02.雪花-1

 それは今から十四年前。レイジ・ステイ・カリアが九歳の時のこと。自分が抱えていた悩み――水を凍らせるようになってしまったということを伯父のクルベスに打ち明けた日。
 クルベスと共に帰宅してすぐ、レイジは両親に今回の騒動――魔法の発現について話すことにした。

 

「……ていうこと。その……ごめんなさい。今まで黙ってて」
 話し終えたレイジは小さな背を丸めてさらに小さく縮こまる。

「お父さん、お母さん……怒ってる?」
 クルベスの話によると自分の様子がおかしいことを気にかけてくれていたらしい。そうとは知らずに一人で塞ぎ込んで……いや、そもそもこんな大変なことを黙っていたんだ。こんなこと、突然打ち明けられて困らせちゃったかもしれない。
 レイジは不安な気持ちに押しつぶされそうになりながらも、しばし呆然としていた両親を見上げた。

「怒ってる……わけないだろぉ……!良かったぁ……本当に、良かった……っ!」
 すると声を震わせたセヴァは涙をこぼしながらレイジを抱き締めた。突然の行動にレイジもあたふたと手を彷徨わせる。
「良かった……?なんで?」
「だってレイジが誰かに怖い目に遭わされたんじゃないかって……父さんたちにも話せないぐらいひどい事されたんじゃないかってすっごく心配で……!違ってた、良かった……良かったぁ……!」
 そう言いながらレイジを抱き寄せるセヴァの手は震えていた。

 

「……これが、怖くないの?」
 こんなわけのわからない、もしかしたら人を傷つけてしまうかもしれない得体の知れない力。そんな力を身近な人間が持っていると知って。怖がらないのか。
 そう思ったレイジが問いかけるもセヴァは首を横に振った。

「何を怖がるの。だってそれはレイジの個性だよ。レイジが持って生まれた物を父さんたちが怖がる理由なんてどこにもない」
 少し体を離し、いまだ宙を彷徨っていたレイジの手を握る。

「大丈夫。もう大丈夫だからね。レイジは一人でよく頑張った。『みんなを傷つけたくない』って優しい想いで離れてたのはちゃんと分かったよ。これからはみんなで一緒に考えていこう」
 そうだよね、とセヴァが自身の妻であるララに笑い掛けると、ララもそれに応えながらレイジに寄り添う。セヴァの穏やかな声とララの温もりにレイジは「うん、うん……っ」と氷の粒を目から落とした。

 

「とりあえず、まずは魔法について知っていかないとだね。知っていくことで怖い気持ちも減っていくだろうし」
「でも……自分で調べても全然分かんなかった。魔法ってことすら全く出てこなくて……」
 レイジの不安にセヴァはチッチッと芝居がかった動きで指を振る。

「レイジ、大人の知恵を舐めちゃいけないよ。これでもレイジの倍は生きているからね」
「まぁ探し方があるんだよ。いま知りたい事をまとめてそれを細分化……細かく分けていく。そこから一番知りたい情報をいくつか絞り込んで、それを元に情報を探っていく。調査の鉄則だな」
 クルベスが言った言葉にセヴァは「その言い方かっこいい……」と呟く。その反応にクルベスが「あの様子だとしばらく真似しそうだな」と苦笑するとレイジもホッとした表情で笑った。

 

 そんなわけであらゆる媒体で魔法あるいは魔術について参考資料となりそうな物を引っ張り出し、クルベスたちも復習がてら共に勉強していく。
 レイジは初めて知る世界に興味が尽きない様子で目を輝かせている。魔法が扱える人物とあってかクルベスには「この魔法は使える?」や「他の魔法は見たことあるの」など次々に質問を投げかける。普段はここまで熱心に話しかけてくれることも無かったので、クルベスは内心嬉しく思いながら質問責めに対応した。

