07.転調-1

 あれは今から8年前のこと。
 俺、レイジ・ステイ・カリアは両親と8歳の弟のルイと一緒に平穏そのものな日々を過ごしていた。あの日もいつもと変わらないなんてことのない休日だった。

「レイジももう15歳かぁ。将来なりたいものってあるのか?」
 以前何かで見たトランプでできたピラミッドを作ろうと奮闘するルイから目を離し、父を見る。ちなみにかれこれ10分以上は格闘しているがピラミッドはまだ一段もできていない。
「……特に決まってない」
 父方の縁者に王族がいるが、そのせいで就ける職業が縛られているということはなく。この国の王族やそこら辺のルールは他国から見ても寛容な部類に入る。とはいえ休日になると決まってウチに訪れる伯父のような医者になりたいとも思っていないが。
「そうか。まぁ15ってそんなもんだからな」
 その返答が分かっていたかのように快活に笑う父にばつが悪くなる。
「あ!おにい、兄さん見て見て!立った、あ……」
 ようやく2枚のトランプを立たせることができたので嬉しそうに見せてきたがトランプはすぐに倒れてしまった。しょんぼりとしている様子を見ていられず、テーブルの端に置いてあったタオルを差し出す。
「これ下に敷いて。この上でやったら滑らないから、上手く出来ると思うよ」
「これで?うん、分かった。やってみる。……できた!兄さん見て!すごい!ほんとに倒れない!」
 目を輝かせながらこちらを見るルイがあまりにも可愛らしくて頭を撫でた。頭を撫でられて嬉しそうにしている姿もまたさらに可愛い。ずっと撫でていられる。
 冷静に考えるとタオルの上でやるのは反則なのではないか、とも思ったがルイは気にしていないので俺も気にしないことにした。
 そんなことより、最近俺への呼び方が『お兄ちゃん』から『兄さん』へと変えようとしていることにかなりショックを受けている。背伸びしたい年頃なのか、はたまた伯父が何か変なことを吹き込んだのか。どちらにせよ寂しい。もし後者ならば伯父を許さない。

「あら、ルイ上手にできてる!すごーい!」
 母も洗い物を終えてやってきた。母に褒められてルイも得意気だ。その様子を見て、ふと思いつく。
「俺、人の役に立つ仕事がしたいかもしれない……」
「ん?あぁ、将来のことか」
 父は一瞬何のことか分からなかったようだが、すぐに先ほどの問いかけのことだと思い至った。
「役に立つ、というか……誰かを守る……みたいなやつ」
 このあどけない笑顔を守れる。そんな仕事に、そんな人間に。
 それに……そんな仕事に就ければ俺のこの、生まれつき持った『凍結』の魔法を活かすことができるかもしれない。
 この力のことを、好きになれるかもしれない。
「いいんじゃないか。誰かを守る、か。うん、すごく良いと思う」
 父は目を細めて朗らかに笑った。「どうせなら衛兵になって伯父と同じところで働けばいいんじゃないか?」と茶化してきたが、そんなとんでもない提案はもちろん却下した。……あの伯父なら歓迎するのだろうが。

 そこへドアのチャイムが鳴った。
「あっ、ぼくが出る!」
 その音に反応したルイは真っ先に玄関に走り出した。
 今日も例に漏れず伯父が来る予定だ。ルイも伯父だと思い、自分が出迎えようと考えたのだろう。来てもとりとめのない話をしたりルイと一緒に遊んだりするだけの伯父。背の高い伯父に担いでもらったりして喜んでいるルイを見ると何とも言えない気持ちになる。
 それにしても今日はいつもよりも早い到着だ。いつもならばこちらに来る前に一言連絡を入れるのに、それも無しに早めに来るなんてはた迷惑な話だ。とりあえずルイが心配なので後を追うように玄関へと向かう。

「――へ?」
 次いでドサッ、と何かが倒れる音。
「ルイ?どうしたんだ」
 あまり聞き慣れないルイの声を不審に思いながら追い付く。
 ――何が起きたのか、分からなかった。

