07.雪花-6

「ということがあってね。私としてはいくつかの仮説は立てられたのだけど……」
 自室に戻ったサフィオは目の前の人物に今回の騒動を話す。サフィオは一つ息を吐くと相手の目を見据えた。

「とりあえず一つ聞くね。ねぇリヴ。きみ、あの子に会ったでしょ」
 そう問いかけると彼――リヴもといリメルタ・エミンズはギクリと肩を揺らす。
「補足すると『あの子に何か施した』かな?」
 サフィオが重ねて問いかけるとリヴはしどろもどろに目を泳がせた。これ以上にないほど分かりやすい動揺ぶりである。
 彼の生い立ちを思うと、ここまで素直な人柄のまま今日まで生きてこられたのは驚嘆に値する。

 

「どうしてそう思ったのかな……?」
「これといった確証があるわけじゃなかったのだけど……しいて言うなら、こんな話をきみが黙って聞いてるわけがないって思ったから」

 彼という人物は『幼い子どもが自身の力に苦しめられている』と聞けば、すぐさま解決しようと奔走するような人だ。それなのにレイジの話はただ静かに耳を傾けていた。
 それに加えてこちらが目にしたレイジの様子。ジャルアやクルベスが慌てふためいている一方で、レイジ本人は妙に落ち着きがあったのだ。というよりある種、居住まいの悪さとでも言うべきだろうか。

 これらの事柄から推察するに、リヴはすでにレイジと会っており、ジャルアたちの預かり知らぬところで解決させてしまったのではないかと考えられる。
 現にリヴは「違う」とも「知らない」などの、しらを切る様子はない。どうやら予想は的中したらしい。

「あの子が今どういう状態なのか教えてくれる?」
 するとリヴは観念した様子で口を開いた。

 

「なるほど。つまり根本的な問題はもう解決済み。でもあの子の身の安全を考えた結果、きみと会ったことは口外しないよう口止めした、と」
「きみとだって、今もこうして付き合いがあるのも本当は良くないことなんだよ……?」
 なんだかんだでこの関係が続いてるけど……と浮かない表情のリヴ。まぁ彼の心中は穏やかではないだろう。
 とはいえ今日リヴがここを訪れたのも、体が丈夫でない私のことを気にかけて様子を伺いに来てくれたのだ。

「こんな時に言うのは非常に申し訳ないと思っているのだけど……一つ頼まれてほしいことがあって……」
 そう言ってリヴが手渡してきたのは書類の束。見たところ手書き……というか彼の字で書かれている。
「あの子の扱う魔術は仕組みがちょっと変わっていて、これにはその扱い方がまとめてある。言うなれば手順書みたいな物。これをあの子に渡してほしい」
 ジャルアの時と同じということか。あの子が自分の力にひどく苦しめられていて、解決策も見出せなかった時、あれには非常に助けられた。ジャルアのほうは私が書いた物だと信じて疑わないようだけど。

「あとはこれを参考に魔術の練習をしてもらえたら課題は解決できる……と思う。こんな曖昧な言い方しかできなくて本当に申し訳ない」
「いや、きみは十分頑張ってるよ。じゃあこれは私の方からあの子に渡しておくね」
 そう言うとリヴは「僕のせいで苦労ばかり掛けてすまない……」と意気消沈していた。

 

「あ、そうだ。あの子には何か当たり障りのない説明は教えているのかな?」
 ふと思い立ち、リヴに確認する。その質問に彼は『どういうこと?』と首を傾げていたがすぐにハッとした。
「忘れてた……!」
 慌てふためくリヴの様子にサフィオは『やっぱりそうだったか』という言葉を飲み込んだ。

 レイジには『リヴもといリメルタ・エミンズと会った』ということは誰にも話さないよう口止めされている。そうなるとレイジからするとクルベスやジャルアに『もう体質のほうは問題ない』と説明したくてもできなくなってしまうのだ。
 クルベスたちの慌てように申し訳なく思いながらもリヴとのことは話すことはできない。自分ならば何か作り話をしてお茶を濁すことはできるのだが、まだ幼いレイジには難しかろう。

 ひとまずこちらの問題に関しても、クルベスたちには私のほうから上手い説明をして誤魔化すことでまとまった。(そのことでリヴはまたしても「僕のせいで迷惑をかけてしまって本当に申し訳ない……」と謝っていた)
 それにしても珍しいな。今回のリヴの行動はところどころで詰めの甘さが散見される。
 無理もないか。これまで自身の存在を知られないよう細心の注意を払って行動している彼が後先考えずに動いたのだ。おそらくレイジの状態はリヴが早急に対処しなければいけないほど差し迫ったものとなっていたのだろう。

 

 ついでとばかりに中身を読ませてもらった。
 やはり凄いな。一見すると既存の原理をツギハギに繋ぎ合わせたかなり無茶な方法に見える。だが一つ一つ仕組みを読み解いていくと綺麗に一つの魔術として完成されていた。
 でも彼の性格を考えたらこんなはちゃめちゃな原理をたった九歳の子どもにいきなり実行させるわけがないから……もしかして彼が自分自身の体で試した結果、導き出した物なのかな。

「妖精さん、もう少し自分のことも気遣ってあげたほうがいいんじゃないかな」
 サフィオがわざと『妖精さん』と呼ぶとリヴは気恥ずかしそうに咳払いをした。
「……サフィオ君。きみ、あの本の著者が誰なのか分かってるよね?」
「きみではないってことは」
 リヴが示唆しているのはこの王宮の書庫にも収蔵されているあの童話集ならびに私が所有している書物のことだろう。
 正直に言うと誰が書いたのかおおかた予想はついている。いやはや、名前を変えて自費出版とはすごいことをするなぁ。今みたいに高度な印刷技術が普及していたわけでもない時代だったろうに。一度会って話をしてみたかったな。

