15年の時を共に過ごした自分の部屋。
机の上には開きっぱなしのノートが置かれ、本棚には魔術に関する書籍が並べられている。自分なりに、この力のことを理解しようとした名残だ。ルイが怖い夢を見たという日には一緒に寝たベッド。
そのどれもが、俺という存在が生きてきた証。
「――がはッ」
床に倒れ伏し、血を吐き出す。腹部につけられた傷から血が溢れ、絨毯へと染み込んでいった。
部屋の所々に氷塊が散乱し、霜がおりている。目の前に立つ男は指先を凍らされ血も通わなくなっているにも関わらず、何食わぬ顔で剣を握る。避けようにも短時間で慣れない魔術を行使し過ぎたためか体に全く力が入らない。意識を保つのがやっとだった。
まだ、死ぬわけにはいかない。弟を、ルイを逃がさないと。
切っ先を首筋に当てられ、金属特有の無機質な冷たさが伝わる。
――こんな、ところで。
「おー、おー。これは派手にやったねぇ」
この場に不釣り合いなやけに間延びした声が響く。
その声の主は白衣を身にまとい、薄紫の髪を結わえながら入ってきた。そして今まさに俺の首をかき切ろうとした男に近寄る。
「18番、『待て』だ。こいつはすぐ殺すには惜しい」
そう言われると18番と呼ばれた男は従順な犬のように剣を離した。その様子を見届けると、白衣の男は辺りを見回す。
「すごいなぁ、これ。ここだけ雪国になったみたいだ」
そう言うと床に転がる無様に折られた氷柱を手に取った。
「これ、お前がやったの?」
「…………」
こちらを値踏みするかのように見つめる白衣の男をただ、睨む。
「だんまりかぁ。まぁこんなの聞かなくても分かることだし。……でも、これはかなりの上物を引き当てたかもしれないなぁ」
手にした氷柱を放り投げ、ぶつぶつと独り言をはじめる。ひび割れていたわずかばかりの長さの氷柱は無残にも砕け散った。
「魔術が使えるやつって中々いなかったし、これだけ安定した力で使うことができるのは初めてだ。18番はまぁまぁ成功したし、そろそろ次の段階へ進んでも良さそうだな。実験も行き詰まってたところだし。傷だらけになってるけど、そこはまぁ何とかするとして……よし決めた」
白衣の男は大仰にうなずいた。
「一応聞くけどお前、実験台になる気はない?」
「だ、れが……っ!」
漏れ聞こえた内容から白衣の男が元凶であることは間違いなかった。
「うん、だろうね。今までの奴らもみんな同じ返し方してたよ。もちろん、この18番もね」
18番と呼ばれた男の肩を叩く。18番はそれに反応を示すこともなく、生気を感じない表情のまま佇んでいた。
「でもその様子じゃあ、どっちみち死ぬだろ?それはあまりにももったいない。だからさ、僕がちょちょいと手を加えて新しい身体に作り変えてあげる。お前にとっても悪い話じゃないと思うんだけど」
幼い子どものように目を輝かせながらおぞましい提案をする。
「ふざ、けんな……げほっ、俺は、お前らなんかに従わない……!」
一息ごとに体を串刺しにされたような激痛が走りその言葉を吐くのがやっとだった。白衣の男はそれを観察するかのように眺める。
「揺らがないねぇ……でも、そういうことなら仕方ない。18番、下に降りろ。降りて左に見える部屋の奥に扉がある。その先に行け」
「な……っ!」
白衣の男の口から発せられた場所はルイを逃がした裏口のことだった。
「玄関の子ども用の小さい靴に血の跡が2つ。おまけに扉はご丁寧にドアノブまで凍らせちゃって。所詮は子どもの浅知恵なんだよ。そんなのでうまくいくと思った?」
白衣の男が話す間にも18番はゆっくりと動きだす。
やめろ、行くな。その先にはルイが――
「いままでの実験台の中には小さい子どもはいなかったからなー。また新しいデータが得られそうだ」
プレゼントを目の前にした子どものように、声を弾ませながら立ち去ろうとする。
「……て」
「ん?」
「待ってくれ、お願いだから……」
白衣の男はほんの少しこちらに体を向ける。
「俺はどうなってもいい、何でもする。実験台にも、何にでもなってやる、から。ルイには、手を出さないでくれ……っ」
だからどうか弟だけは、と懇願する。その様子に白衣の男は目を瞬かせたのち、満面の笑みを浮かべる。
「ははぁ!こりゃあ傑作だ!とんだ自己犠牲の塊だよ!自分より他の奴を優先するのか。自分の力で立つこともままならないのに?」
言い返すこともできない俺を見下ろしながら「でも」と続ける。
「そのお願いとやらを聞いて、今回は子どものほうは見逃してやるよ。実験に耐えられないかもしれないガキよりも魔術も使えるお前のほうがよっぽど有用だしね」
上機嫌な声で白衣の男は18番を呼び戻す。
「それじゃあお互いに気が変わらないうちに、いこうか」
それからの日々はひどいものだった。薬品の匂い。点滴のパック。度重なる実験の数々に体が悲鳴をあげ、何度も血反吐を吐いた。でもどんなに苦しくてもルイのことを考えれば、まだ耐えられた。
いつか隙を見て、ここから抜け出すんだ。そしたらまたこの手で、ルイを抱きしめて――
どれほどの月日が流れたのか覚えていない。でも、ある時から記憶が抜け落ちることがあった。
台に寝かされていたと思ったら次の瞬間には手に拳銃を持って佇んでいた。また、気が付いたときには18番の首を絞めようとしていた時もあって。だけど白衣の男が記録した映像には俺は確かに意識を持って動いている。
その目はひどく冷たくて。まるで姿は同じの別人を見ているようだった。
――お前は誰だ?俺は、いったい何なんだ?
