11.彼の人の行方

「……ぅ」
 重いまぶたを上げる。辺りは暗く、視界がきかない。自分が今、後ろ手に縛られ床に転がされていることだけは理解できた。埃混じりの空気を吸い、咳き込む。ここは……?

「ようやくお目覚めだね、眠り姫」
 床に転がるティジの体を後ろから飛び越えて躍り出る。レイジは薄く笑みを浮かべていた。
「あぁでも、君は姫じゃなくて王子だったか」
 かなりきつく縛られており、動こうとすると縄が腕に食い込む。
 そうだ、あの庭園でレイジに襲われたんだった。まともに抵抗することもできず昏倒させられたのはかろうじて記憶にあった。

「ところでどう?あの時のこと、思い出した?」
「どの口が……!」
 4年前、その手で母を殺めた男を睨む。眠っている間、ぼんやりとだが4年前の記憶は思い出した。あの時の指先のぬるついた感触が今も手に残っているかのようだった。
「その様子だと思い出せたみたいだねぇ。俺だけ覚えてるなんてなんかつまんないから良かったよ。ねぇ、俺のこと憎い?でもそんな状態じゃ動けないね?」
「……ここはどこだ」
 挑発と分かっててのるほど馬鹿ではない。その返答にレイジはあからさまに気を悪くする。
「押さえ込んだね、つまんない奴。……ここは俺の、レイジ・ステイ・カリアの家の近くの劇場。ここで白衣の奴と合流して君は晴れて貴重な実験サンプルになる」
 そんなのごめんだ。依然として部屋は暗闇に包まれているが、逃げ道を目で探す。そんなティジを見かねたレイジは呆れた様子で口を開いた。
「そんなことしても無駄だって。ここはずっと前に閉鎖されて今や人っこ一人いない。通報とか助けは期待しないほうが良いよ……本来ならね。でももうじき人が来る」
 レイジは天井を仰ぎ見て、自身の胸に手を当てて告げる。
「書き置きを残したんだ。この場所と、コイツの弟の名前を書いて、ね」
「――っ!そんなことして何が目的だ」
 捕まるリスクを冒してまでなぜみすみす逃亡先を教えるのか。そんな疑問に答えるようににんまりと不気味な笑みを浮かべた。

「気にならない?実の弟を殺したら、こいつはどんな反応するんだろうって」
「……は?」
 それは、理解の範疇に及ばない答えだった。

「病室で君と話してたの見てたけどさ、どうやら相当大切にしてるらしいじゃん。そんな命をかけてまで守ろうとした弟が自分の手で死んだら……面白い反応しそうって思わない?」
 吐き気をもよおすようなおぞましい考えを述べるその表情は、笑っていた。
「お前――」
「もうそろそろ着く頃合いかな?」
 そう言うとティジの口に布を噛ませ、言葉を封じる。そしてティジに背を向け、浮き足だった口調で語った。
「特等席から黙って見てるといいよ。自分のせいで友達が死ぬのを」
 暗闇に手を伸ばし、何かを掴む。掴んだそれ、緞帳を引きレイジはステージへと歩みでた。

 

 目の前にそびえ立つ劇場を仰ぎ見る。指先は真水に入れたように冷たかった。冷えた夜風に当てられたせいか、それとも極度の緊張ゆえか。
「……ルイ、本当にいいのか」
 緊張をはらんだ声でクルベスは気遣う。
「あの書き置きにわざわざ俺の名前が書かれてたのは俺を呼んでるってことだ。俺が行かないと意味ない」
 罠だと分かっている。そんなことは百も承知だ。
「何よりティジの身に危険が迫ってる。一刻を争う事態に相手を下手に刺激するようなことはできない」
 半ば自分に言い聞かせるようにしてクルベスを説得する。それに、ここまで来たらもう引き返すことなどできない。
「本当に……大丈夫か」
「……大丈夫」
 懐に感じる無機質な鉄の冷たさが重くのし掛かる。あくまで護身用にと渡された拳銃。麻酔銃などではない、実弾が入った本物の銃。以前練習したので使い方は分かる。撃つことだって、できる。……使わずに済めば良いが。

 

