09.雪花-8

 息を吐く。あの力を使用したことによる疲労感からではなく緊張が解けたからだ。

 ホースから出ていた水は見事に凍ったが、昨日クルベスたちの前でおこなった時とは違って異常な疲労感に見舞われない。
 強いて言うならこの力を扱うための理論と力に対する意識と、二つのことを同時におこなったからか頭がパンク寸前ということぐらいか。

 自分の体調に異変が見られないことにサフィオたちは安堵の息をつき、クルベスにいたっては「本当に良かった」と心底ホッとした様子だった。
 クルベスのそんな姿がいつもの(無駄に)落ち着きのある姿とは違っていて……何だろう、あいつらしくない。調子狂うからいつも通りにしてろ。

 

 それにしても良かった。一時はどうなるかと思っていたけど、あの青年のおかげで何とかなってくれたみたいだ。帰ったらお父さんとお母さんにも『もう大丈夫』って話さないと。ずっと心配してたから、これでようやく安心させてあげられる。

 サフィオおじいさんはあの青年のことを知っているのだろうか。直接聞いてみたいけれど、そうしたらあの青年との約束を破ることになる。もどかしいけどこの疑問は自分の中に仕舞っておかなければ。

 頭のすみでそんなことを考えながら手順書の内容をもとに魔法の練習を重ねる。
 今はクルベスと二人きりで魔法の練習をしているところだ。とにもかくにも今はまず魔法の練習が最優先だ。少しでも早くこの力を扱えるようにしないと。

 

『魔法を直接的に扱える分、動揺すると自分が触れた物にすぐ影響を与えてしまう』

 確かあの青年はそう言っていた。
 だとするとこれからは自分の感情を表に出さないほうがいいな。ふとしたことで暴発してしまったら大変だ。

 そういえば偶然発動した物は『魔法』で、こうやって仕組みを理解した上で発動する物は『魔術』って呼ぶんだっけ。なんでいちいち名前が違うんだろう。ややこしいから統一すればいいのに。『魔法』のほうが程度が低いって言いたいのか。
 おっと、いけない。こんなしょうもないことでイライラするな。平常心平常心。落ち着け。

 

「レイジ。もうすぐお昼ご飯の時間になるから、いったん休憩しないか」
 クルベスが少し遠慮がちに聞いてくる。そんなに長い時間やっていただろうか。
 あ、本当だ。バケツの中の水がかなり減っているし周りは氷だらけだ。

「まだもう少し続ける。せっかくこの力のことが分かったんだし」
 自分の返事を聞いたクルベスは「それじゃあもう少しだけ、な」と言った。
 少しでも早く習得したいんだ。あの青年も『これから少しずつ練習していけばもっと色んなことができるようになる』って言ってたから、少しでも練習したほうが良い。

 それに本音を言うと自分の力がこうやって制御できるものになったということが……何というかその……嬉しいんだ。どうにもならなくて怖かった物が、こうして目に見えるかたちで扱えるようになったという事実が。

 

 その時、ぐにゃりと視界が歪む。「あれ?」という声が出るとともに体から力が抜けていく。

 糸が切れた操り人形みたいに倒れた自分をクルベスが抱きかかえた。よく聞こえないけどたぶん自分の名前を呼んでる。倒れたのは自分なのに、こいつのほうが今にも死にそうなほど顔を真っ青にしてるのが少し可笑しくて。

 徐々に意識が薄らいでいく中、ふと青年が言っていた注意を思い出した。

 

『でも使いすぎたらまたこの『調整』が不安定になってしまう』

 その後に何て言ってたっけ……?
 あぁ、そうだ。『何事もほどほどに』だったか。うっかりしてた。舞い上がっていてすっかり忘れてた。

 しばらく安静にしていたら元の調子に戻る。
 狼狽したクルベスにそう言おうとしたけど、言葉にする前にプツリと意識が途切れた。

 ◆ ◆ ◆

 魔術の練習の最中、レイジは突然意識を失った。クルベスはひどく冷たい体を医務室まで担ぎ込み、レイジの容態を診る。
 しかし脈も呼吸も異常は無く、気を失う原因は何ひとつ見受けられない。

 いや、一つだけ思い当たるふしがある。この子は倒れる直前まで魔術を扱っていた。
 そうだ。なぜ気がつかなかった。

 魔術の過剰使用による魔力バランスの崩壊。
 場合によっては死に至りかねないソレによってレイジは意識を失ったのだ。

 

 この子はまだ魔術に関する知識が浅いから知らずとも無理はない。しかし自分が教えていれば回避できたはず。
 嬉しそうに魔術の練習に励む様子にこちらも気が緩んでいた。これは俺が招いた事態だ。

 もしかしたらこの子は一生目覚めないかもしれない。そんな最悪の想像で頭を埋め尽くされる。
 どうすればこの子は目を覚ましてくれる?もっと自分に強い力があれば。どんな怪我も病気も立ち所に治癒できる力があれば。

 いまさら悔いてもどうにもならない。何度呼びかけても反応しないレイジの手を握る。
 今のクルベスには、その小さな手を握って祈ることしか出来なかった。

 

 レイジがようやく目を覚まし、起き上がれるまでに回復した時には昼をとうに過ぎていた。
 あらためて体に異常無いかを診ていた最中、レイジの腹が小さく鳴る。腹を鳴らしたことに恥ずかしそうにしているレイジに少し遅めの昼食を振る舞った。

「つまり自分が倒れたのは魔法や魔術の使い過ぎによる、体内の魔力バランスの乱れが原因?」
 今回倒れた原因を説明する。その説明を復唱したレイジにクルベスは頷く。
「その対処法についてなんだが……そうならないよう魔術の使い過ぎには気をつける、しかないんだ」
 一番確実な回避方法ではあるが、ようするに意識の問題だ。こちらが目を光らせておくこともできるが最終的にはレイジ本人が気をつけてもらうしか無い。
 そうなると新たな不安要素が生まれてしまう。

 

「魔術の練習は休みの日にここに来ておこなうっていうのはどうだ?ここなら今日みたいに具合が悪くなってもすぐ休めるし、周囲の目を気にすることもない」
 レイジに自身の考えを述べたうえでこの王宮での練習を提案するクルベス。
 この王宮内は特に魔術への理解がある。ここの人間ならば魔術の練習をしていても奇異な目を向けられる心配はないはずだ。

「それに何か分からないことがあった時に俺やジャルア、サフィオじいさんにすぐに聞けるしな」
 クルベスが付け加えた一言にレイジは「確かに……それは良いかもしれない……」と前向きな返答をする。

 レイジ自身も魔術を扱っているところはあまり見られたくないだろう。そういう意図もあって提案はしたのは事実。
 レイジは言われずとも自主練習する子だし、自分が倒れるまでやりかねない危なっかしい子だ。レイジが無理をしないよう目の届くところだけで練習させたら今回の事態は防ぐことは出来る。
 ……いや、レイジのことだから隠れて練習しそうだけど。そこは注意深く見てもらうようセヴァたちにお願いする他ない。

 

「……お父さんたちにも聞いてみる。自分だけじゃ決めちゃいけないし」
 手元をいじりながらポソリと呟いたレイジにクルベスは「それもそうだな」と目を細める。
 ちゃんと自分だけで判断せずに親にも頼れるようになったことに安堵しながらもその心の内では『あとでセヴァたちにも事情を伝えて了承をもらわないと』と画策するのであった。

 


 第二章(5)『白雪の朋友-3』にてクルベスが話していた場面です。あの時はエスタさんに余裕ぶって話していたクルベスさんですが、当時はこんな感じでした。