04.束の間の休息-4

 温泉でのてんやわんやもなんとか一段落して夕食も終えた。その間も心配そうに様子をうかがうティジ君に、弟くんは真っ赤な顔を手で覆い隠しながら「ごめんなさい……」と謝り続けていた。

 弟くんが謝ることは無いはずなのにすごく申し訳なさそうにしている。……さては良からぬことを考えちゃったね?アレはある種の健全な男子らしい妄想を抱いた口だな。弟くんってたまにそういうところある。

 

 その夜。ティジ君と弟くんが寝静まったあと、何となく眠れなくて体を起こした。『衛兵なのに悠長に寝ていられるわけがない』とかではなく、心にわだかまりが残っていたからだ。

 ついでに言うと四人部屋なのでみんな一緒の部屋で寝ている。先に眠っている二人は静かに『一緒の布団で』眠っている。なぜそんなことになったのかと言うとティジ君が「昔読んだ本で、友達とお泊まり会をするシーンがあったんだ。そこでは一緒の布団に入って色んなお話をしてて……俺、お泊まりってめったに出来ないからやってみたいな」と言い出したのだ。

 確かあの子たちは雷の日しか一緒に寝ないもんな。『一緒に寝る』という行為がつらい記憶になってほしくないし、とクルベスさんも言ったのでそのままの流れでティジ君は弟くんと一緒の布団に入ったのだ。まぁ俺やクルベスさんだとちょっと狭いからそうなるのも無理はないよね。

 

 最初は顔から火が出そうなぐらい真っ赤になってた弟くんも「明日はどこを見に行こうか」「お土産は何がいいかな」など、ただただ仲良くお話していくうちにすっかり眠ってしまった。想い人と一緒の布団で寝ることになっても、誠実な弟くんは妙な雰囲気を醸し出すこともなく普通に眠った。初めての遠出にとんでもないハプニングとあってさすがに疲れが溜まってたか。
 二人は向かい合わせ……っていうかほぼ抱きしめるような体勢で眠っている。弟くんの腕はティジ君の体に結構しっかり回っており、ときどき腕に力が入ったように引き寄せたりして全く離れる様子がない。ティジ君もそのまま眠っているのであの二人にとっては慣れた体勢なのだろう。

『あの二人って何かと距離近いんだよな……』と思いながら視線を外すと窓際にクルベスさんがいた。
 そばに置かれた椅子に座って空を眺める、月明かりに照らされたその姿はなぜか寂寥感が漂っていた。

「……あ、起こしたか」
「いえ、ちょっと寝つきが悪かっただけなんで別に大丈夫です」
 ただただ黙って見てしまっていた俺にクルベスさんは気を悪くした様子も無く、再び外に目を向けた。確かに月明かりが射し込んで明るくはあったけど別に目を覚ましてしまうほどでもない。

 ――クルベスさんの右手には、かつてレイジが贈った紺の軸のペンが握られていた。

「よろしければ少しお話しても……?」
 遠慮ぎみに問う俺にクルベスさんは「あぁ」と頷いた。クルベスさんの向かいにあった椅子に座り、一呼吸置いて口を開く。
「久しぶりですね。こうしてちゃんとお話するの」
「そうだな。二週間ぐらいギスギスしてたもんな」
 わりとズバッと言われ、言葉を詰まらせてしまう。そんな俺にクルベスさんは「悪い、お前を責めるつもりはないんだ」と詫びた。

「いえ、そんな気を遣わなくても大丈夫です……ていうか俺が原因なんで」
 元はと言えば俺が一方的にクルベスさんを責めたことが始まりだ。
 彼なりに色々考えがあっただろうに。深く考えようともせず『自分は何も出来なかった』という事実から目を背けたくて彼を責め立ててしまった。

 自身の弟であるセヴァさんとその妻を失い、失意の底に沈む弟くんに寄り添い続けた――冷たくなったレイジを懸命に救おうとした彼の気持ちなど考えずに。

 

「すみませんでした。今さらこんなこと言ってもしょうがないですけど……俺、クルベスさんの気持ちを考えようともしないで勝手に責めてました」
 深々と頭を下げるも「いいって」とすぐ上げるよう促される。
「お前にレイジのことを教えることもできたのに話さなかったのは事実だ。俺のほうこそお前のことを何も考えてあげられなかった。本当に……すまなかった」
『そんなことない』と言おうとする俺を手で制し、月明かりを受けて艶めくペンに目を落とす。

