。
 とは言われても相手とは初対面のようなものだし、以前はどれくらい親しい間柄だったのかも分からないので難しい。

 

「自分は……何で記憶を失くした、の……?」
 敬語が出てしまいそうになり、一瞬言葉を詰まらせながらも口に出した。

 目を覚ました時からずっと引っかかっていた。自分の名前や年齢はクルベスさんから質問された後に教えられたけど、記憶を失くした原因については全く触れられていなかったのだ。

 沈黙が部屋を満たす。もしかして聞いてはいけない事だったのだろうか。
 早々に失態をおかしてしまった事に気まずくなり、汗ばんだ手を握る。そんな中、痛いほどの静寂を破ったのは父さんだった。

 

「……ここ最近、風邪を引いて寝込んでたんだ。それでやっと目を覚ましたらそうなってた。そうだよな?クルベス」
 父さんはクルベスさんに視線を向ける。その呼びかけにクルベスさんは一呼吸遅れて「あぁ」と頷いた。

「病み上がりなんだからひとまず今はゆっくり休め。その後の事はそれから考えていけば良い」
 そう言って父さんは優しく微笑む。でも心なしかその表情はぎこちなく見えた。

 


 目覚めた後のティジは自分が誰かも分からない、記憶もまっさらな状態なので、クルベスさんたちから色々説明されても「へぇ、そうなんだ」と落ち着いて聞いている。例えるなら映画を見ているような感じ。
 自分のことなのにまるで他人事みたいに捉えている。そんな自分にティジ自身も驚いているようです。