 ◆ ◆ ◆

 手持ち無沙汰に毛布を握るレイジ。顔を上げればその先には何やら書類仕事をしているクルベスの背中が見える。

 あのおじいさん――サフィオから『また明日この話の続きをする』と言われた後(何がどうしてこうなったのか分からないが)自分は今日この王宮内にあるクルベスの私室に泊まることになった。
 クルベスが言うには『今日魔術を使った時、あんなに具合悪そうにしてたから心配なんだよ。夜中に急に体調が悪くなっても、ここならすぐに対処しやすいし』ということらしい。
 念のためお父さんとお母さんに確認をとったのだが、二人とも迷うことなくこのお泊まりを許可した。何でだ。

 

 あっという間にお泊まりの準備を済ませたクルベスや「お泊まり楽しんでくるんだよ」と言ったお父さんたちにも言いたいことは山ほどあるが、最たる問題は一つ。自分とクルベスの寝る場所だ。
 当然ながらクルベスの私室にはベッドは一つしか無い。じゃあどうするのかというとクルベスは「俺はこっちで寝られるから」と言って、自分はソファで寝ると勝手に決めてしまったのだ。

 とはいえこの部屋の主を差し置いてベッドを使うのは気が引けるし、このままあいつの言葉に素直に従うのは何か嫌だ。
 でも多分あいつ相手に説得は至難の業だろう。あいつ頭がいいし。医者だから当然なんだろうけど。

 そう考えた俺は画期的な案を思いついた。あいつが寝てしまう前にこちらが先にソファを占拠してしまえばいいのだ。
 というわけでこうして毛布を抱えてソファに寝転がり、タヌキ寝入りをしているのである。

 

「あれ、レイジー?……寝ちゃったのか」
 ようやく書類仕事がひと段落ついたクルベス。その呟きから俺の計画にまんまとかかったことがうかがえる。
 普段からやたらと世話を焼こうとするこいつのことだ。寝ている自分をわざわざ起こしてベッドに行くよう促すなんてことはしないはず。
 さて、これでお前の寝る場所はもうベッドしか残されていないぞ。そのまま大人しく寝ろ。

 うまく事が運んでいることに思わずにやけそうになっていると突然フワリと体が浮き上がった。予期せぬ浮遊感に目を開けそうになったが何とかギリギリ耐えた。
 目を閉じているのでこれから何が起きているのか分からず不安になったが、すぐにソッと柔らかなマットレスの上に下ろされる。

 

「今日はたくさん頑張ったもんな。おやすみ、レイジ」
 クルベスはそう言うと優しい手つきで毛布を整え、こちらを起こさないよう軽い力で頭を撫でた。
 そうだ。こいつはこういう奴だった。俺を起こさないようベッドに運んだうえで自分はソファで寝る奴だ。自分の重さ程度などいとも容易く運べてしまうこいつの無駄に優れた体格が憎い。

 そこまで考えられなかったことを悔しんで『他に良い案は無いか』と思考を巡らせているうちに……いつの間にか眠ってしまった。

 ◆ ◆ ◆

 クルベスは手元の数多ある資料から目を離し、寝室に顔を向ける。そこではレイジが毛布にくるまって寝息を立てていた。
 どうやら自分が調べ物をしている間に眠ったらしい。先ほどベッドに運んだ際には寝たふりをしていたようだが、今度はちゃんと眠っている。何か話したいことでもあったのだろうか。
 具合が悪くて眠れないのかと思っていたが今のところ顔色は良好だし呼吸も安定している。『ひとまず体調のほうは問題ないと捉えて良いか』と安堵の息をついた。

 明日になればサフィオじいさんからまた話を聞ける。
 でもそれまで大人しく待っていることはできない。だからこうして『少しでも自分にも何か分かることは無いか』と、これまで観測された魔術に関する健康被害の事例と今日見たレイジの状態に近しい物が無いか調べているのだ。
 だがもうすでに散々調べ尽くしていたのでめぼしい成果は無い。

 

 ただただ無意味に時間が過ぎている事実に焦りが生じる。時刻は日付を跨いでいるが目は冴えていた。それも当然だ。寝られるわけがない。

 自分が眠っている間にあの子の容態が急変したら。あの子が冷たくなっていたら。
 最悪な想像に指先が震えだす。

 いまでも夢に見る。
 腕の中で力なくうなだれるジャルア。段々と息が弱っていくあいつに俺は何もできなくて。やがてあいつは――

 

「……ル……イ……」
 レイジがぽそりと寝言をこぼす。その声で、クルベスはかつての自分が招いた『最悪の出来事』から意識を引き戻された。

 そうだ。あの時は何もできなかったが今回は違う。今のところレイジの状態は安定している。あの時とは違って、まだ時間の猶予はある。未熟だったあの頃とは違って、今の自分は医学の知識も持ちあわせている。
 過去の出来事を悔いても何も解決しない。今は自分にできることをやらなければ。

 


 前回のお話でレイジがクルベスと合流する直前。お城の中はとんでもなく広いし自分が今どのあたりにいるのかも分からない状態だったレイジ。それを見かねた青年がクルベスの近くまで送ってくれました。慌てふためいているクルベスさんの様子を見てかなり出ていきづらくなったけど勇気を出して姿を見せた、という経緯があったり。

 『第四章(4)雪花-3』にて前触れも無く飛んできた氷を避ける動体視力とそれに対応できる反射神経を持ってるクルベスさん。身体能力はかなり高い人です。