城内を奔走するクルベス……とその後を追従するレイジ。『ティジがどこかへ行ってしまった』と判明した後、続けざまに甥っ子のルイも姿を消したのだ。
クルベスたちを待っている間、レイジはティジのことをしきりに心配していたらしく。それを気に掛けたセヴァたちにレイジは『ティジと以前に会ったことがある』旨を両親に話していたのだ。
が、ティジへの心配によって注意力が下がっていたらしい。
ふと『ルイにもあの子のことを話しておいたほうがいいだろうか』と振り返ったところ、ルイの姿がこつぜんと消えていたのだという。
セヴァはこの説明を、今にもルイを探しに飛び出してしまいそうなレイジを止めながら話してくれた。
どうやら自分がちゃんと見ていなかったせいでルイがいなくなったのだと責任を感じているようで。レイジまで迷子になられると非常に困るため、やむを得ず城内の構造には詳しいクルベスと共に捜索することとなったのだ。
「俺がちゃんと見てなかったから……っ、どうしよう、どこかで怪我してたら……万が一外からやって来た奴に攫われてたら……?ルイはまだ小さいんだから大人には力では勝てないのに……!」
レイジは顔を真っ青にして涙声で嘆く。
「ならない。……大丈夫だ。この城は人の出入りを厳しくしてある。そんなこと、絶対に起きないようにしてるから」
「っ、でももしものことだって……!」
冷静さを欠いているレイジはこちらの発言に我を忘れて言い返した。
「絶対に、そんなことは起こさせない。ここだけは……ここは安全な場所にしてる。きっとすぐに見つかる。大丈夫だから」
クルベスは半ば自分に言い聞かせるように言葉を発していた。
その時、どこかから悲痛な泣き声が聞こえてきた。聞き覚えのある慟哭。瞬時に脳裏によぎった――エディと見た凄惨な映像を振り払いながら声が聞こえた方向へ向かう。
中庭の庭園。かつてレイジが魔術の練習に励んでいたその場所にティジはいた。
「――ルイ!」
ティジの隣りでうろたえているルイを見つけたレイジは脇目も振らずに駆けていく。
「中庭のほうにいた。……あぁ、頼む」
クルベスはティジに近づく前にジャルアへ連絡を入れる。通話を終えた携帯電話を仕舞い、自身もティジとルイが座るベンチに向かった。
「ティジ、もう大丈夫だから。すぐにジャルアが来るからな」
今この子はどのような状態か、自分は視界に入っても大丈夫かを慎重に判断しながら必要最小限の言葉と接触でティジをなだめる。
「……その子、もしかしてティル――」
「レイジ。すまんが後にしてくれないか。今はこの子も気が動転してるから」
泣いている子がティジだと気づいたレイジ。不用意に声を掛けてしまう前にその言葉を遮った。
精神がひどく不安定な状態での『俺』との接触。事情を一切知らないレイジ。この状況を長引かせるのはまずい。一刻も早くこの状況を変えなければ。
そうこうしているうちに先ほど電話で呼び出したジャルアが駆けつける。
レイジの存在に気付き、目を見開くジャルア。しかしすぐに自身の動揺を隠すと、泣きしきるティジの前に片膝をついた。
「ティジのことは俺に任せて、あの子たちを送ってやれ」
「……悪い。後は頼んだ」
こちらの本意を察したジャルアがそう耳打ちする。クルベスは己の不甲斐なさを歯がゆく思いながらジャルアに後のことを託し、庭園からレイジとルイを連れ出した。
◆ ◆ ◆
クルベスたちが立ち去ったことを横目で確認するジャルア。
ひとまずこれで『事情を知らないレイジが下手なことを口走ってしまう』という危険は無くなったか。目の前の脅威が去ったことにホッと胸を撫で下ろすと改めてティジに向き直った。
「ティジ。ここは冷えるから部屋に戻ろうか」
部屋に戻るよう言ってもティジは首を横に振るだけ。それ以上は何も応えようとしないことに思いあぐねていたジャルアだったが、傍らに置いてあった献花用の花に目を留めた。
「父上に……じぃじに花をあげようとしたのか?」
こちらの呼びかけに小さく頷くティジ。『花を供えに行こうと思って飛び出たのでは』というクルベスの推測は当たっていたらしい。
「フリージアか。じぃじはこの花が好きっていってたもんな」
そう言うとティジは再び頷いた。確かフリージアの花言葉は『友情』や『感謝』といったか。……あの人らしい優しい花言葉を持つ花だ。
