02.大人しく

「ティジ!」
 慌ただしい足音の後、医務室の扉が勢いよく開け放たれた。
「おい、そんな開け方したらドア壊れるだろうが」
 医務室に飛び込んできた人物をクルベスが見咎める。
「ケガ、したって聞いて……っ」
「大したケガじゃないから大丈夫だよ。クーさんの治療ももう終わったし。だから落ち着いて、ルイ」
 ティジの様子を見て安心したのか、ルイはゆっくりと呼吸を整えた。

 ルイ ――ルナイル・ノア・カリア―― はティジと同い年の幼なじみかつ親戚である。8歳の時から一身上の都合によりこの城で暮らしている。
 毛先に少しクセのあるダークブラウンの髪に蒼い瞳を持ち、その顔立ちは非常に整っている。だがしかし本人はその自覚が(何故か)全くないため、心配でならないとルイの伯父にあたるクルベスは語る。
 ティジとは城の外でも中でもだいたいいつも一緒に行動する。
 ルイが言うことには、一人にするのは心配だから、らしい。事実、今回の墓参りもかなり渋っていた……正直、過保護なんじゃないかと思う、とこれもまたクルベスの述べるところである。

「ほんとに、大丈夫なのか?」
 ひとまず呼吸を落ち着かせたルイがうかがう。
「本当に大丈夫!あ、なんなら触ってみる?」
「アホか。まだ塞がってないんだから下手すりゃ血ィ出るぞ」
 ソファから立ち上がろうとすると「大人しくしていろ」とクルベスに諫められた。
「冗談で言ったんだけど……」
「で、いったい何があったんだ」
 ルイはふて腐れる俺の隣に腰かけ、その蒼い双眸でクルベスを見つめた。
 あの後、状況確認のため俺と父さんから事のあらましを聞いていたクルベスがルイに説明する。クルベスの話すことを一言一句聞き逃さぬよう、真剣な面持ちで聞くルイ。俺はそれを眺めながら、数時間前の出来事を思い出していた。

 

 ――レイジによる襲撃の後、城へと戻る車にて。
「父さん」
「……」
 後部座席に座るティジは運転するクルベスの隣にいる父に声をかける。
「ねぇ、父さん」
 何度呼び掛けても返ってくるのは沈黙のみ。
「父さんはあの人のこと知ってるの?……知ってる、はずだよね。じゃないとあんなすぐにクーさんに連絡するわけないもんね。あの人、レイジって誰なの?」
 車内があまりにも静かだから、自分はマネキンにでも喋りかけているのではないかとすら思ってしまう。
「何か言ってよ、ねぇ!」
「ティジ、危ないぞ」
 後部座席から身をのりだそうとするのをクルベスに咎められ、大人しく座り直す。
「……父さん」

 どうして黙ったままなの?俺には、何も話してくれないの?
「応えてよ……っ」
 不安と悲しみで視界が滲んだ。

「……ティジ」
「――っ!」
 父に名を呼ばれ、俯いていた顔を上げる。
「しばらくお前は外に出るな」
 予想だにしていなかった言葉に息を呑んだ。
 
「それと、俺の所にも来るなよ」
「な、なんで……」
 分からない。理解が追い付かない。
「また同じような目に遭わないように、だ。事が落ち着いたら外出できるようにする」
「でも、学校はどうするの?それに父さんに会っちゃいけない理由が分からないよ!?」
 淡々とまるで他人事のように父の口から紡がれる言葉に気が動転してしまう。そんなティジをなだめるように運転席に座るクルベスが声をかけた。
「お前の学力ならちょっとぐらい休んだって大丈夫だろ。それとコイツにはコイツなりの考えがあるから、お前は何も心配しなくていいんだよ」
 分かっていたことだが、クルベスは父の味方のようだった。
「……クーさんは何か知ってるの?」
「さてね、そろそろ着くぞ。多分ルイが心配してるだろうから、早くそのケガ治さないとな」

 