 そこには床に倒れうずくまるルイと、血の滴る剣を携えた見知らぬ男が立っていた。

「ルイ!?どうしたんだ大丈夫かルイ!!」
 倒れているルイに駆け寄り、その体を抱き起こす。
「ひっぐ……いだい、おにいちゃ、手……っ」
 右腕に縦に走る一筋の赤い線。そこからみるみるうちに血が流れだす。ルイの腕が、服が赤く染まっていく。
 視界の端に映る影が揺れ、顔を上げる。
 そして気づいた。その男の顔は全くの無表情だということに。感情の一切を排除した『無』がそこにあった。
 ルイの血が剣の切っ先を伝い、ポタポタと滴り落ちる音が聞こえてきそうなほどの静寂に包まれる。

 遅れて、とてつもない恐怖に襲われ肌が粟立った。――逃げなければ、はやく。
 頭は目の前の男に対してガンガンと警鐘を鳴らしているのに、恐怖で体が言うことを聞かない。泣きじゃくるルイを抱くことしかできない。
 ――足、うごけよ……っ!
 そうこうしているうちに一歩、また一歩と見知らぬ男はこちらへと歩みを進める。

 殺される。
 逃げないと。
 でも体が動かない。
 殺される。
 殺される……!!

「――ルイ!レイジ!!」
「っ!」
 父の声でハッと我に返る。おかしいと思ったのだろう。父と母が駆けつけてきてくれたのだ。一瞬、意識を目の前の男から外した。
 左脚に、違和感を覚えた。

「――っ、うあ゛ぁああ!!」
 焼かれるような激しい痛みが遅れてやってくる。膝から下が切り落とされたのかと思えるほどの強い熱。あまりの痛みにルイを抱えたままその場に倒れ込んだ。痛みに呻いている間にも左脚からドクドクと血が溢れ出ていく。
「レイジ!!」
 母が涙声で駆け寄る。父はその身を挺して見知らぬ男を足止めしようとする。
「ルイ、レイジ!あぁ、どうしてこんな……!」
「う゛……おかあさ、おにいちゃん……」
 俺とルイの傷を見て嘆く。そこへ父が声をあげた。
「お前たちは外へ逃げろ!はやく!!」
 その間にも父さんは見知らぬ男を押さえ込もうと奮闘するが、男も負けじと抵抗する。
「レイジはルイを連れてはやく行きなさい」
 母に支えてもらい、なんとか立ち上がる。ルイは今も俺の腕の中で泣いている。
「で、でも母さんは……」
「大丈夫。だから先に――」
「う゛ぁっ」
 潰れたカエルのような声に振り返ると父が床にくず折れていた。なおも引き留めようと男の足にしがみついている。しかし床には絶望的なまでの赤が浸食していた。
「はやく!にげて!!」
「――っ」
 母の咆哮に気圧され、急いでその場を後にした。

 

 足を引きずりながら裏口のあるキッチンへと歩く。一歩歩みを進めるたびに足が千切れるかのような痛みに呻く。
 止まるな。足を動かせ。止まったら死ぬぞ。
 そう必死に言い聞かせながら進む。いつもは何でもないようなキッチンへの道のりもひどく長く感じた。

 父さんはどうなってしまったのだろうか。母さんは本当に大丈夫なのか。逃げるって言ったってどこに?俺はどうしたら――

「……お、にいちゃ……」
 ルイの消え入りそうな声に意識を引き戻される。ルイの腕からは変わらず血が流れている。
「ぼく……しんじゃうの……?」
「……っ!」
 ルイのその言葉に、その姿に俺は気がついた。
 そうだ、俺がここで弱気になってどうする。

 ――今、ルイが頼れるのは俺しかいない。

「……っ、だいじょうぶ」
 ルイの顔を見つめて笑う。
「俺が、お兄ちゃんがルイを守るから」

 

 ようやくキッチンに着いた。ひとまずルイを椅子に座らせてリビングに足を戻す。
「……あった」
 先ほどトランプのピラミッドを作る際に使ったタオル。それを手にとり、ルイの元へ戻る。
「少し、我慢しててな。すぐ終わるから」
「うん……」
 ルイはか細い声で返事をした。だいぶ消耗している。ルイの右上腕部をタオルできつく締め上げる。応急処置だが、これで少しは血も止まってくれるだろうか。『伯父からこういう時の対処法などもっと話を聞いておけばよかった』と後悔した。

