03.いつかの夢

 庭園の一角に白いベンチが置かれている。そこに座ると咲き誇る花たちと吹き抜ける風が心地よくて。僕の一番のお気に入りの場所だ。

 その日、僕はそこで泣いていた。
 どれぐらいの時間、そうしていたか分からない。隣に寄り添うルイが心配そうにしている。

 ごめん、ごめんね。でもどうして泣いているんだっけ。
 そうだ。母さんが死んじゃったからだ。悲しい。寂しい。でも何よりも罪悪感で涙が止まらない。

 本当にそれだけ?

 違う。怖い、怖いんだ。
 雷が。「あの人」が。真っ黒としたナニカに呑み込まれるあの感覚が。
 ――これは、何の記憶?

 わからない。頭の中がグチャグチャだ。でも涙は止まらない。
 もう嫌だよ、全部自分が悪いんだ。自分がいたから、おかしくなってしまったんだ。消えてしまいたい。自分がいなければ、母さんだって……。

「……ティジ」
 泣き腫らした顔を上げると、ルイの表情が見えた。涙で周りの景色はボンヤリとしか見えていなかったけれど何故かその顔だけはよく見えたんだ。

「ごめん……っ」
 ――それは、とても哀しそうな顔をしていて。

 

「ん……」
「お、起きたか」
 クルベスの声がする。目を開けると、ルイの膝を枕にしていたことに気づいた。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
 体を横たえたままルイを見上げる。さっきまで夢を見ていたようだが、その内容はほとんど覚えていなかった。
 でも一つだけ、あの哀しそうな表情が頭にこびりついて離れない。
「どうかしたか?」
「……何でもない。ちょっとボーッとしてた」
 とっさに嘘をついた。あの夢は何だったのだろう。
「二人ともココア飲むかー?」
「飲む!」
 クルベスの声に勢いよく体を起こして応える。あやうくルイに頭突きをお見舞いするところだったが何とか避けてくれたことで事なきを得た。

 ――場所を変え、庭園にて。
「はぁーあ、いつまで外に出られないんだぁー」
 ティジの嘆きは清々しいほどの青空に吸い込まれた。
「しょうがないだろ。安全のためなんだから」
「それは分かってるけれど……でも図書館に行きたい、本が足りないぃ……」
 庭園のベンチに背を預け、空を仰ぐ。
「それに学校に入って一ヶ月経ってようやく慣れてきたのに……」
「まぁそればっかりは、どうにもならないな」
 でも外に出られないのはルイも同じだ。自分ばっかり弱音を吐いてはいられない。
 そよ風が庭園に咲く花を揺らし、その香りを運んだ。
「とにかく今は外出できない分、この中でできることをやらないと、か」
 そう呟いたものの幼少の頃から好奇心が旺盛なティジ。生まれてから16年の間でこの城の中のことは知り尽くしていた。この中で(クルベスに怒られない範囲で)できそうなことなどたかがしれているだろう。
 それでも空元気でもいいので自分を鼓舞させなければ。そうしないとこのまま暗いことばかり考えてしまったら、本当に気が滅入ってしまいそうだった。

 

 ――それから数日後、クルベスはある場所に訪れていた。
 そこは隔離病棟の一角、はめ殺しの窓が一つついた白い無機質な部屋。他にあるものは病人用のベッドがひとつだけ。物が無いがゆえに圧迫感を受けてしまいそうな空間だった。
 クルベスは壁に背を寄せ、ベッドを見据える。その上で身を起こすのは件の青年、レイジ・ステイ・カリア。
 国家警備隊が彼の事情聴取を行っていたのだが、突然「気が変わった」と言って『クルベスが相手でないと話したくない』とだんまりを決め込んだのだ。苦渋の判断の末、クルベスに協力を仰いだ。
 レイジからするとクルベスは自身の父親の兄、伯父にあたる関係だ。近親者ゆえに話せることがあるのかもしれない、国家警備隊のそんな思惑は百も承知でクルベスは協力に応じた。
 レイジの弟であるルイには、声をかけなかった。ルイならばきっと兄に会いたいがゆえに、即座に返事をするだろう――だからこそ、会わせられなかった。
 8年前、ルイの家は何者かに襲われ両親は死亡し、ルイ自身も右腕に跡が残る大怪我を負った。その時レイジはマトモな処置をしないと死んでしまうほどのおびただしい血痕を残して姿を消した。

