09.夜の帳が下りる頃

「それからも実験の日々は続いた。人を殺すことはあれ以来無かったけど、徐々に『俺』が……『レイジ』の意識がなくなる頻度は増えていったんだ。4年前のことも、この間の墓地でのことも、俺は、何もできなかった……!」
 レイジは手で顔を覆い、懺悔をするかのように声を枯らす。ティジは、戸惑っていた。

 4年前、母は病でこの世を去ったのではなく殺されたのだということは墓地での応酬と周りのよそよそしさから薄々勘づいてはいた。――でも、じゃあなぜ父は自分の記憶を消したのか。

 母が殺されたという凄惨な過去。この4年間ひた隠しにしてきたソレを何故再び消そうとしない?
 不都合な何かがあるのか?記憶を消すことをためらうほどの『何か』が?
 何かが頭の隅に引っ掛かって気持ちが悪い。そうだ、数日前みた夢の中でもうひとつ何かを――
「4年前……」
「――っ!」
 レイジのか細い声で意識を引き戻される。そうだ、今はこの人の話を聞かなくては。

「君を襲ったのは、あいつに……白衣の男に命じられたからなんだ……」
「なんて言われたんですか」
 レイジは首をもたげ、泣き腫らした瞳で見つめる。

「……君を連れてくるように。君はとても特別みたいだから」
「とく、べつ?」

「君のその姿が、もしかすると……って」
 それがどういう意味かは分からない、と首を振る。
「あいつの名前は分からない。18番って呼ばれた奴のことも。あいつは頑なに自分の素性を明かそうとしなかった。自分の身元が知られることを避けていた、んだと思う」
 でもこれだけは分かる、と続ける。

「あいつは、白衣の男は君を諦めていない。あいつの君への執着は異常だ」
 力のこもった目でティジを射抜いた。

「……このことをクーさん、クルベスさんとか他の人に話しましょう。それにルイだってあなたに会いたいと思って――」
「それは……たぶん無理だ」
 覇気のない声に思わず感情が高ぶった。
「なんで!きっと話せば分かってもらえる!ルイだって、分かんないけど……きっとあなたのことを信じているはずだ!」
 声を荒らげるティジに静かに首を横に振る。
「さっきも言っただろう?それは無理なんだ」
 諦観の笑みを浮かべたレイジは自身の手を見つめながらとつとつと語る。

「俺が俺でいられる時間がどんどん少なくなっている。君とこうして話ができているのも奇跡みたいなものだ。だからいま話せるうちに全部君に話したんだよ。それに、君は君の身に迫る危険を知る必要があったから。……君、たぶん黙って抜け出してきたんだろう?それこそ、クルベスなんかにここにいるってバレたらきっと怒られてしまう。アレはかなりの世話焼きでお節介だから。何年経ってもそこはきっと変わってない。だからほら、早く帰りなさい」
 病室の出入り口へと促す。後ろ髪を引かれる思いはあるが、おそらく相当長い時間滞在してしまっているので仕方なく扉に手をかけた。

「……あなたはそれでいいんですか」
 やるせなくて、どうしても聞かずにはいられなかった。レイジはその問いかけにしばしうつむき、やがて応える。

「次もし君に会うときが来たら、その時はもう俺は『レイジ・ステイ・カリア』ではなくなっていると思う。だから、さ――ルイのこと、たのんだよ」

 彼はそう言って、寂しそうに笑った。

 

 ――そして現在、クルベスの私室にて。
 レイジとの会話を一通り話した後、クルベスは頭を下に向け沈黙していた。その表情をうかがい知ることはできない。
「……ルイには今夜にでも俺から話しておく」
 顔を上げずに続ける。
「お前はもう、今日は休め」
 
 クルベスはそれきり言葉を発することは無かった。

 

 その日の夜、食事と入浴を終え自室に戻って来たティジ。いつもならば読書にふけるのだが内容が全く頭に入ってこない。
 ……夕食のとき、ルイの顔を見られなかった。
 病室での別れ際のレイジの表情がどうしても頭にちらついて。
 いまごろクルベスがルイにレイジのことを話しているのだろうか。再び目の前の本に意識を集中させようとするも、どうも目が滑ってしまう。
「……外の風にでも当たってこよう」
 ぽつりと呟き、本を閉じて立ち上がった。

 もう春も中盤に差し掛かるとはいえ、夜になると気温も下がる。体が冷えないようにカーディガンを羽織り、静寂に満ちた廊下を歩いていく。向かう先はあの庭園。今日は晴れているし、きっと星もよく見えるだろう。気分転換にはうってつけだ。

 そんなことを考えながら歩いていると、ふと視界の端に何かを捉える。
 このまま真っ直ぐ進んだら目的地にたどり着く。対して、右手に伸びる廊下の先には白い花が落ちていた。それは窓からこぼれる月明かりを受け、輝いているかのように見えた。

 ……あんな花、庭園にあったっけ?

