10.四年前

 ――それは、4年前のことだった。
 先月、僕 ティルジア・ルエ・レリリアンは12歳になった。来年から中等部に入る。もちろんルイも一緒の学校だ。中等部ってだけで少し大人になった気分になる、と浮き足だっているのを見てクーさんは『中等部に入るのは来年の話なのに気が早い奴だな……』と呆れた様子で言うけど楽しみなのだから仕方がない。

 それはさておき、今日はルイと一緒に図書館に行く予定だ。ルイが『準備するからちょっと待ってて』と言うので、そのあいだ僕は庭園で暇をつぶすことにした。

 僕は庭園が好きだ。生き生きとした花や草木と触れあうと元気が出るから。
 クーさんは、僕の体質が関係してるんじゃないかって言っていた。どうやら生命力あふれる植物と触れあうと、その生命の源である魔力を少し共有?させてもらってるとか。クーさん自身もよく分かってないらしい。でも植物と触れあった後の僕の魔力を測るといつもより高い数値がでるから『まぁそういうことなんだろう』と。害は無いから大丈夫とも言ってたっけ。

 僕の体質は他に例が無いから分からないことが多い。
 ――他の誰とも違う、この姿。父さんにも母さんにも似ていない白い髪と真っ赤な目。

 でもルイはこの姿が綺麗だって、好きだって言ってくれた。だから僕もそう思えるように、少しずつでもいいから好きになれたらいいなと思ったりしてる。

 

 少し歩いてたどり着いたのは城の奥のほうにある庭園。いつもは中庭にある庭園に行くけど、こっちの庭園もお気に入りだ。『ここは他の国から友好の証としてもらった貴重な花があるから扱いには気をつけろ』ってクーさんによく言われていた。
 この庭園は母さんも気に入っていてよく訪れる。母さんは花に詳しくて、ここで咲いている花やそれにまつわる話を聞かせてくれる。僕はその時間が大好きだ。
 でもどうやら母さんはいないみたいだ。庭師の姿もない。中庭のほうに行ってるのかな。あ、小鳥だ。近づくとすぐ飛び立ってしまった。その様子を見ていると温室が目に入った。

 いつも鍵がかかっている温室。遮光カーテンが引かれていて中も見えない。何があるんだろう、と思いながら好奇心の赴くままに温室へと向かう。

 クーさんに見られたらすごく怒られるだろうな、と思いながらなんと無しに扉に手をかけると、いとも簡単に開いた。……鍵をかけ忘れたのだろうか。

 

 開かれたその先は、周りの景色とさほど変わらないものだった。一面に咲き誇る青い花。
「うわぁ……」
 初めて見る花だった。この国には咲いてない花なのかな。そう考えながらかがんで、観察する。綺麗な花だ。よく晴れた日の空みたいな群青色。

 そこでふと思い至る。もしかすると、この花は管理が難しい花だから他の人が勝手に入れないようにしていたのではないかと。だとすれば、この状況はとても良くない。誰かに、それこそクルベスに見られでもしたら大目玉をくらうことは間違いない。よし、ここを出よう。
 立ち入った痕跡がないか入念に確認し立ち去ろうとすると頭の片隅に何かが引っ掛かった。

 この花は初めて見る花のはずだ。でも、どこかで見た気がしてならなかった。

「……じぃじが話してた?」
 うんと小さい頃、先代国王で今は亡き祖父がこの花のことを話していた。祖父は博識な人で、忙しい父に代わって沢山遊んでくれた。父も公務の合間を縫って会いにきてくれたので寂しくはなかった。
 この花のことを教えてくれたのは祖父だ。なぜ今の今まで忘れてしまっていたのだろう。
「……花の名前、なんだっけ……花言葉も教えてくれたのに……」
 あと少し、あと少しで思い出せそうなのに。だがしかし頭にもやがかかっているようでうまく思い出せない。

「……ねぇ」
 後ろから声をかけられる。振り返ると、見知らぬ男性が立っていた。父さんに用があって来た人だろうか。黒い髪に深い青の瞳。『ルイが大人っぽくなったらこんな感じかな』と考えていると男性の指先がこちらに向けられた。
「君、それは元から?」
「それって?」
 質問が曖昧すぎてよく分からず聞き返す。
「髪と、目」
「……そう、ですけど」
 質問の意図が全くつかめない。あとそういう質問は好きじゃないので少し突き放した返しをしてしまった。
「そう……元からなんだ」
 何か納得したように呟く目の前の男を訝しげに見つめる。質問の内容から自分に用があるのか、と考える。自分に用があって城に来た人は初めてだ。
「少し、来てくれるかな」
「来てってどこに――」