「ルイ、立てるか?」
「ん、うん……がんばれば、立てる」
 そう言いながらルイはよろよろとふらつきながらも立ち上がった。だが、壁に手をつかないと立ち続けることは難しそうだ。顔も青白い。当たり前だ。こんな小さな体であれだけの量の出血をしたのだから。
 できれば俺が支えてあげていたい。でもそれはできない。
「ルイ、今からお兄ちゃんの言うこと聞いてくれる?」
 ルイの両肩に手を置き、じっと目を見つめる。
「うん、わかった」
 ルイはつい先ほどトランプのピラミッドを作っている時と同じ返事をした。
 ――あの時とは状況がまるで変わってしまったが。

「そこに扉があるだろ?そこから外に出られる。ルイはあそこから外に逃げるんだ」
 ルイの後方に見える裏口を指し示しながら説明をする。
「お兄ちゃんと一緒に?」
 ルイは裏口の扉を確認してからつぶやいた。それに緩く首を振る。
「……いや、お兄ちゃんは行かない。ルイ一人で外に行くんだ」
「……え?」
 理解できなかったのか数拍遅れて聞き返す。頭に血が回っていないこともあるのだろう。
「なんで、お兄ちゃんも一緒に出ようよ……ぼく一人でなんて……」
 困惑して声も震えている。今にも泣き出してしまいそうだ。
「それにお兄ちゃん、足ケガしてるのに……やだ、ぼくココにいる……!」
「――ルイ」
 ボロボロと涙をこぼすルイを優しく、だがしっかりと抱きしめる。
「お兄ちゃんはこのケガで走れないから、ルイには外に出て助けを呼んでほしいんだ。できるね?」
「っ、でも、でも……」

「お兄ちゃんのお願い、聞いてくれ。……大丈夫、お兄ちゃんは大丈夫だから。ルイは先に行って」

 そう言われて依然涙を流し続けてはいるが、ルイはもう「いやだ」ということはなくなった。良い子だ。

「……ルイ、大好きだよ」
 今一度ルイを抱きしめ、その言葉を告げる。ルイは黙ったままだが、確かに抱きしめ返してくれた。

「――じゃあね」
 体を離し、ルイを扉の外へ押し出す。呆然とするルイが扉の奥へと消えていく。
 扉が閉まる音と共に瞳を閉じた。

 

「……や、だ」
 ルイは目の前で閉められた扉を見上げながらつぶやく。
「やっぱり、いやだ、ぼく、お兄ちゃんとはなれたくないよ……!」
 ドアノブに手をかけた瞬間、刺すような冷たさが伝わる。それでも構わず開けようとするも何故かドアノブが回らない。何かで固められてしまったかのようにびくともしないのだ。
「やだ、やだよ!お兄ちゃん!!あけて!!ここを開けてよ!!」
 ドンドン、と扉を叩きつける。涙が止まらない。いくら扉を叩いても、泣きながら呼び掛けても返事はなく。
「……わかった。ぼく、助けを呼びに行く。だからお兄ちゃん待ってて!ぼく、絶対戻ってくるから……!」
 腕の痛みで、ここを離れなければいけない悲しみで未だに涙は止まらないがゆっくりと確かな足取りで歩きだした。

 

「……ルイ」
 扉の向こうに聞こえてしまわないよう小さな声で呟く。両の手で握ったドアノブは凍りついていた。
 一度凍らせた物は自らの手では元に戻すことはできない。ドアノブを含め、中の鍵穴ごと凍りづければ開けるのは至難の業だろう。

 ドアノブから手を離す。空気中の水分を凍らせて腕ほどの長さの氷柱を作り、強く握りしめる。そのまま二階へ上がる階段に向かう。
 その手に握った氷柱で、渾身の力で階段の手すりを叩いた。
 何度も、何度も。
 二階へ誘えば少しでも時間稼ぎになる。ルイがより遠くへ逃げられるように俺が少しでも時間を稼ぐんだ。

 ルイ。俺のたった一人の大切な弟。
 せめてお前だけでも生きてくれ。

 父さんと母さんの声はもう聞こえない。そこにはガンガンと手すりを叩きつける音とこちらへ徐々に近づく足音だけ。

 ……死にたくない。

 


ラッキーセブン!回想パートです!
お察しの通り、レイジはかなりのブラコン。弟に危害を加えようものなら誰であろうと容赦しないタイプ。ルイが休日になるとやってくる背の高い伯父さん(クルベス)に懐くのを見て並々ならぬ感情を抱いてます。嫌いではないんです。