 ――そして現在。
「クーさん、本当は何か知ってるよね?」
 だいたいのあらましを話し終えたクルベスを見やると彼は眉間にシワを寄せた。
「しつこい。いいから大人しくしてろ」
 なおも食い下がるティジにクルベスは大きなため息を漏らす。
「それよりお前、魔術使ったんだろ?」
「あれは正当防衛だから仕方なかったんですー」
 あからさまに話を逸らそうとする様子にむくれる。
「お前は魔力のバランス崩しやすいんだから魔術使うのはしばらく控えろよ」
「……でも今日と同じようなことがあったら使わざるを得ないけど」
 口を尖らせるティジにクルベスは「だーかーら」と投げ掛ける。
「そんなことが起きないように大人しくしてろって言ってんだ」
 そう言いながらクルベスは文句を垂れるその頬を両手で挟んできた。痛くはないけれど、かなり強い力で挟んでくる。顔は笑っているが相当ご立腹のようだ。

 この世界の生き物は皆『魔力』を持って生きている。
 魔力は血液と共に体内を駆け巡っており、魔術は体内の魔力を使うことで発動させることができるのである。だが魔力は生命の源でもあるため、無尽蔵に使うことは自らの生命力を削ってゆくことと同等の意味となる。時間をおけば消費された魔力も回復するが、最悪の場合死に至る危険がある。
 また、体内に保有する魔力の量は千差万別であり、魔力を多く持つ者ほど強力な魔術を発動することが可能なのだ。

 ティジは生まれつき体内に保有している魔力が文字通り桁違いに多い。そのため魔術を発動すると体内の魔力のバランスが不安定になり、倒れてしまうことがあった。これも魔力を保有しすぎる故の代償といったところだろう。
 まぁ何にしろ魔術を使い過ぎなければ何の問題もないのである。

 クルベスの白衣のポケットが内側から鈍い音を立てながら振動する。そこから携帯電話を取り出し画面を見るやいなやティジとその隣に座るルイに向き直った。
「ジャルアからお呼びだしだ。ちょっと行ってくる」
 それだけ告げて足早に部屋から出ようとする。ドアノブに手をかけたところで、ふと何かを思い出したかのようにソファに座るティジたちの方に振り返った。
「ついてくるなよ。てか、つけても分かるからそこで大人しくしてろよ。ルイ、こいつが何かしでかさないように見張っててくれ。絶っ対に、この部屋から、出るんじゃねぇぞ」
 これ以上にないほど入念に釘を刺してから行ってしまった。

「すごい気迫だったな……」
「うん」
 呆気にとられるルイに頷く。約束を破って部屋から出たら、これ以上にないほど怒られるだろう。
「……ルイ。あのさ」
「ん?」
 蒼い瞳と目が合う。
「いや、何でもない」
 喉まで出かけていた言葉を飲み込み、笑顔で首を振ったがルイは心配そうにこちらをうかがってくる。
「どうした?もしかしてまだ傷口痛むのか?」
「それは平気。大丈夫だから」
 なおもこちらを見つめるルイの視線に気まずくなり、顔を逸らした。

 墓地でクーさんはあの人のことを『レイジ・ステイ・カリア』と呼んだ。姓がルイと同じ『カリア』
 ルイは8歳の時に何者かによって両親を殺され、この城に移り住むことになったという経緯がある。そして同時に事件の日、ルイのお兄さんは大量の血痕を残して行方不明になった。

 墓地であの人を見たとき、何故かルイの顔を思い出した。いま思い返してみれば、あの人がルイと似ていると無意識に感じたからなのではないか。
 でも……墓地で言っていたあの人が言っていた『4年前』のこと。何かを知っている口振り。いや、まるで目の前で見てきたかのような言動。
 もしかして母さんは病気で亡くなったのではなくて、本当はあの人が――

 自分でも突拍子もない考えだと分かっている。だって自分の記憶が正しければ、母さんは確かに病気で亡くなったはずだ。
 記憶が、正しければ……。

『だってきみのお父さんはこの国一番の忘却魔法の使い手だもんね』

 ルイに『お兄さんはどんな人なの?』と聞いて見ることは容易い。俺が見たレイジがルイのお兄さんと特徴が一致しないかもしれない。でも、もしかしたら?
 それに、ルイの心の傷を抉るようなことはしたくない。
 ――だから、このまま何も言わないほうがいいんだ。