 劇場の中は暗かった。事前に聞いた情報だと電気系統はまだいきているらしいので、配電室に行けば明かりはつけられる。
「視界が悪い中動くのは危険だ。ティジがどこにいるのかも分からないから、まずは配電室に向かう」
 先導するクルベスの声は依然として固いままだ。

 本来ならばこのような何が起こるか分からない状況、国家警備隊に突入させたほうが良い。しかし相手は一度殺人を犯し、逃げおおせている。今回も厳重な監視下にあったはずの隔離病棟から抜け出し凶行に至っているため、下手に刺激するとティジの身がただでは済まない可能性も十分に考えられた。
 ゆえに名前を挙げられたルイと、レイジと少なからず交流のあったクルベスが向かうこととなった。

 クルベスは最後まで反対した。『まだ16歳の子どもを、危険があると分かっていてみすみす向かわせる馬鹿があるか!!』と。しかしルイたっての強い希望により苦渋の思いで要求を呑んだ。

 館内の地図には目を通してあるので周囲を警戒しながらも比較的順調に配電室へと進む。
「向こうも俺たちの動きを読んで部屋に潜んでる可能性がある。ルイは部屋の外で待ってろ」
 そう言って、配電室の中へと進む。待っている間、ふとあることを思い出した。
 この劇場は本来ならば、8年前のあの全てが変わってしまった日にクルベスと一緒に家族で観劇に行くはずだった場所だ。
 長らく忘れていた。なぜ、こんな時に限って思い出すのだろう。……いや、こんな時だから思い出したのか。

「――っ!」
 突然の浮遊感の後に地面に引き倒される。次いで、何かが大きな物が倒れる音が辺りに鳴り響く。
「ルイ!?」
 壁越しにクルベスの焦った声が聞こえる。どうやら先ほどの轟音は金属製の棚が倒れた音だったようだ。それは配電室の扉を塞ぐ形で倒れていた。

 明かりが点く。
 8年、いや4年ぶりに見る兄の顔があった。

「久しぶりだね、俺の可愛い弟」

 

 そのままどこかへと運ばれ、床に投げ出されるルイ。
「何を、――っ!」
 周りを見渡そうとしたが強い光に照らされ、視界を奪われる。
「今宵は当劇場に足をお運びくださいまして誠に感謝いたします。どうぞ、最後までお付き合いくださいませ」
 レイジのその仰々しい挨拶とようやく光に慣れてきた視界から察するに、自分が連れてこられたのは劇場のステージの上のようだ。強い光の正体はスポットライトか。
「……どういうつもりだ」
 深々と下げた頭を上げたレイジを見つめる。
「ショウだよ。兄弟が殺しあう、まるでどこかの神話みたいなありふれた、とびっきりのショウ」
 自分の知る兄ならば絶対に口にしないことを言い、初めて見る不気味な笑みを浮かべるその顔は……やはり兄の面影があった。

「立て。武器、持ってんだろ。こんなとこに丸腰で来るわけないだろうし。さっさと出しなよ」
 いつの間にやら右手に剣を携え、こちらへ歩み寄るレイジ。
「……今ならまだ、戻れる」
「――っ」
 その言葉にレイジは目を白黒させ「ハッ」と声を漏らした。
「あっはははっ!まぁだそんなこと言うのか!ほんっと兄弟揃ってバカだなぁ!ここまでくると称賛に値するよ!」
 ルイの必死の呼び掛けに身をよじって笑いだした。
「あー、笑った笑った。……なぁ、まだ本気であの頃に戻れると思ってんの?だとしたらアンタの頭は相当なお花畑だね?誇っていいよ」
 ひとしきり笑った後、冷たい目でルイを見下ろす。

「こいつはさ、4年前に人殺して逃げてんだよ。見た奴も大勢いる。それにこの間も性懲りもなく現れて殺人未遂を犯している。……あそこに転がってる王子様のために公にしてないだけで、レイジ・ステイ・カリアは立派なお尋ね者なんだよ?」
 そう言って指し示した先、舞台袖には縛られたティジがいた。
「ティジ!」
「――っ」
 口を布で塞がれて喋ることはできないが、見たところひどい怪我はしていないようだった。
「余計なことされたくないからあそこから動けないようにしてるよ。あの子はショウの観客だからね」
 ティジは必死に動こうとしているが縛られた縄の先は柱に繋がっており、それ以上進むことができなかった。
「さぁ、楽しいお喋りはここまでにして。はじめようか」
「俺は、――っ!!」
 飛びかかり斬りかかってくる。咄嗟にそばに転がっていたスタンドライトで受け止める。

