07.喧騒-7

 食堂にて夕食を終えたエスタはクルベスの私室へと足を運ぶ。勤務時間はとうに終わっているため、完全に私用で出向いていた。
 自分の寝床で過ごすよりも彼の元でのんべんだらりと駄弁るほうが好きなのだ。迂闊に彼の弟家族ないしはルイの昔話を聞こうものなら問答無用で徹夜コースになるため、その点だけは注意しなければならないが。

 どうやら今日はタイミングが良いらしい。扉を開けるとルイの姿もあった。ソファに座って軽く会釈をするルイの隣に、エスタも並んで腰を下ろした。

「弟くん、どうしたの。怖い夢を見たならギュッてしようか」
「大丈夫です。そんなのじゃないので」
 検討する素振りも見せないルイに、エスタは「そんな遠慮しなくても」とからかう。ティジの姿は見受けられない。おそらく家族の時間を満喫しているのだろう。
 落ち着かない様子で手元をいじるルイ。もしかするとサクラと再会したティジの喜び様に自身も家族が恋しくなったのかもしれない。

「お、エスタも来たのか」
「はい。来ちゃいました」
 ココアを淹れたマグカップを携え、クルベスが顔を出す。
「いやー、サクラちゃん見てると自分も何か駄弁りたいなって思って」
「一応言っておくけど、ここ俺の部屋だからな」
 クルベスは「あんまり入り浸ってるとまた怒られるぞ」とエスタの直属の上司のことを示唆すると、ルイにマグカップを差し出した。

「エスタ。甘い物って平気か」
「全然平気ですけど」
「それじゃあこれ」
 おそらく自分用に淹れていたココアをエスタに差し出し「自分のはまた後で淹れるから」と付け足す。最近寒くなってきたのでマグカップの温かさが嬉しい。

 

「そういえば弟くんは何でレイジのこと『兄さん』って呼ぶようになったの?」
 エスタはココアを一口飲むと、自分と同じくココアの温かさに和んでいるルイへ問いかける。

 幼少期のルイはレイジのことを『お兄ちゃん』と呼んでいた。だがしかし八年前の事件が起きる少し前から『兄さん』と呼び方を変えていたのだ。当時のレイジは(こちらが引くほどの)神妙な面持ちで「このままどんどん俺から離れていくのかも……終いには俺のこと嫌いになるんだ……」と嘆いていた。
 直近の出来事としては、レイジを怒らせそうになって「そこを兄さん、なんとかお許し願えますでしょうか」って平謝りした出来事が関係ありそうだが、いったい何を思ってその呼び方を真似たのか分からない。

「エスタさんがそう呼んでるのを見た時、父さんがクルベスのことをそう呼んでたのを思い出して……すごく仲が良い証みたいだと思ったから」
 ルイの発言で彼の父――セヴァもクルベスのことを『兄さん』と呼んでいたことを思い出す。
 身近な『仲の良い兄弟』のお手本であるセヴァとクルベスを真似て自分も『兄さん』呼びを始めたのだ、という想像とは真逆の心温まる回答に「そっかぁ……」とエスタの頬が緩む。クルベスもついルイの頭を撫でていた。

「え、なに?二人していきなり何?」
「いや、弟くんはいい子だなーって」
 エスタの返答にルイは複雑な表情を浮かべていたものの、エスタもクルベスもとても嬉しそうにしていたため、しばらくされるがままにしておいた。

 

 そのようにルイを可愛がったり過去の思い出話に花を咲かせるなど、自由気ままに過ごしているうちにルイがうつらうつらと船を漕ぎ始めた。

「弟くん、お部屋まで戻ろうか」
 エスタの声掛けにコクリと頷くも、そのまま眠ってしまった。学校での疲れが溜まっていたのだろう。所々の仕草に弟気質が垣間見えて大変微笑ましい。
 クルベスはすっかり寝入ってしまったルイを慣れた手つきで抱えあげる。ルイがいま目を覚ましたら顔を真っ赤にして下ろすよう訴えるだろうが、起きる気配は全くない。