 

「調査した結果、あいつはレイジ・ステイ・カリアで間違いなかった」
 手元の書類に書かれた事項を淡々と読み上げる。整頓された執務室の中、クルベスの報告を静かに聞くジャルア。
「言動・動機ともに支離滅裂でマトモな会話は見込める状態じゃない。だから今のところ隔離病棟に収容されている……だそうだ」
 読み上げた書面を執務机に置いた。ひどい顔色をしたジャルアはその書類を手に取ることもなく。
「で、今回の件についてまた元老院の奴らが――」
「……ティジは」
 うつむき今のいままで口を閉ざしていた、ジャルアが小さく呟く。
「ティジは、どうだった」
 息子の様子を伺うその声はわずかに震えていた。
「ルイに普通に接してたよ。傷も1、2週間もあればキレイに塞がるだろうな」
 あの子は結構傷の治りが早いし、と付け足すもジャルアの表情は晴れない。

「でも、4年前のことを思い出すのも時間の問題だ」
 ジャルアは絞り出すような声でそう呟いた。なだめようとするクルベスを意にも介さず続ける。
「……ルイには、本当に酷いことを強いていると思ってる。でも、あの時はもうこの方法しかないって、ティジが壊れていく姿は見ていられなかった……っ!すまない、本当に……ルイも、お前にも……!」
 クルベスは泣きすさぶジャルアの前にしゃがみこみ、その顔を見上げた。

「落ち着けって。あの時はああするしかなかった。他に最善の策なんてなかったんだ。ルイも受け入れてくれたし、俺だって賛成しただろ?お前が独断で決めたことじゃない。みんなで選んだ。だから一人で何もかも抱えこもうとするな」
 王として、親として、友として強くあろうとする不器用な奴。一番辛いのは、お前なのに。

 割れ物を扱うかのようにそっと頭を撫でた。

 

 一方、医務室では。
「……」
 三人掛けのソファーに座るルイはいつの間にか隣で眠ってしまっているティジを見つめていた。頭に巻かれた包帯が痛々しく映る。自分がその場にいれば、こんな怪我を負わせることも無かったかもしれないと思うとそんな自分に歯がゆさを覚えた。
 すると背もたれに体を預けて眠るティジの体が傾き、ルイに寄りかかる。突然のことに動揺するが、変わらず寝息を立てるティジを起こすのも悪いのでそのままにしておく他なかった。

 実のところルイはティジのことが好きである。それは友愛などの類いではない方向の「好き」であった。
 それを自覚したのはルイが13の時。それまでは親友や家族に近しい関係で接してきていた。でも段々とあの屈託のない笑顔に、明るく呼び掛けてくるあの声に、優しく握られる手に、その姿に惹かれていった。
 最初はあんな辛いことがあったのだから放っておけないという気持ちが過剰に働いただけだと思っていたが、そうではなかった。

 傍にいたい、守りたい。そうして気づいた時には「好き」になっていた。しかし今の関係が壊れることを恐れてその気持ちを伝えられず、はや三年が経とうとしている。
 ましてや相手は国王陛下の第一子。将来は国を背負う立場の人間だ。言えるわけがない。それに、無闇に困らせてしまうようなことはしたくない。

 お前はどう思ってんのかな、とルイはひとりごちた。
 日常のふとした言動を振り返ってみるもおそらく、いや確実に自分のことは友人としか見ていないと考えられた。本人に直接聞いたわけではないが。この気持ちを言うことも相手がどう思っているのかも聞くことができない、そんな自分が不甲斐なく思えた。

