やっぱり夜になると少し肌寒いな……。
クルベスの私室へと向かうルイは少し肩を震わせながら歩んでいた。
日中は陽光が射し活気のあった城内も23時をまわると人の気配はすっかりなくなり、ひんやりとした空気に包まれている。灯りは申し訳程度の心許ない常夜灯と窓から射し込む月明かりだけ。所々暗闇が目立っていた。そしてこんな時に限って思い出すのは、この城に住んでから大分慣れてきた頃に聞かされた話。
『ここにはちょっと噂があってな……夜遅くに一人で歩いていると突然後ろから肩を叩かれるらしい。振り返るとそこには誰もいないんだけど……実は正面にいるんだ。志半ばで非業の死を遂げた衛兵の亡霊が――!』
あれはおそらく『夜遅くまで起きていたらダメだぞ』という注意喚起のための作り話だろう。だがしかし、思い出すタイミングが悪い。
そんなのいるわけがない……16にもなって信じるわけないだろそんな話……!あの後のクルベスのにやけ顔、今思い出してもイライラする。いないいない、まったく怖くなんかない。さっさとアイツの所行って借りてた本を返す。肩叩かれても振り返らない絶対振り返らない……。
ルイはそう自分に言い聞かせながら無意識のうちに足を速めていた。
「クルベス、起きてるか。前借りた本、返すの忘れてて……」
眠っている可能性もあるため、なるべく音を立てないようゆっくりと扉を開く。そこにはソファにうなだれているクルベスの姿があった。
一瞬、件の亡霊かと思ってたじろいでしまって、なんかない。少し身を引いただけだ。
「ク、クルベス……起きてる?」
恐る恐る近づく。持ってきた本は机に置いておいた。
「……となり」
「え?」
クルベスの横は空いている。座れ、ということだろうか。少し待っても何も言わないため、とりあえず座ってみることにした。
寝ぼけてるって感じじゃなさそうだけど……、っ!?
ヌッと手が伸びてきて、グシャグシャと頭を撫でられる。目が回りそうだ。
「最近、何してる?」
クルベスは乱雑に撫でる手を下ろすと少し間を開けて問う。目を合わせずに。
「……ティジと一緒に勉強したり本読んだり……大丈夫そうだけど」
若干頭をふらつかせながら応える。
「そっか……」
どうやらティジのことを心配して聞いたわけではなさそうだった。あれから一週間が経ち、ティジも以前と変わらない笑顔で過ごすようになって安心した矢先に今度はクルベスだ。明らかに様子がおかしい。
――あ、そうか……今日は兄さんと面会するって……。
クルベスは今日はレイジに会うため、朝からいなかった。だからこんな時間に訪ねることになったのだ。
「……兄さん、どうしてた?」
一週間前の出来事、そして4年前の出来事も知っている。こんなこと聞くのは良くないことだっていうのも分かってる。でも聞かずにはいられなかった。
だが返ってくる言葉もなく、ただ沈黙だけが二人の間をさ迷う。
「……会いたい」
「だめだ」
やっとのことで出た想いをたった3文字の言葉で一蹴される。分かっては、いたけど……でもやはり素直に聞き入れることなんてできない。
「じゃあ、手紙を書くから兄さんに渡してほしい!直接会うのはダメでもそれなら……!」
話をしたい。面と向かってでなくてもいいから。その一心でクルベスの腕にすがりつくが。
「今のアイツは許可された人間以外、外部との接触を一切禁じられている。実の弟であるお前も同じだ。例外はない」
奈落の底へ突き落とされたような気がした。すがりついた、その手によって。深い深い真っ暗闇の中へと。
「……ご、めん……ワガママ言って……そう、だよな……兄さんは、4年前に……」
すがりついていた手を離し、自身の脚の上に下ろす。顔をうつむかせその手を強く、強く握りしめる。そうでもしないと両の目から涙がこぼれ落ちてしまいそうだった。
――いま会ってもルイが辛くなるだけだ。今のレイジは8年前までのお前の知っている『兄さん』じゃないんだ。お前に、これ以上つらい思いはしてほしくない……っ。
ルイの姿に胸を痛める、その顔を見た者は誰一人としていなかった。
――翌日。
「――イ、ルイ」
「……あ、ごめん。ボーっとしてた」
ティジに何度か呼び掛けられ、我に返る。今はルイの部屋で二人きりの勉強会だ。
「大丈夫?もしかして気分悪い?」
「いや、違う。平気」
昨晩の出来事を思い返していただけだ。
「眠いなら寝ていいんだよ?あ、なんなら俺の膝を貸そっか?この前してもらったし」
「え……いや、いい。大丈夫」
『じゃあお願いします』という言葉をすんでのところで止めた。仮に本当に膝を貸してもらっても、緊張して寝ることなんてできそうにない。
「だよね。俺も半分冗談で言ったし」
とあか抜けた笑顔で喋るティジ。ルイが逡巡したことなど露知らず。
……半分冗談?ってことは半分は本気で言ってたのか?
「そうだ、今朝お菓子もらったんだ!一旦休憩してそれ食べようよ!持ってくるからちょっと待ってて!」
悶々とするルイを一人残して慌ただしく出ていった。
「そういえば、これって誰からもらったんだ」
机上に広げられたお菓子をつまみながら聞く。クッキーやバウムクーヘンなども少しあるが、全体の八割以上がチョコレートやチョコレートでコーティングが施されたもので占められている。ティジが無類のチョコレート好きということは彼を知る者たちにとって周知の事実ではあるが……。
「料理長さんがくれたんだ。お弟子さんがお店開いたらしくって、そこで出してるセットなんだって」
「あぁそういうこと……あの人顔は怖いけど面倒見は良いよな」
噂では街中で迷子を見かけると常備しているお菓子をあげて落ち着かせたり、親の特徴やはぐれた時の状況を親身になって聞いたりしているらしい。そうして無事に親と引きあわせることができた子どもの数は20を超えている……なんて話もある。
迷子をなだめている様子を見た通行人が料理長を不審者と勘違いして危うく通報されそうになった、という話もよく聞くが。
「でもなぁ、今回は料理長からもらった物だから良いけど他人からそうホイホイと物もらうな。危ない物だったらどうすんだ」
誰にでも分け隔てなく関わろうとするのはいいが、少しは警戒心を持ってほしい。現国王の第一子でゆくゆくは王位を継承する者なのだから。
「って言いながら食べてる俺も俺だけど。ん、これ美味しいな」
とひとりごち、ルイはほんのりと甘いミルククッキーに舌鼓を打った。
前回と比べるとほのぼのとしたところがあります(なお前半)
クッキー食べたくなりました