「く……っそ!」
 こちらは床に座った状態のため、うまく力が入らず押し負けそうになる。
「なぁ、そんなモンでできると思ってんのか?本気で殺しにこいよ」
「い、やだ!まだ、まだ何とかなるはずだ!」
「子どもらしいあまっちょろい考え。でもそれはいけないな」
 なおも食い下がるルイから一端離れる。

「じゃあ、そんな甘い考え吹っ飛ばしてやるよ」
 一転してティジのそばにいく。「ちゃんと見てなよ」と目を細めると――
「――っ!!」
 ティジの左足を手にした剣で貫いた。ティジは目を見開き、声にならない悲鳴をあげる。
「ほら、いつまでもガキみたいなこと言ってるからこうなった。現実みろよ。もうどうしようもできな、ん?」
 レイジは足に違和感を覚えた。足には弱々しい力だが蔦が巻き付いてきていた。そうか、この劇場は長らく放置されていたため、所々植物が生えていたのだった。
 ティジを見ると息を荒げながらも、しっかりとレイジを見据えていた。ルイに危害を加えないよう、少しでも足止めをしようという魂胆か。
「ご立派なことで。でも『黙って見てろ』って言ったよな?」
「――ン、ゥヴ!!」
 左足を貫いている剣をねじる。
「言うこと聞けないのは悪い子だね。この足、どうしよっか?」
 拡がった傷口から血が流れ出し、板張りに広がっていく。歯を食い縛り必死に耐えようとするも想像を絶する痛みに目からポロポロと涙がこぼれた。
「――やめろ」
 凄んだ声にレイジはその手を止めて振り向く。

「あぁ……なーんだ。やっぱり持ってんじゃん」
 その視線の先には銃口をレイジに向けたルイが立っていた。

 

「さっさと撃てよ。これ以上にないチャンスだぞ?」
「……っ」
 その発言通り、照準が自分に向けられているというのにレイジは動こうとしなかった。
「はやくしないと、こいつの足が使い物にならなくなるけど」
 指先で柄を軽く叩く。わずかな振動からもたらされる激痛にティジは顔を歪ませるも、ルイに『撃ったらダメだ』と力なく首を振った。
 ティジを助けるためならば一刻もはやく引き金を引かないと。そんなことは分かっている。
 
 ――でも、撃てない。
 
 ずっと尊敬していて、なんでも知っていて、いつも一緒に遊んでくれて、一人で勝手に兄のいる学校に迎えに行った時には怒りながらも褒めてくれた、これ以上にない自慢の、命をかけて自分を守ってくれた優しい兄を、撃つことなんて到底できるわけがなかった。
 手は震えていた。息がうまくできない。涙が頬を伝い落ちる。

「……俺には、兄さんを撃つことなんてできない」
 銃を握る手を下ろす。そんなルイにレイジは眉をへたらせて笑った。
「そっか、とんだ期待はずれだな」
 一気に詰め寄られ、持っていた銃を弾き飛ばされる。レイジは空中で回転する銃を取り、膝から崩れ落ちたルイの額に当てた。床にへたりこんだルイには抵抗する気力など残っていなかった。

「なんで、こんなことになったんだろ……」
 でもいいか。これで兄さんを撃たずに済む。
 元はといえば8年前のあの日、俺がドアを開けなければこんなことは起こらなかったんだ。そう、こうなったのは全部俺のせいだ。ならば、このまま終わってしまえば全て丸くおさまる。
 自身の運命を受け入れるように瞳を閉じる。
 ……あぁでも、最後に兄さんと話がしたかったなぁ。

「じゃあな、哀れな弟くん」
 引き金にかけた指に力がこもる。

 

 だがしかし、いつまで待っても銃声はならなかった。目を開く。視界の中のレイジは、目の前のルイではなく自身の足を見ていた。
「……最後まで、往生際の悪いやつ……!」

 その足は凍りついていた。

 


第一章も終盤に差し掛かってまいりました。