「それじゃあじぃじにこの花をあげに行こうか。きっとじぃじも喜んでくれるよ」
そう促すもティジは小さく首を振ってその場から動こうとしない。
「できないよ……じぃじは、ぼくのせいで……死んじゃったのに……」
しゃくりあげながら続ける。
「ぼくが一緒にいたのに……!じぃじは体が弱いから……っ、じぃじの具合が悪くなったらすぐにクーさんを呼べるようにって!じぃじのこと見ててほしいって言われたのに……!」
悲痛な声で叫ぶ姿にジャルアは口を開く。しかしジャルアが声を発するよりも早く、ティジは言葉を紡いた。
「じぃじ、すごく苦しそうにしてたのに、それなのにぼく、全然動けなかった!ぼくが、ぼくのせいで……!だから、ぼくはお花あげれない……あげちゃいけないんだ……!」
その叫びに何故ティジがこんな場所で泣いていたのかようやく理解した。一度は花を手向けようとしたが『じぃじが倒れた時に何も行動できなかった自分にその資格は無い』と考えて引き返したというわけか。
『……そうだ、外出ができない理由も私の体調が少し悪化したことにしよう。あの子は優しい子だから『そばで私の体調を見ていてもらう』という体なら、過去の出来事に疑問を抱く前に私の体を心配をするだろうし』
一年以上前にサフィオが挙げた提案。この子を守るために皆で考えた案。
あの時は早急な対応が必要で代替案も無かったため、やむを得ずこの案に頼ることとなった。
だがそれが不幸にもこのような酷い結果を生むことになってしまうとは。
「……ティジは悪くない。じぃじもきっとティジのことを責めたりなんかしないよ」
「そんなの、分からない……だってじぃじはもう……」
『いない』という言葉は声にはならず、唇がそのかたちに動くだけだった。
「そうだな。じぃじに『どう思ってる?』って聞くことはできない。……じゃあティジが『したい』か『したくない』かで考えてみようか。ティジはどうしたい?じぃじに花をあげたいか?それともあげるのは嫌か?」
言葉を変えて問いかける。するとティジは何度か目を左右に揺らして口を開いた。
「いや……じゃない……けど……っ」
そこまで言って唇を噛む。しばしの沈黙の後、ティジはようやっと声を絞り出した。
「お花をあげたらお葬式は終わっちゃう……そしたらじぃじと本当にバイバイになっちゃう……サヨナラ、したくない……」
それだけを言葉にするとさめざめと泣いた。
この子は人一倍サフィオを慕っていた。彼が亡くなったことは頭では理解している。しかし心の整理がついていないのだろう。どうしても受け止めきれなくて、彼の死を否定したい気持ちが献花することを拒む理由となっているのか。
「確かにお葬式が終わったらそれで本当にサヨナラしちゃったように思えるかもしれないな」
でもな、とティジの胸元に手を置く。
「ティジがじぃじのことを覚えていたら……『あの時こんなことがあったな』とか思い出話をしてる間はじぃじは確かに『ここ』にいる。ティジの中にちゃんといるんだ。お葬式が終わっても、じぃじと過ごした思い出までサヨナラしなくてもいいんだよ」
葬式は故人に別れを告げる儀式のようなもの。一つの区切り、けじめとも言えるだろう。しかしそれをこの子に話しても難しい。
こちらの言葉にティジの真紅の瞳が揺れる。
「じぃじが、じぃじがね……お花は大好きな人に『ありがとう』とか『大好きだよ』とかいろんな気持ちを込めて贈る物だって……花言葉も、たくさん教えてくれて……このお花も……っ」
きっとこの子はフリージアの花言葉を知っている。ティジはポロポロと涙をこぼしながら傍らに置いていた花を手に取った。
「お花、あげる……じぃじに『ありがとう』って……言う……っ」
花を持つ手が、声が震える。ジャルアはその小さな手に自身の両手を重ねた。
「分かった。……そうだ、他の色のフリージアも無いか庭師のおじいさんに聞いてみようか。いろんな色のフリージアがあったらきっと綺麗だろうし」
そう告げて微笑みを見せるとティジはコクリと大きく頷く。
その時、二月の冷たい風が吹き抜けて。風にフリージアの甘い香りが運ばれ、青く透き通った空へと舞っていった。
フリージアは『親愛の情』や『友情』など友に関する花言葉を持つお花です。
幼いティジにこの花のことを話した時は「ティルジアと名前の語感が似ている。花言葉もティルジアに似合うお花だね」と話してくれたのだそう。