 クルベスは8年前の面影を残した彼の顔を見つめた。粗方のことは国家警備隊が聞き出せていたため、簡単な確認程度の質問だ。
「レイジ・ステイ・カリア。その名に間違いはないな」
「間違いないって。何度聞かれても名前が変わることはないよ」
 変わったらそれはそれで面白いけどね、とカラカラと笑う。彼がそんな笑い方をするのは見たことがなかった。
「お前の家族構成は」
「両親と弟が一人。あー、でも親はどっちも死んじゃったんだっけ。ていうか俺の父親はあんたの弟じゃん。こんなこと知ってるでしょ?」
 幾度となく繰り返された応酬に飽き飽きとした様子で答える。自身の家族構成も迷いなく答えられることに加え、先日の調査結果。その全てが目の前の青年が甥の『レイジ・ステイ・カリア』であることを示していた。

「今回の動機はなんだ」
 自身の胸の内を悟られないよう努めて冷静な声で質問を続ける。そんな心境も露知らず、レイジはおどけた口調で返す。
「4年前に仕留め損ねたからって言ったじゃん。あの白い髪の子から聞いてないの?」
「質問にだけ答えろ。無駄なことは喋るな」
「うわぁ、伯父さん怖ーい」
「他に目的はなかったのか」
 大げさに肩を震わせるレイジを無視して質問を続ける。お前は俺のことを親しげに『伯父さん』なんて呼ぶ奴じゃなかっただろ、という言葉は飲み込んだ。
「……目的は4年前と全く同じだよ。何一つ変わっちゃいない」
「じゃあその4年前の目的はなんだ」
「……知りたい?」
 そう言い、口元に弧を描いて立てた膝に頬杖をつく。数度まばたきをしてからゆっくりとその口を開いた。

「しいて言うなら……あの見た目だから」
「……どういうことだ」
 国家警備隊相手には語ろうとしなかった4年前の目的。王子という身分でもなく、また墓地でレイジが言ったという『なんとなく』という無差別な理由でもない、新たな目的。
 見た目?確かにティジのあの髪と瞳は他に類をみないものだ。それが目的になるのか?
 考えあぐねるクルベスの様子を観察し、レイジは一際明るい笑顔を浮かべた。
「おっしえなーい!」
「お前――っ」
 こちらの反応を楽しむかのようなふざけた態度につかみかかりそうになったが、すんでのところで踏みとどまった。そんなクルベスを面白そうに見つめるレイジ。
 だめだ。相手のペースに呑まれるな、と自分に必死に言い聞かせるが心が追い付かない。

「この8年間、どこいってたんだ」
「……もしかして心配してたの?」
 無邪気な様子で問うレイジに何かが切れた。
「心配しないわけ無いだろうが!あの日、お前の親は殺されて!ルイも瀕死の重傷だった!なのにお前は尋常じゃない量の血の跡だけ残していなくなって!俺もルイもずっとお前のことを心配してたんだぞ!!それなのに――」
 白衣を握る手に力がこもり、シワがよる。

「……それなのに4年前のあの日、突然戻ってきてあの白い子のお母さんを殺してしまったのは何でだって?」
『殺した』その言葉に体が固まった。
 分かってはいた。だがいざその言葉が彼自身の口から出ると、彼が取り返しのつかない罪を犯したという事実を改めて突きつけられた気がして。

「ねぇ、今どんな気持ち?大切な弟の忘れ形見を取り調べるのって。あぁでもあの白い子もそのお母さんもあんたにとっては大切な家族みたいなものだもんね。だったらその二人に危害を加えた俺のことは憎んでるのかな?それとも悲しい?許せない?」
 身を乗り出し嬉々として語るその姿をクルベスはとても見ていられず、顔をうつむかせた。

「……本当に、お前がやったのかよ」
 やっとの思いで出したその声は弱々しく、覇気がなかった。
「あんたもあの場にいたでしょ?それとも忘れちゃった?あの白い子みたいに」
 忘れるわけがない。いまでも夢に見るほど、深く脳裏に刻みこまれている。
 動かない母親の隣で呆然と座りこむティジ。困惑するルイ。そして返り血に染まって佇んだ――

「どうしたの、黙りこんじゃって。もう疲れちゃった?そんなわけ、ないよね?」
 歪んだ笑みを浮かべるその顔に、8年前の面影を残すその顔に、のぞきこまれる。
「こんなのじゃあ物足りない!まだまだこれからじゃん!せっかく感動の再会をしたんだからさぁ!家族水いらず、もっともっとお話しようよ!」

 ――これが悪夢だったら、どれほどよかっただろう。

 


シリアスな展開が続いてます。
相手に対する恋愛感情やちょっと狂気的とかの感情が荒ぶってる様子を書くのが好きだと気付きました。