「お前は八年前、たくさん考えて『何も出来なかった』って気持ちと向き合ったからこそ、それを変えたくて衛兵になったもんな。その意志を……分かってたはず、なんだけどな」
「そんなこと……ないですよ。俺はそんなにできた人間じゃない」

 クルベスさんが言うような高尚な心持ちなんて持っていない。
 何も出来なかった。その気持ちと向き合ったからこそ『もう二度と同じ過ちは繰り返したくない』とがむしゃらに走り抜けて……背後から襲い来る後悔と罪悪感から逃げるように衛兵を志したのだ。

 そんな俺にクルベスさんは伏せた目を上げ、ゆらりと首を揺らす。
「思うだけじゃなく行動に移して自分の力で達成した。しかも衛兵に、な。衛兵になるのって結構難しいんだぞ?運動能力と咄嗟の判断力と行動力、それと人から親しみを持たれる奴じゃないと厳しい。あと警備が主な仕事だから下手すりゃ業務中に命を落とす危険がある職業だ。最初は気持ちだけで突き進んだとしても、そこから努力を重ねて現実にしたのはお前自身。すごい奴だよ、お前は」
 柔らかい笑みを浮かべながら「自信持て」と告げる。

「俺のほうが全然だめだ。もう一ヶ月近く経つっていうのに未だに受け入れたくないって思ってしまう……ルイはもう現実を受け止めて、前に進む決意を固めたのにな」
 自嘲するかのように小さく笑い、その手に握られたペンを少し揺らすとレイジの瞳と似た紺色の軸がキラリと輝いた。

「これ、お前も一緒に選んでくれたんだろ?レイジが話してた」
 それは珍しくレイジから誘われて一緒に出掛けた時に買った物。多少の使用感はあったが、10年という歳月を経てもその輝きは未だ失われていなかった。

 

「自分からプレゼントをあげたことなんて無い子だったのに、妙に落ち着かない様子でさ。いきなり押し付けて『誕生日だろ』ってぶっきらぼうに言ったんだ」
 渡した時のことは結局聞けなかった。レイジに伺ったが「ちゃんと渡した」と言うだけで、それ以上のことは何度聞いても頑なに話そうとしなかった。

「すっげぇ驚いて黙り込んでた俺を見て『いらなかったら別に無理して使わなくていいから』って落ち込んだ様子で……たぶん困ってるように見えちまったんだろうな」
 当時のことを振り返りながら懐かしそうにペンをさする。
「すごく嬉しくて驚いてただけ、大事に使うよって言うと耳まで赤くして。ルイも驚いてたから『自分で選んだんだなぁ』って分かった。それからも俺がコレ使ってるところを見たら、一見気づいてないふりしてるけどすごい機嫌良さそうにしてんだよ。ルイに『お兄ちゃん、ウキウキしてる』って指摘されると慌てて否定する様子がまた可愛かったなぁ」
 寝息を立てる弟くんを見やると愛おしそうに目を細めた。

「レイジは昔から物覚えが良くて……ティジと病室で話した時も俺のことに触れたみたいだ。かなりの世話焼きでお節介って。まぁその通りなんだけど相変わらずすっごい言い種だよな。でも……俺のこと忘れてなかったんだなぁ……」
 そうだ。クルベスさんも結局『レイジ』とは言葉を交わせていない。

 

「あの子はずっと一人で頑張って苦しんで、それなのに何も報われることもなく理不尽なかたちでその命を終えた……終わらせられた」
 ペンを握る手に力がこもり震える。

「ルイには嘘をつきたくないって言ってたあの子が……泣くのは見たくないって言ってたあの子が……!」
 手の震えに呼応するかのように、その声も揺れ始めた。

「劇場であと少し早く駆けつけていられたら、もっと病室で違うアプローチをかけていたら、あの子と話ができていたかもしれない……助けられたかもしれないのに――!」
 その瞳から落ちた雫は彼の服に染み込んでいく。それでも構うことなく言葉を紡ぐ。

「そしたら独りで苦しみながら、死なせてしまうことはなかったかもしれない!家族思いで周りのことばっかり気にかけていたあの子を救えたかもしれない!それなのに!俺はまた、なんにもできなかった……!」
 眠っている二人を起こしてしまわないようにか、その嘆きの声は決して大きい物ではなかった。されどもそれは悲痛な叫びに聞こえた。

