若芽の夢語り - 2/3

「じゃああらためて。俺の名前はティルジア・ルエ・レリリアン。よろしくね、ルイくん」
 ティジは幼いルイと向き合って手を差し出す。
 日頃のティジとルイの関係性は周囲から見てもその仲の良さがうかがえるほどだが、この幼きルイはティジと初対面だ。この子からしたら自分よりうんと年上の知らないお兄さんである。

 ルイは差し出された手を握り返して「ぼくルイ!ルにゃいりゅ……ルナイル・ノア・カリアっていいます!」と途中で噛みながらも自分の名前を言う。そうして盛大に自分の名前を噛んでしまったことに頬を紅くしながら「よろしくね」と笑顔を見せた。
 この様子だと自己紹介をする前からティジが自分のことを「ルイ」と呼んだことに何の疑問も抱いていないようだ。

 

「みんなからは『ティジ』って呼ばれてるけれど、ルイくんが呼びやすい名前で呼んでくれていいからね」
 おそらく言いにくいだろう、と考えてルイに「好きなように呼んで」と笑いかけるティジ。するとやはり幼いルイにはその音の並びは難しかったのか「それなら……」としばし考え込む。

「うーん……じゃあえっと……ティジお兄ちゃん!」
「そこはテっちゃんとかじゃないの!?」
 すかさずエスタのツッコミが入る。そして乱入してきたエスタは「俺の……『エスタだからエっちゃん』って法則から考えてさぁ……!」と床に崩れ落ちた。

「それなら俺も一回ぐらい『エスタお兄ちゃん』って呼ばれてみたいよぉお……!」
 顔を歪ませて床にうずくまるというなんとも情けない格好で己の願望を叫んでいた。

「エッちゃん……エスタお兄ちゃんって呼んだほうがいい?」
「ううん、大丈夫……弟くんがつけてくれた『エっちゃん』って呼び名が一番だよ……ごめんね、気を遣わせちゃって……」
 六歳の子どもに気を遣わせてしまった事実により一層ダメージを負いながらヨロヨロと立ち上がり、再びクルベスの手伝いに戻っていった。

 ちなみにクルベスは今どこにいるかというと、ルイの部屋に間仕切りを運び込み、それを隔てた向こう側で調べ物の真っ最中である。こんな奇妙な状況になったのはクルベスから「これならルイに何かあってもすぐに様子を見に行けるだろ。大丈夫。ルイにはぜったい今回の事態を気付かれないようにするから」という説得をされたからだ。
 その弁明にティジとエスタは『なんだかんだ言って結局ルイ(弟くん)のそばにいたいってことかな』と邪推したが口にはしなかった。

 

「じゃあ何をしようか。ルイくんは何かしたいことはある?」
「うーん……したいこと……うーん……」
 クマのぬいぐるみをモフモフと抱きしめながら頭をひねる。ここに何があって何ができるのかも全く知らない状態のため、すぐには思いつかないのも無理はないだろう。
 そんなルイの様子をティジは『この頃からクマのぬいぐるみを大切にしてるんだなぁ』と微笑ましい目で見守る。そうしているとルイははたとティジの顔を見上げ、そのままジーッと見つめ始めた。

「どうしたの?」
 ティジは大きなおめめをパチパチと瞬きながらこちらを見つめるルイに問いかける。するとルイはふにゃりと顔を綻ばせ、口を開いた。

「ティジお兄ちゃんのおめめと髪、綺麗だなーって。妖精さんと同じでとっても綺麗で好き」
 ルイの言葉にポカンとするティジ。その様子に「あれ?」とルイは小首を傾げる。

「もしかして男の子と妖精さんのお話しらない?あのね、ぼくがとっても大好きなお話で……お兄ちゃんがよく読んでくれるお話なんだけどね……えっと……」
「大丈夫、知ってるよ。……ありがと。そう言ってくれてすっごく嬉しい。あのね、実は俺もあのお話好きなんだ」
 柔らかい笑みを浮かべてルイの頭を撫でる。ルイもティジが喜んでくれていると分かり、嬉しそうに笑った。

 

 そういえば以前にも似たような状況があった気がする。ルイがこの城に移り住んで少し経った頃、庭園で魔術について教えていた時に。

 あの時も今と同じように自分の見た目を綺麗だと……好きだと言ってくれた。自分とほとんど初対面と言っていいような関係性でも、歳が違っても同じように言ってくれるのか。

「それならあのお話を読もうか。あれなら確か書庫にあるから。取りに行くからちょっと待っててね」
 ルイのことをエスタに頼み、扉に手を伸ばす。扉を開けようとした時「ティジ」とクルベスに呼び止められた。踵を返して間仕切りの向こうから顔を覗かせていたクルベスの元へと向かう。

 

「ティジ。無理しなくていいからな」
「え……何言ってるの、クーさん。別に俺、無理なんてしてないよ」
「顔、少し緊張してる」
 慌てて顔に手を当てる。なるべく平常を装おうとしたがクルベスにはすぐに見抜かれてしまったらしい。

 ルイに無邪気な好意を向けられて、嬉しかったはずなのに。それをまるごとかき消すかのように深く濃い『黒』が心に影を落とした。

 幼いルイの姿がかつての自分を見せられているようで。

 きっと自分も先ほどのルイと同じように――……。

 それに対しておこなわれたこと、与えられたものの数々が脳裏によぎってしまった。

 自分の異変を気づかれてしまう前に、ルイに心配されてしまう前に『本を取りに行く』という名目で席を外そうとしたのだ。

 

「俺は味方だ。俺だけじゃない。エスタもジャルアもサクラも……もちろんルイだって。みんなお前のことを大切に思ってるから。ちょっとキツイって思った時は周りに助けを求めていい。すぐに助けに行くから」
 クルベスの最後の言葉に、ティジは息をのむ。そして数度の瞬きの後、喉まで出かかっていた「大丈夫」という言葉を飲み込んだ。

「ありがとう。ちょっとね、ほんの少しだけ……でも今はまだ……うん、まだ動ける。自分の足で立てる。けど少ししんどいってなったら……ちゃんと言うよ。ありがと、クーさん」

『相手を心配させないように』と取り繕った笑顔ではなく、心からの感謝と『その言葉だけで俺は安心できたよ』という気持ちを含めた笑みを見せる。

 さて、間仕切りの向こうから楽しげな声が聞こえるがあまり待たせ過ぎてはいけない。少し休んだら本を取りにいこう。