 ルイの右肩に体を寄せて眠っているその顔を見つめる。ふと『怪我をしているのに頭を圧迫させるのは良くないだろう。せめて横に寝かせておくか』と考えた。とりあえず膝の上に寝かせておけば良いだろうかと思い、ティジの体を倒すため起こさないよう白い髪にスッと手を添えると医務室の扉が静かに開かれた。
「お、ちゃんと居る。言い付け守って……」
 ドアノブに手を掛けたまま硬直するクルベス。

「あー……お取り込み中だったか、邪魔したな」
「おい待て、何か勘違いしてるだろ」
 一呼吸置いてそっと部屋から出ていこうとするクルベスをとりあえず呼び止める。ちなみにクルベスはルイがティジを好きだということは知っている。
「そうだよな、お前も今年で16になるんだもんな。歯止めが効かなくなることもある。大丈夫よーく分かるから」
 何が『よーく分かる』のか。目も笑っているしからかってるのは明白だ。
「でも無理矢理は良くないな。相手の同意は得ないと」
「自分の弟の子供を茶化して楽しいか?」
 流石に我慢ならない。ティジが起きてしまわないかヒヤヒヤしてるのも知らないで。……いや、それも分かってからかってきているのか。

「冗談だって。それにお前はそんなことしない誠実なやつだって分かってるし」
「……冗談にしてもタチ悪い」
『誠実』と真正面から言われ、むず痒い気持ちになるのを誤魔化した。
「顔、真っ赤」
「怒るぞ」
 なおも茶化してくるクルベスに渾身の睨みを利かせるも「おー怖い怖い」と軽く流される。それにしてもおかしい。普段はこんな人の色恋沙汰を使ってからかうことなど滅多にしないのに。
 そう訝しむルイを横目にクルベスはローテーブルを挟んだ向かいのソファーに座った。

「これからどうするのか、話し合った」
「――っ」
 何を、とは聞かない。ルイには聞かなくても分かっていた。クルベスは眠るティジを一瞥する。

「俺たちはこのまま何も手出ししない。隠すのはもうやめることにした」
「……そう、か」
 いつかこんな時が来るのかもしれないとは考えていた。それでも――
「ティジはそれで大丈夫なのか」
「どうだろうな。こればっかりは俺にも分からない」
「――っ、それは無責任が過ぎるだろ!本人が望んだ訳でもないのに……!」
 それでは振り回されるティジが不憫だ。そう声を荒げたが。

「でもどっちにしろこのまま隠し通すのはもう無理なんだよ」
 クルベスは苦々しい顔でルイを見つめる。
「精神にだって多少は負担をかけている。長引かせれば長引かせるほどボロは出るし厄介なことになっていく。なぁルイ、これは単純な問題じゃないんだよ」
 子供に諭すように告げるクルベスに苛立った。
「それは俺にだって分かってる。それでも順序ってもんがあるんじゃないか?何もこんな突然やめるなんて」
「じゃあ厳しいことを言うが、それはいつだ?それこそ意図していないささいなことで4年前のことを知ったらどうする?誰も駆けつけられない状況だったら?取り返しのつかない状況になってからじゃ遅いんだぞ」
「そ、れは……でも」
 語気を強めるクルベスに気圧され目を逸らす。図星だった。返す言葉もなく、口をつぐむことしかできない。

「幸いにもティジは今の状況に少なからず疑問を持ってる。受け止めようとしている気持ちはあるんだ。何も準備できてないよりかは幾分かマシだ」
「それでも、受け止めきれなかったら?また、あんなふうになったら……」
 あんな痛々しい姿のティジはとても見ていられない、という言葉が喉まで出かけたが飲み込んだ。
「そうはならない、とは言いきれない。けどあの時と比べてもティジは成長してる。信じよう。勝手かもしれないけれど」
 それは『可能性に賭けるしかない』ということを示していた。

「それに、もし一人じゃ受け止めきれなかったとしても、お前もいる。みんなで出来る限り支えてやろう。――本当のことを知るときは必ず来るんだ」

 取り返しのつかない選択は4年前に済ませた。いつかはこうなるって薄々感じていた。
 それでも、不安は拭えなかった。

 


今回はルイとその伯父クルベスがよく喋ります。