 妙に気になり、庭園へと続く道に背を向け、その花に近寄り手に取る。顔を上げると少し離れた先にも同じ花が落ちていることに気付いた。再び歩き拾い上げると、またその先に。まるでおとぎ話みたいだ。

 歩く、拾う。再び歩く。そうしているとあることに気が付く。
 この先は以前クルベスが近づくなと再三言っていた場所だ。確か武器庫があって危険だとか。

 

 たどり着いたそこは武器庫などではなかった。
「……花?」
 ――中庭にある物とは違う、もうひとつの庭園。

 あぁ、そうだ。昔『ここは貴重な花があるから入る時は気を付けろ』と言われていた。この拾ってきた花もここに咲いているものの一つだ。
 あれ?でもここは武器庫だと言われていたのも事実だ。だがそれらしきものは見当たらない。……入らせたくなくて武器庫だと嘘をついたのだろうか。
 日頃から魔術を正しく使えるようにするため植物に関する知識はつけている。貴重な花でも正しく扱うことができるだろう。そうしたら入ってみたいと言い出しかねないと考えた末、武器庫という危険な場所だと言うことにしたのか。

 パズルのピースがはめられていくように少しずつ思い出していく。

 昔は度々この庭園に入っていた。その頃は入ることはできたからだ。
 4年前にも、ここにいた。あの時はもっと奥のほうに入った。そう、この先。庭園の一番奥の温室。そこだけはいつも鍵がかかっていて、中も見えなくて何があるのか分からなかった。でもあの日は鍵をかけ忘れていたのか何故か開いてたんだ。その先で俺は――
「とんで火に入るってやつかな」
 背後から、声。

「こうも簡単にかかってくれて嬉しいよ」
 その声は病室で聞いたソレと同じで、でも違っていた。

 

「……俺のせいだ」
 クルベスの私室ではティジの話を伝え聞いたルイが嘆いていた。
「8年前、兄さんがいなくなったのは……俺を逃がすために時間を稼ごうしたから……」
「あいつが兄としてお前を守ろうと思って自分の意思でやったんだ。お前は何も悪くない」
 クルベスはそう言って、今にも泣き出しそうなルイの肩に手を置く。
「でも、そもそも俺があの日誰が来たのかちゃんと確認していれば、兄さんはあんなことにならなかったし、父さんと母さんだって死ななかった……っ」
 必死に涙を堪えるも視界が滲んでしまう。クルベスはそんなルイを優しい声で気遣う。
「仮に確認したとしても多分無理やり入っただろ。こればっかりはどうにもならなかったんだよ」
「……俺は、そんなふうに割りきれねぇよ……」

 ルイが自分を責めるのも無理は無い。クルベス自身もあの日、自分がもっと早く行っていればと自分を責め続けたのだから。

「……とにかく、この話をしたのはお前だけ何も知らないままでいるのは酷だと判断したからだ。あの時のことを割りきれって話をしにきたんじゃない」
 ルイの肩から下ろした自身の手を強く握りしめた。
「俺は明日にでもレイジのところに行く。どんな状態かは分からんが、こんな話聞いたらこっちだって黙ってられないからな」
「……俺も行く」
 それはか細い声だったが、明確な意思を示していた。
「話聞いてたか?どんな状態か分からないんだ。ティジの話から推測しても、十中八九お前の知ってる優しいお兄ちゃんじゃない。……そんな姿みられるのか?」

「――それはあんたも同じだろ!!」
 ルイはたまらず立ち上がり声を荒げた。

「あんただって本当はそんな姿、見たくないんだろ!なのになんで一人で行こうとすんだよ!それに、このまま何も行動しないままだったら、俺は8年前と何も変わらない、守られているだけの俺のまんまだ!黙って待ってるだけなんてもう、嫌なんだよ!なんで全部一人で抱えようとするんだ!俺も一緒に抱えさせてくれよ……っ!」
 ルイはずっと分かっていた。一番強がっている人がすぐ近くにいることを。一人ぼっちになってしまった甥を心配させまいと、苦しい気持ちを心の内に押し込めて気遣ってくれていた伯父のことを。

「――っ、ルイ」
「クルベス!!」
 甥の真摯な眼差しに圧倒されていたが、そこへジャルアが息をきらして飛び込んできた。
「は、ルイ!?」
「あぁ、いまティジから聞いた話をしていて……ルイがどうかしたか?」
 ルイの姿を見ては目を見開くジャルアにクルベスは一抹の不安を覚える。
「……あの庭園に、これが……」
 そういってジャルアは小さな紙切れをクルベスに手渡した。

 

 クルベスはルイに話すより先に、ジャルアにティジの話を報告していた。その後、ジャルアは城内にあるもう一つの庭園へと足を向けた。4年前のことを思い返しながら。――たどり着いたそこは、変わり果てた姿をしていた。

 庭師が日頃欠かさず手入れをしている芝生は所々踏み荒らされており、白い花びらが辺りに散らばっていた。そして手入れの時以外は厳重に閉ざされている温室の前に書き置きが。

『大事にまもられた子どもはこの手の中に』

 隅に走り書きでルイの名前と、ある場所が記されていた。そこは8年前までルイたち一家が住んでいた家にほど近い、今はもう閉鎖された劇場。

 

「てっきりルイがさらわれたのかと思ってクルベスに伝えようと……」
 しかし、ルイはここにいる。だが庭園に争った形跡があったのは確かだ。それならばこの『大事にまもられた子ども』が示すのは――

「おい、ティジはいまどこだ!?」
 レイジとは、明日を待たずに会うことになりそうだった。

 


久しぶりのティジ登場です。幼い頃から好奇心旺盛な子でクルベスも苦労してます。