「いつもそうだ……!いつも一歩遅れて、自分の力が足りないばかりに何もかも手遅れになって、失ってばかりで!救えたはずなのに、未然に防げたはずなのに!」
 窓の外では虫が鳴いている。彼の慟哭をかき消すかのように。

 

「クルベスさん……俺……」
 どんな言葉を掛けたらいいのだろう。
 俺だって八年前、今のクルベスさんと同じ思いを抱いた。でも彼に『俺も同じ気持ちだ』なんて言えるわけがない。どの面下げてそんなことが言える。

 その場にいなかった自分が、もう少し早く着いていれば救えたかもしれないと嘆く彼に。
 そもそも俺なんかが彼に寄り添おうとすること自体間違いなのか?

「俺は、レイジをセヴァたちをあんな目に遭わせた人間を見つけ出す。必ず、探し出す」
 ひどく冷たい目。今日弟くんたちが襲われかけた時に見せた物とは比べものにならないほどの憎悪。
「もう失いたくない。そのためなら俺は何がなんでも、死んでもそいつを――」

「やめてください」
 制止の声にクルベスは俺を見る。

 

「クルベスさん、そんなこと間違っても口にしちゃいけない。あなたにもしものことがあったら弟くんはどうなるんですか?遺される側の気持ち、あなたが一番よく分かってるはずでしょ?弟くんに同じことさせる気ですか」
「違う、ルイを苦しめるつもりは……」
 弟くんのことを出され、決まりの悪い声をあげるクルベスさんに首を振る。

「いいえ、違わない。レイジがやったことと同じことをあなたはしようとしている。あいつは弟くんを思ってやったんでしょうけど、でも結果的に弟くんを泣かせることになって絶対後悔してる。あいつがいなくなった後の弟くんはひどい状態だったんですよね?あなたにもしものことがあったら、弟くんにまた同じ苦しみを味わわせることになる」

 もしそんなことになったら弟くんの心は壊れてしまう。もう二度と元通りにはならないほど砕けてしまう。
「お前に、レイジが最期に何て思ったかなんて分からないだろ」

「――わっかるわけないでしょ!そんなのっ!!」

 クルベスさんの強情さに『そっちこそ何故分かってくれないのか』と思わず立ち上がり、声を荒げてしまう。すぐに気がついて弟くんたちを振り返るも、どうやら相当深く寝入っているようで起きた様子は見られない。
『とりあえず落ち着かねば』と深く息を吐き、再び椅子に腰を下ろした。

 

「分かりませんよ……あいつが何を思ってたかなんて。あいつの最期の顔、笑ってたんでしょ?自分が死ぬっていうのに笑えるなんてどうかしてる……普通なら怖くてしょうがないのに」
 まぁそんな死に顔ですら俺は見られていないわけだけど。

「俺は『レイジ・ステイ・カリア』じゃないんであいつが最期に何を思って笑ったのか分からない。弟くんを不安にさせないように強がって笑ったのか。これで弟くんに手を掛けてしまうことはないって安心したのか。だってもう死んでんだ。その真意なんて俺たちには分かりっこない」
 グッと息を詰まらせるクルベスさんを睨む。

「死んだら何もかもおしまいだ。もう二度と話すことなんてできないし、遺された人がどんなに苦しんでも手を差しのべることすらできない」
 ジクジクと感じる痛みを紛らわすように、シャツの胸元を握りしめた。

「あいつをそんな目に遭わせた……そんな選択をせざるを得ない状態にさせた奴なんて、俺だって憎くて憎くて……同じ目に遭わせてやりたくてしょうがないですよ。でもそのために俺の身に何かあったら、遺された人たちがどう思うかって考えると無茶はできない。……俺、誓ったんですよ。あいつの代わりに、弟くんたちのことを守るって」

 当然ながら本人の了承は得ていない一方的な約束だけど。でも向こうだって、ずっと探して無事を祈ってた俺に何も言わずに勝手に死んだんだ。それぐらいしたって許されるだろ。

