06.喧騒-6

「弟くん、ちょっと落ち着こう。ほら、価値観が違う人って世の中たくさんいるから。ちょ、弟くん速いって!え、競歩の練習?もしかして運動系のサークルから誘われてるのかなぁ!?」

 今日も今日とて怒り猛る心情を如実に表した歩調のルイ。そんな彼をエスタは必死に追いかけながら呼び掛ける。『このままでは変質者から早足で逃げている構図にも見えかねない』と冷や汗をかいていると、ルイはようやく我に返った様子でピタリと足を止めた。付け加えるとルイに手を引かれていたティジは若干息を切らしていた。

 

「ほぅ、それはそれは……さすがに俺でも怒るなぁ」
 シンが勝手に付けたあだ名とその他ボツ案を聞いたエスタは「うーん……」と頭を悩ませる。
「なんでそんなこと言うんだろうね。わざわざ嫌いな相手に突っかかるタイプでもなさそうなのに」
「知らない。知りたくもない」
 大層お怒りになっているルイの主観を聞いただけだが、そのシン・パドラという人物はルイをからかって反応を楽しんでいるような印象を受けた。それはそれで性格が悪い。

 ルイは八年前の一家襲撃事件を経て、外部の者との交流は控えるようになった。初等部に通っている間もそれは変わらず。同じ年齢の子どもであっても交流は必要最低限に留め、ティジのそばから極力離れないようにしていた。

『自分の勝手な行動で他者に危害が及ぶかもしれない』ということを恐れているのだろう。そのような気持ちを抱えているがゆえに、それを揶揄するかのような発言にひどく憤りを感じたのだ。
 実のところエスタもルイのことを思っているからこそ、ふつふつと怒りが沸き上がってしまう。

 

「まぁどうしても合わない人っているよ。第一印象ってわりと信用できるから、弟くんが嫌だなって思ったなら離れたほうがいい」
 おそらく人の気持ちをおもんばかることが苦手なのだろう。友好的と無遠慮の境目があやふやなのかもしれない。

「……エスタさんもそういう経験があるんですか」
「んー……はっきりと『こいつ嫌い!』ってなるのは無かったかな。『なーんか気になるなぁ』っていうのはあったけど。レイジはそれだよ」
 レイジの名を出したことで先日のクルベスとの会話を思い出し、胸のあたりに違和感を覚えるが『気のせい、気のせい』と振り払った。
 レイジの話をするとルイは決まって熱心に耳を傾ける。自分の知らない兄の一面に興味があるのだろう。どうやら彼の機嫌も直ったようだ。

「でも俺、弟くんたちが給仕しているところも見てみたかったなぁ」
「別に学校じゃなくても城で――」
「弟くん。……さすがにそこまで本格的なのは求めてないよ。確かにあんな場所でやってみたら気が引き締まりそうだけど」
 ルイの発言に被せるエスタ。始めはその様子に首を傾げていたルイだったが、すぐに察してハッと口元を覆った。

 ここは外だ。危うく『自分たちは王宮に住んでいる立場であること』を漏らすところだった。
 自身の失言に動揺するルイの肩に触れて「ああいう場所、憧れはあるよね」と気遣う。些細な一言でも用心に越したことはない。あくまで『王宮というクラシカルな場所で給仕の真似事をやってみたい』と夢見ている一般人のふりだ。

 だがしかし学校でも口を滑らせていないかと心配になってしまう。ルイは幼少期から口を滑らせやすく動揺が表情に出やすい。日々の安寧を維持していくためには気をつけていただきたいものだが、こればっかりは本人に意識して頑張ってもらうしかない。

 ◆ ◆ ◆

 色々と心配の種は尽きないまま城に帰還する。ふと、その前方からこちらへと駆け寄る影にティジの表情が明るくなった。

「サクラ!おかえり!」
 パタパタと駆けてきた双子の妹に顔を綻ばせる。サクラは父親と似たくるみ色の髪をなびかせて再会を喜ぶ。肩にかかる長さの髪はよく手入れされているのか軽やかに揺れた。
 彼女を目にした者は母親譲りの柔らかな笑みと気品を帯びた雰囲気に親しみと淑やかさを感じるだろう。
 その実、彼女と交流を交わしてみるとたおやかな立ち振舞いとはガラリと変わって、彼女本来の気質である快活な人となりが顔を出すのだ。

「ただいま!あと兄さんもおかえり!ルイもおかえり、いま学校から帰ってきたの?私もさっき帰ってきてクルベスさんとお話してたんだ。あのね話したいことがいっぱいあって、あ!荷物まだ出してなかった!お土産もあるんだ、友達がオススメしてくれたお菓子で私も食べてみたんだけどすっごく美味しかったよ。エスタさんも久しぶりですね、お元気そうで何よりです」
「うん。サクラちゃん、久しぶり。元気にやってるよ」
 エスタは相変わらずの饒舌っぷりを微笑ましく思いながら挨拶を交わす。遅れてやってきたクルベスは非常に疲れているように見えた。いまのいままでサクラの話を聞いていたのだろう。『いつ息継ぎをしているのか』と不安になるほどのお喋りに付き合えば、そりゃ聞き疲れもする。

 

「ルイ、また背が伸びた?もしかしてもう平均は越えてるんじゃない?将来はクルベスさんぐらい大きくなりたいって言ってたっけ」
「平均は越えてなかったと……いや、丁度だったかな。でもティジも伸びたって……あ」
 横に並ぶティジに顔を向ける。そこに来てティジの様子に気がついた。

「……これから伸びるもん」
『何が』とはあくまで言及せずにふて腐れるティジ。いつまで経っても平均より低い身長に思うことが無いと言えば嘘になる。『保有する魔力は常人のそれを遥かに凌駕するというのに、なぜ身長はそうなってくれないのだ』と身体測定の度にぼやいているのはこの場にいる全員が知っていた。
 サクラも再会の喜びで失念していたのであろう。申し訳なさそうに「……ごめんね?」と声を掛けるが、ティジはプクプクと頬を膨らましながら「別に気にしてない」と返した。

 

「それより!父さんにはもう会ったの?父さん、サクラが帰ってくるのを楽しみにしてたよ」
 ティジはあからさまに話題を転換してサクラに問う。その後ろでエスタは、サクラのマシンガントークに付き合っていたクルベスに「お疲れ様です」と労いの言葉を掛けた。
 サクラは同世代の異性ではあるが、ルイは緊張することなく会話ができる。ティジと同様、幼い頃から関わりがあったからであろう。

 会話もようやく一段落してサクラは「それじゃあ一緒にお父さんの所に行こっか!」と誘う。ティジはその誘いに二つ返事で応え、サクラの先導についていく。ルイも続こうとしたが『家族の時間を邪魔してはいけない』と考え、その場にとどまることを選んだ。

「サクラ、そんなに急がなくても大丈夫だよ」
 待ちきれない、と言わんばかりに手を引く双子の妹に困ったような笑みを浮かべる。そんなティジの足取りは非常に軽やかで、久方ぶりの家族団欒を心待ちにしていたのは容易に見て取れた。

 


 ようやくティジの双子の妹、サクラちゃんがお目見え!普段は他所の国のお淑やかな感じの学校に通っている、お喋りと異文化交流が大好きな女の子。寮生活も満喫しているようです。