橙色のひととき - 1/2

 突然だが俺こと中等部一年のエスタ・ヴィアンはただいま下校中である。厳密に言うと教室を出たところだ。
 そして隣にはいたく機嫌の悪そうなレイジ。今朝からずっとこの調子である。まぁこれでも一ヶ月前と比べたらだいぶマシになったほうなんだけど。
 ちなみに俺はというと返却された二学期の中間試験の答案用紙を「これを何と言いながら親に見せよう……」と頭を悩ませていた。まぁそんな事はその時になってから考えればいい。悩んでも中間試験の結果は変わらないんだし。

 

「まだ嫌なの?」
 俺の問いかけにレイジは言葉の代わりにため息で返す。『当たり前だろ』って表情で語ってる。そんなレイジに俺は「そっかぁ」と一人頷きながら共に校舎を出た。

 正門に近づいていくにつれてレイジのまとう空気がどんどん刺々しくなっていくのを感じる。そうしてようやく正門に辿り着いた時、レイジの機嫌を損ねている『原因』を見つけた。

 人より頭ひとつ飛び出る高身長。スマートなシルエットをした精悍な顔立ちの男性はただ立っているだけでも絵になり、下校中の生徒たちの目を惹いている。
 俺たちが声を掛けるより先に彼は眼鏡の奥から覗く切れ長の目がこちらを向いた。

 

「おかえり。レイジ」
 柔らかく微笑む男性の呼び掛けに周囲の目が一斉にレイジへと向けられる。注目を一身に浴びたレイジは顔をしかめて不愉快そうに唸った。

 こんな態度をされても男性はさして気分を害した様子も無く隣を歩く。すっかり慣れているのだろう。
 それもそのはず。この男性はレイジの伯父、クルベス……なんだっけ、フルネームをド忘れしてしまった。とりあえずクルベスさんだ。レイジが物心つく前から成長を見守ってきている伯父さんなのである。

 先日、伯父さんの誕生日プレゼントを買いに出掛けた際にレイジが危ない連中に襲われかけた。あの一件から彼の伯父さんやご両親が学校の送り迎えをしているのだ。
 かれこれ一ヶ月が経ち、あの時に負った怪我もすっかり治っていたがレイジはいまだにこの調子である。

 

「レイジ、今日の学校はどうだった?」
「別に普通。いつも通り」
 伯父さんからの質問にも無愛想な返事をする。そういえば、レイジが愛想を振り撒いているところなんて見たこと無いな。弟くんに対しては愛想とかじゃなくて素であの感じだし。

「エスタ君、今日レイジはどんな様子どうだったかな」
「授業で当てられてたけどスラスラ答えてましたよ。あとお昼もちゃんと食べてました。食堂のタルトも『初めて食べたけどおいしい』って」
「おい、そっちに聞くのは反則だろ!」
 俺に話題を振ってきた伯父さんに、すかさずレイジが声を張り上げる。
 ちなみにこのやり取りはこれが初めてではない。何度かやっている。レイジも伯父さんが自分の事を心配して聞いていることはちゃんと分かっているのだろう。

 俺も聞かれたら応えたいので学校でのレイジの様子を簡単に話す。でもあんまり知られたくなさそうな事は言わない。例えばお昼の時に弟くんの話をめちゃくちゃしていた事とか、授業中も弟くんの事を思って窓の外を見たりしてるとか。
 でもこの伯父さんなら多分言わなくても分かっていそう。何となくだけどそんな気がする。

 ◆ ◆ ◆

 テーブルを挟んで目の前のレイジは大層な膨れっ面。ここまでの仏頂面でもその顔の良さは一切損なわれない。綺麗な不機嫌な顔ってなに?

 そんな事を考えながら手持ち無沙汰に教科書をパラパラとめくる。いつもならば学校が終わったらそのまま帰宅するのだが今日は違う。自宅を通り過ぎてレイジの家にお邪魔させてもらっているのである。
 週末にしてもらってる勉強会とは異なり、レイジの部屋でただのんびりと過ごすだけ。たまにはこういう日があっても良いよね。

 こうなった経緯はと言うと、昼食時に「今日は親が帰ってくるの遅いから夜まで一人なんだー」と話したら、レイジが「……じゃあウチ来るか?」とらしくもない事を言ったのだ。「熱でも出てる?」と体調不良を心配したらそれはもう氷の女王さながらの絶対零度の目を向けられたが。あ、氷の女王といえば……。

 

「なぁレイジ、そういえば今日ってさ……」
「大体あいつ、自分が目立つって自覚してねぇんだ。何でそんな事も分からないんだか」
 レイジの言う『あいつ』とは伯父さんのことだろう。レイジは相当ご機嫌ナナメらしく、俺の声も聞こえてない様子でぶつくさと文句を言っている。

「突っ立ってるだけでアレだぞ?なのにあいつときたら呑気に『おかえり』だとか……こうなるって分かってたから嫌だったんだ」
 そこまで一気に喋ってレイジは深いため息を吐いた。伯父さんに周囲の注目が集まってしまうことはレイジもある程度は予想していたみたいだ。
 そうぼやくレイジのほうこそ普段からその非常に整ったお顔で周囲の視線を奪っているのだが。俺としてはそっちのほうを自覚してほしいけどたぶん無理だ。

 

「まぁあんだけ背が高いと目立つよね」
「図体がデカいのもそうだし、見た目も言動もそうだし……もっとテメェの良さを自覚しろってんだ」
 ……おや?聞き間違えかな。でもレイジは訂正する様子も無い。

「いっつも周りのこと見て動いてるくせして自分のことになると全然気付かねぇ。近頃はあいつの噂まで聞くし……あの身長で顔も良い上、超が付くほどの世話焼きだし、待ってる間も困ってる奴を見かけたら助けてるとか、そんなの目立つに決まってる。てかそんな愛想振り撒いてたら他の奴らが放っておくわけねぇだろ。こっちには『気をつけろ』ってしつこく言ってるくせに、人のこと言えねぇだろうが」
「……レイジさん?どしたの?」
 まじで熱出てる?と本気で心配した俺をレイジは「は?」と鋭い眼光で睨みつける。困惑している俺の顔を数秒間見つめ……そこでようやく自分が何を口走ったのか理解したようだ。

 

 大きな音を立てて立ち上がる。テーブルの上に置いてあった教科書が少し浮くほどの勢いに目を丸くしていると、全身を小刻みに震わせたレイジが口を開いた。

「用事、思い出したから、席はずす」
 レイジはカタコトでそれだけ言うと逃げるように部屋を出て行ってしまう。なお、彼は耳まで真っ赤になっていた。

 ……まぁあの伯父さん、格好いいもんね。レイジのこともすごく気にかけてるし。俺が緊張しないように気さくに話しかけてくれるし。なんだろう、頼れる大人って感じ。あとお医者さんだっけ。じゃあ頭も良いのか。すごいな。

 

 それはそうとレイジは伯父さんだけが目立ってると思ってるみたいだけど、そんなこと無いからな。
 レイジの帰りを待ってる伯父さんがモデルばりに格好いいから目立ってるのは合ってる。でもそこへ学校でもめちゃくちゃ噂になってる美人さんがやって来て、親しげに話しかけられてる状況に驚いてるんだからね?
 レイジは気付いていないけれど、巷では『あの男性とレイジはいったいどういう間柄なのか』って騒がれてるんだぞ。

 とりあえずレイジが落ち着くまで……戻ってくるまでダラダラしとこ。戻ってきてもさっきの事は下手に触れないほうが良いのかな。
 うん、そっとしておこう。触らぬ神に何とやらだ。