「他には何ができる?」と実演を迫られたが流石に断った。治癒の魔術の実演ともなれば怪我は必須……いや、怪我がなくても出来ることはあるか。
 実はこの子には治癒の魔術について教えていないことがある。レイジには自身が扱える魔術は『小さな怪我を治す程度のもの』と説明しているが、使い方次第では恐ろしいこともできてしまうということだ。

 

 小さな怪我程度なら立ち所に治せる。それはつまり怪我の箇所の組織や血管を操って治癒しているのである。これを応用すれば一部の血管を拡張して一時的に血圧を低下させ、気を失わせることができる。さらにはその逆、血管を塞いでしまうことも。
 レイジは自身の『凍結の魔法』を恐ろしい力だと言っているがこちらの『治癒』とは名ばかりのこの力のほうがもっと確実に、少ない労力で相手の命を奪えてしまうのだ。

 だが今はこの子の中にある『魔法への恐怖心』を失くそうとしているところだ。このようなこと、絶対に話すわけにはいかない。

 

 

 レイジとの久しぶりの穏やかな時を満喫していたクルベスであったが、やがてある問題に直面する。
「なぁセヴァ。あの子の魔術、どうやら普通の発動条件と違うみたいだ」
 クルベスはレイジの耳に入らぬよう書斎で落ち合い、セヴァにレイジの魔術についての所感を共有する。

「あの子にはまだ教えていないけど……あの様子だと薄々勘づいている」
 ときおりレイジは得た知識と自身が扱う力との間に齟齬があることに首を傾げているが、こちらに聞いたりはしていない。もしかするとこちらを心配させないために気づいていないふりをしているのかもしれない。
 それを聞くとセヴァはまるで子どものように頭を抱えて嘆いた。

「うぅ……ようやくレイジも落ち着いたっていうのに……兄さんがそう言うってことはかなり深刻な問題ってことか」
「まぁ……ぶっちゃけ俺たちじゃ解決できない」
「……アテがあるってこと?」
 クルベスの返答を『自分たちの力だけでは不可能』と捉えたセヴァ。さすが俺の弟。俺の言いたいことを察してくれた。

「サフィオじいさんを頼る。ジャルアの魔術も普通とは違ったらしく、その時の解決方法が何か参考になるんじゃないかと考えた」
 先代国王サフィオ・ユゥ・レリリアン。国王の座をジャルアに譲ってからは隠居生活を謳歌している彼は初代国王と比肩するほどの賢王と呼ばれていた。あの人ならば何か解決策が見出せるかもしれない。
 だがこれはほとんど賭けのような案だ。レイジに「大丈夫」と言っておきながら、なんて情けない。

 

「というわけでレイジには城に同行してもらいたいんだが……」
「じゃあ俺もついて行く……って言いたいところだけど……ごめん。兄さん頼めるかな」
 セヴァは「お願い」と手を合わせて頼み込む。それにクルベスは呆れた様子でため息をついた。

「まだ引きずってんのか。あいつは『気にしてない』って言ってたんだし良いだろ」
「いや、気まずいよ……若気の至りとはいえ初対面であんな態度取っちゃったのは……」
 そうか、反省してるのか。俺もあれは言い過ぎだと思ってたからな。
「で、本音は?」
「……まだ根に持ってます」
 ぐぎぎ……と歯を食いしばるセヴァ。あれから十年以上経つというのに執念深い奴だ。

 それからクルベスは二時間ほど「だって俺の兄さんを盗ったんだもん……!」と積年の恨みを吐くセヴァに適当に相槌を打った。というか『盗った』って誤解を招くような言い方はやめてくれ。

 


 幕間『融氷』の続きです。レイジのお話。
 父のセヴァさんは自分の家族はもちろんのこと、兄のクルベスさんのことも大好きです。このことに対してクルベスさんは「レイジがあそこまでのブラコンになったのもあいつの遺伝なのか……?」とか思ってたり。
 かくいうクルベスさんも弟には甘いぞ。