 ひとり、部屋に取り残されたエスタ。成長期の16歳男子学生を軽々と運ぶクルベスに感嘆すら覚えていると。

「クルベスさんはいないんですか?」
 背後から無邪気な声が。完全に気を抜いていたので、心臓が飛び出るかと思った。

「だ、だめだよーサクラちゃん。こんな時間まで起きてたらお肌に良くない」
「ビックリしたでしょ」
「さてはわざとやったな」
 サクラはソファの背から身を乗り出してイタズラっぽい笑みを見せる。相手がレイジやティジ達ならば仕返しに頬をつつくのだが、思春期の女子にそれはしない。あくまで一定の距離はわきまえているつもりだ。

「久々の家族団欒の時間はどうだった?」
「楽しかった。たっくさんお話できた」
 満面の笑み。はてさて何時間話したのやら。
 どうやらティジは明日学校があるため、先に眠ったようだ。サクラは週明けまでこちらに滞在する予定であるため、その間に母親の墓参りにも行くのだとか。

「こら、もう夜遅いんだから子どもは寝なさい」
 ルイを部屋まで運んだクルベスは、開口一番サクラを戒める。
「おや、初恋ドロボーが帰ってきたぞ」
「ちょっと待て。それ誰から聞いた」
「ご本人からの自己申告」
 エスタはクルベスの質問に答えるかたちで「私でーす」と元気よく手を上げているサクラを指した。
 初恋ドロボーといっても幼少期に憧れていた、というだけの良くある物だ。現在はサクラも婚約者がいて、その人物とも良好な関係を築けているので本人は笑い話として扱っている。
 初恋を奪われた本人自ら話したとあっては強く注意することもできないため、クルベスは大きなため息をついて「話す相手はよく考えろ」と苦言を呈した。

 

「それで?何か話したいことがあるんだろ」
 茶番もほどほどに早速本題に切りかかるクルベス。サクラは如何様な時にも察しの良いクルベスに「さっすがー」と笑った。

「兄さん、怪我したって本当?」
「あぁ、足にちょっとな。でももう治ってるから心配しなくて大丈夫。痕も残ってないし動作にも問題ない」
「俺が帰ってきた時点でほとんど治ってましたもんね」
 サクラの不安を払拭するため、クルベスの言葉を補足するかたちで発言するエスタ。
 足を刃物で刺されたと聞いたが、今はもう刺された痕も無い。8歳の時に何者かに右腕を切り付けられたルイは、いまだに傷痕が残っているというのに。ティジは昔から怪我の治りが早いようだがここまで差ができるものだろうか。

 

「あの様子だと……やっぱりまだ無い?」
「あぁ」
 クルベスはサクラの問いに短く答えると「この話はやめようか」と会話を打ちきった。

 春から初夏の間に起きたレイジによる襲撃ならびに『母親が亡くなった時の記憶が戻った』という話は事前に共有されている。
 だがしかし、母親が亡くなった際のティジの様子を知っている者は少なからず疑問に思う。

 あまりにも落ち着きすぎている、と。

 クルベスの話によるとレイジの一件からしばらくの間、ティジは罪悪感に苛まれて悪夢にうなされる日も多少あったらしい。それも彼の話を聞き出すかたちで言葉を交わし、少しは気も落ち着いたのだとか。
 彼自身が『周囲に迷惑を掛けないように』と気丈に振る舞っているところもあるだろうが、それを考慮しても……言ってしまえば他者と『普通』に接することができなくなるはずだ。
 それが出来るということは幸か不幸か『抜け落ちている』ということに他ならない。

 エスタも当時のティジの様子はクルベスから聞かされている。
 ――もし同じ状態に陥った、あるいはその傾向が見られた場合は即座に対応しなければならないから。

 本来ならばティジと一番長く接しているルイにも共有すべきだろうが……『今はまだ教えなくてもいいだろう』と引き延ばしているうちに話す機会を失ってしまった。仮に今さら聞かせたとしても、彼のティジへの接し方が変わってしまう可能性がある。
 そうなればティジが取り乱した時、ルイですら近付けなくなるかもしれない。

 願わくば、この平穏が少しでも長く続いてほしい。

 今頃あたたかなベッドの中で眠っている子どもたちに思いを馳せ、エスタは目を伏せた。

 


 異性に対しては距離を詰めすぎたりはしないエスタさん。でも「サクラちゃん」と『ちゃん』付けで呼びはします。距離間の取り方が謎な人です。