 突然、視界が揺れた。訳も分からないまま地面に倒れる。
「眠ってくれたほうが運びやすいよね。じゃあ眠っててほしいな」
 遅れて頭に鈍い痛みが伝わる。どうやら頭を殴られたようだった。
「君を連れてかなきゃ。だって君は『とくべつ』だから」
男は誰に聞かせるでもなく独り言を呟く。

 連れてく?どこに?とにかく、逃げないと。だが頭を殴られたせいなのか体を動かせない。力の入らない体をいとも容易く抱えあげられる。
 ――その時、温室で優雅に咲き誇る青い花が目に入った。
「――っつ」
 チリッと頭に電流が走ったような感覚がした。途端に何かが頭の中に流れ込む。

 誰かと一緒にいる。雷の音。自分を呼ぶ声。

 なんだ、これ。

 おぞましい何かに、異様な寒気に襲われて。たまらず自分を抱える男を突き飛ばし地面に転げ落ちた。
「なに、今の?何か――っ」
 何かを、見た。分からない。
 一瞬だけ頭の中を駆け抜けたそれはよく分からないが、言い知れぬ恐怖だけは体に残っている。

 息が切れる。震えが、冷や汗が止まらない。顔を上げられない。見ちゃいけない。自分の周りを囲むあの青い花を。だめだ、見るなと頭が警告している。

「おとなしく……しててよ」
 気だるげに呟く声と共に左腕を加減も無しに蹴り飛ばされる。温室の壁までふっとばされ、背中を強かにぶつけた。
「……ぅ、い゛」
 痛みに呻きながら目を開けると青い花が視界を包む。
 
 ――あ
 頭は拒んでいるのに、ソレは容赦なく流れ込んできた。

「やだ、やだ!なに、なんでっ、わかんない、なにこれ、ぼく、どうして――!!」
 わけがわからず、頭を抱えて泣きじゃくる。

 きもちわるい、いやだ、わからない、なんで、こわい、どうしてこんな。

「……っ、うるさ」
 男は持っていた剣を出す。まだ一度も使われていないであろうそれは温室の光を鈍く反射した。しかしティジは半ば錯乱状態になっているため、動くこともできない。銀色に輝く剣をゆっくりと振りかざす。
「静かにしててくれないと、困る」
 依然ティジは小さく縮こまって泣いている。そして無慈悲にも、それは振り下ろされた。

 

 それはティジを切り裂くことはなかった。怯えるティジを何かが温かく包む。その温かさに目を開ける。――そこには母がいた。
「……っ、ティジ……大丈夫」
「お、かあさん?」
「ごめんね」
 背中を撫でる母に手をまわす。指先にぬるついた感触があった。

「母さんは……あなたをずっと、あい……いいえ、想ってるから、ね」

 そうして、ゆっくりと母の体が横に傾く。地面に倒れたきり、ピクリとも動かなくなった。

「かあさん?どうしたの」
 その体に触れようと、手を伸ばす。見ると自分の手は何かでベッタリと染まっていた。
「な、……え?これ――」
 それは母の背中から流れ出すものと同じ色をしていた。
 ――温室のタイルが深紅に染まっていく。

「かあさ、かあさん!!」
 汚れた手で母の体を揺さぶる。
「なんで、おきて!かあさんおきてよ!!」
 けれども、一向に起き上がる気配はみせない。置物になってしまったかのように、微動だにしない。
「かあさん、なんで……」
 なんで?そんなの決まっている。

「ぼくの、せいだ」

 

「――ティジ!!」
 出かける準備を済ませたルイは中庭に訪れた。大体いつもそこにいるから。でもティジはいなかった。それならば、城の奥まったところにある庭園のほうにいるだろう。そう考え、待たせ過ぎてはいけないと駆け足で向かう。

 ――そこで見たものは、地獄だった。
 倒れる母を前に呆然と涙を流すティジ。それをただ黙って見つめる人物。庭園の入り口からはその顔は見えなかった。
 たまらずティジに駆け寄る。後先のことは何も考えていなかった。ティジを抱き留め、目の前の人物を見る。

 どれほどの年月が経っても分かる、見知った顔がそこにあった。
「に、いさん……?」
「――っ、ル、イ?」

 ルイの姿を捉え一瞬、目に光が戻ったその男、レイジはぎこちなくルイの名を呼んだ。

 

 そこから先はルイもよく覚えていなかった。衛兵とクルベスが駆け付け、いつの間にかレイジの姿は消えていた。

 


作中でやたらと連呼されていた「四年前」の回想パートです。
小さい頃のティジは気がついたら庭園の芝生とかベンチで寝てることが多い子。大体クルベスが見つけて起こさないようにしながら部屋まで運びます。庭園発~寝室着の直行タクシーみたいな感じ。便利ですね。