「あなたは弟くんにとって大切な家族なんです。あなたまでいなくなったら弟くんは誰が支えてあげるんですか。俺やティジ君じゃダメでも、あなただったら出来ることってめちゃくちゃあるんですよ」
『例えば何がある』って聞かれたらすぐには答えられないけど。
 だって弟くんのことだから仮にそんなことあった場合、俺やティジ君に教えずにクルベスさんに直接話しに行くと思う。だからおそらく俺には知る余地がない。

 

「お前はそれでいいのか。ルイが殺されかけて……レイジを死に追いやった人物だぞ」
 それまで黙って聞いてくれていたクルベスさんはなおも納得がいかない様子で声を凄ませる。でもそれに怯むわけにはいかない。

「いいわけないですよ。なので俺もそいつを探すの手伝います。お互い一人で突っ走ることのよう、歯止め役みたいな感じで。そんでそいつを見つけたら何でそんなことをしたのか聞き出して一発……いや、気が済むまで殴ります」
 あくまで殺さない程度に、と拳をグッと握りながら意気込む。するとクルベスさんは途端に張っていた糸が切れたかのように深いため息をついた。

「お前、結構バカだよな……そもそも対話が見込める奴じゃないかもしれないだろ」
 濁すことなくはっきり『バカ』と言われるのはさすがに心外だ。あともし弟くんたちに聞かれちゃってたらどうすんの。教育に悪いでしょうが。
「そしたら拳で語るんですよ。こっちはめちゃくちゃ怒ってるんだぞーって」
 積年の恨み辛み全部ぶつけてやる。奴への報復を果たせなかったレイジの分も。正当防衛の範囲を越えないよう気を付けないと。

 

「とにかく、あなたは何でもかんでも一人で抱えすぎなんです。ちょっとぐらい俺にも抱えさせてくださいよ」
 腕を組んで不遜な態度で言ってやるとクルベスさんはなぜか目をぱちくりさせ、気が抜けたように笑った。
「それ、ルイにも同じこと言われた。お前ら意外と似てんのかも」
「え?弟くん、いつそんなこと言ったんですか」
「……劇場に行く前。今にも泣きそうな顔で怒鳴られた」
 弟くんに先を越されてたか。てか弟くん泣かなかったんだ。弟くんは感情的になるとすぐ泣くのに。そっちのほうが意外だ。

「まぁなるべく頼っていくよう心掛けるよ。ルイにお前にと二人から言われちゃ、さすがに変えていかないとな」
「思うだけじゃなく行動に移してくださいよ?俺みたいに。ま、難しいことですけど」
 茶化すと「あんまり調子に乗るなよ」と言われてしまう。
 でも厳しい言葉とは裏腹に、その顔は憑き物が落ちたかのように晴れていた。

 

 

 すぐそばで穏やかに眠るその人――ルイの体温を感じながらまぶたを開ける。少し離れたところから聞こえる声は先ほどまでの剣呑な雰囲気は消え去り、すっかりいつもの調子に戻っていた。ティジはそのことに安堵したのち、再び目を閉じた。

 実のところ、ずっと起きていた。なかなか寝付けず『とりあえず目を閉じておくか』と思っていたらエスタさんが起き上がる気配がして。
 自分が起きていたら心配させてしまう。昼頃あんなことがあったんだから。そう考え、慌てて寝たふりをした。
 二人の会話を聞いてしまったことは言わないほうがいいだろう。気まずくなってしまうかもしれない。自分が知らないふりをしていればいいだけだ。

 

 寝られない。胸がザワザワして。少しでも気を抜くと息が詰まりそうになる。

 だめだ。起きていることを悟られちゃいけない。折角二人が仲直りしたんだから、その穏やかな時間を邪魔しちゃいけない。

 せめて表情を見られてしまわないようにと、ルイの体に顔を埋めるもその嫌な感覚は消えてくれなかった。

 昼頃に襲われた感覚がまだ残っている。
 怖い。怖い。肩を掴まれて振り返った時、目の前の男が何か別のものに見えた。
 恐怖で体が動かなくて。逃げないと。はやく逃げないとって思うのに。

 体は温かいはずなのに指先が震え出す。
 頭がひどく痛い。
 声が、自分を呼ぶ声が聞こえる。
 これは誰の――

 だめだよ

 誰かの声が聞こえ、そのままブツリと意識が途切れた。

 


前回とはうってかわってシリアス一色。時には腹を割って話し合うことも大切っていう回。
温泉パートは前回で終了しましたが、彼らの旅行はまだもうちょっとだけ続きます。