訳の分からない恐怖に苛まれながら、俺はあの日……あの場所で……
……よく整えられた芝生を踏みしめる感触がした。
何だ?ここはどこだ?見覚えのない場所に戸惑うが何故か足は歩みを止めない。
いや、止められないんだ。まるで俺の体じゃないみたいで。足を止めることはおろか、声を出すことさえできない。映画を見ているみたいに、自分の体に一切干渉することができない。俺は一体どこへ向かっている?
やがてたどり着いた場所には一人の男の子がいた。白い髪が風になびく。その子どもはこちらを振り返り――
「――っ!」
気が付けば、あの白衣の男の元へと戻っていた。
「俺、なんで、何した?」
いや、はっきりと覚えている。
「俺……人を、ころした……?」
それが紛れもない事実であることを証明するかのように服は所々赤く染まっており、何より手にしている剣はベッタリと赤黒く汚れていた。
「ぁ、あぁ……あぁああぁあ!!」
自分が犯した過ちを突きつけられ、その場に膝をついた。
「いやぁ、すごかったよ。期待以上の働きだ。まさかあそこまでやるなんて」
白衣の男は暢気な声で目の前に立つ。落とした剣はその足によって部屋の端に蹴り飛ばされた。
「お前は、俺の体に何をした……?」
顔を上げると白衣の男は貼り付けたような笑みを浮かべていた。
「あ、いまさら聞くんだ?でも今日は本当によくできたから教えてあげる。ちょっとね、別の人格を作ったんだよ」
「……は?」
わけが分からず聞き返した俺に「もうちょっと説明したほうがいいか」と指先で小さく円を描いた。
「18番は催眠状態みたいなもんで、言うことは聞くけどあんまり複雑なことはできないんだ。でもそれじゃあ使い勝手が悪いだろ?だからお前には僕の言うことも聞いて、自分で考えて行動もしてくれる素敵な人格を作ってあげたんだ。ここまで上手くいくとは思わなかったけど」
あまりにもあっけらかんとした様子で語るので、言っている意味が一瞬理解できなかった。
だがもう一つの人格ができたというのならば今までの不可解な出来事も説明がつく。
記憶が途切れ途切れにしかないのも。自分の体なのに自らの意思で動かすことができなかったことも。
「俺とは違う、別の人格がやったっていうのか……?」
「そういうこと。理解できた?」
「ふ、ざけるな!!」
その馬鹿げた声に目の前の男を床に引き倒し、胸ぐらを掴んだ。
「お前は、人間を何だと思ってんだ!!こんな、こんなことって……!」
怒りで手に力がこもる。その手が震えていたのは憤りからか、それとも『受け入れたくない』という拒絶が表れたのか。
「でもあの時どうなってもいいって言ったのはお前だよ?あの時あのまま死んでればお前は今日、人を殺さずに済んだのに。まぁその時はお前の弟にやってもらってたけど」
「イカれてる……っ!」
悪びれもせず話す目の前の男に殺意を覚える。
「18ばーん、コイツどかしてー」
いつの間にか背後に立っていた18番に羽交い締めにされて引き離される。
「はなせ!くそ、ふざけ、――っ!!」
18番の腕をはがそうと暴れるが突如、肺が潰されるような息苦しさに襲われ、喀血する。
――なん、だコレ。
熱い、痛い。体が内側から燃やされているかのような熱と痛みが全身を駆け巡る。
「ぁ゛……がふ……っ」
声を出そうにも止めどなく溢れる血が気道をふさぎ、息すらままならない。
「あーらら、やっぱりだめか。凍結の力を使おうとすると魔力が暴走しちゃうな。何がダメだったのかなー?18番おいで、そいつ治さなきゃ」
もったいないなー、とつぶやき踵を返す。18番は俺を羽交い締めにしていた腕を離し、抱え上げようとしている。
「……ろ……やる」
「ん?」
体を焼き尽くすような痛みは治まらない。そんなことはどうだっていい。俺は――
「おまえを……いつか、ぜったい、ころしてやる……!」
憎悪の目を向けられた白衣の男は――
「いいねぇ、やってみろよ。モルモット風情が」
と薄ら笑いを浮かべた。
前回に引き続きシリアス回です。
むしろコミカルな回なんてありましたっけ……?