10.多事多端-2

 放課後。夕暮れ時の廊下を歩くティジ。その足取りは速く、焦りを感じられた。

 本日の授業も終わり、開催が近づいてきた学園祭の準備をおこなっていたところ『あの面倒見の良い教師にお礼を言わねば』と思い立った。
 その姿を目で探すとちょうどブレナ教師が教室を出ていくところだったため、急いで後を追ったティジ。なんとか追い付き、ルイと昼食を摂ったあの場所を教えてもらった礼を言うことは出来た。
 問題はその後。ルイがいないことに気がついたのはブレナ教師と別れて少し経った後だった。

 そういえば自分が急いでブレナ教師を追った時、ルイは一緒にいただろうか。もしかすると置いてきてしまったのかもしれない。
 ならば急いで教室に戻らねば。いや、先にエスタに連絡を取ってみたほうが……などと考え事をしていたら全く馴染みのない場所を歩いていた。状況は悪化の一途をたどっている。

 

 放課後は学園祭の準備がおこなわれているため、学園内はどこも賑わっているはず。それなのになぜか自分が迷い込んだこの場所は人の姿が見当たらない。ここは一体どこなのだろう。
 自分の足音しか聞こえないことへの孤独感。自業自得とはいえ、非常に心細い。早く合流しないと。『帰ったらクーさんに怒られるだろうな』と今後への不安に胸のあたりが苦しくなり、制服の胸元を握る。

 いや、違う。
 おかしい。
 息が思うようにできない。

「げほ……ッ!」
 苦しい。胸が痛い。体が傾き、床に倒れ込んだ衝撃で、肺にわずかに残っていた空気が出ていく。『あ、まずい』と思うもみるみる内に視界が暗く落ちていく。
 ルイの元へ戻らないといけないのに。

「――イズ君!」
 意識を手放す直前、大きな足音と共に誰かの声が聞こえた気がした。

 ◆ ◆ ◆

 放課後のサークル棟。学園祭が近づいているともあって生徒たちは活気づいている。それに乗じて少々ヤンチャをしてしまう者も出るため、近頃は教師たちによる見回りが行われているのだ。

 学園の一教師、ブレナ・キートンも見回りがてら、楽しそうに準備に励む生徒たちに労いの言葉を掛ける。青春を謳歌している若人たちを微笑ましく思いながら歩を進めていると、喧騒に混じって階下から異音――何かが倒れたような音を捉えた。

 

 周りの生徒たちは気がついていない様子だが、ブレナ教師はすかさず近くの階段に駆け込む。サークル棟も例にもれず学園祭の準備で賑わっているが、一つ下の階は日頃は使わない学校の備品などを保管している倉庫であるため、人の出入りは乏しく閑散としていた。

 不審者が侵入した可能性を危惧していたが、それは杞憂に終わる。
 視界に映ったのは床に横たわっている人影。顔は見えなくとも色が抜けたかのような白い髪という特徴的な容姿は見間違えようがない、少し前に言葉を交わした生徒――ティティ・ロイズだ。

「ロイズ君!ティティ・ロイズ君!しっかりして!」
 駆け寄り何度も呼び掛けるが彼の返事は無く、ひどい顔色で苦し気に息を吐くだけ。
 ひとまず安静にできる場所に連れていったほうがいい。ここから保健室までは距離があるが、四の五の言っていられない。だらりと力の抜けた体を抱え上げ、保健室へと急いだ。

 

 

 保健室まであと少し、という所でシン・パドラと顔を合わせた。どうやら学園祭の準備で指を切ってしまったため、絆創膏を貰いに来たらしい。
 抱えているティジの様子を目にしたシンは、自身も負傷しているというのに彼の介抱をしてくれた。シンは自身の指の切り傷に粗雑に絆創膏を貼ると『何があったのか』と興味深そうに伺ってくる。

「へぇ、それは大変でしたね」
「今は顔色も戻っているけど……念のためご家族にも連絡を入れたほうがいいな」
 ベッドの上にいる彼はまだ目は覚まさないもののだいぶ顔色も戻っていた。ブレナ教師の言葉にシンは「あ、それなら」と何か思い出した様子で声を出す。

「あの騎士君……ルナイル・ノア・カリア君にも知らせたほうがいいんじゃないですか。ティジ君とずっと一緒にいるし。てかティジ君のこと、めちゃくちゃ探し回ってましたよ」
「え、じゃあ早く知らせないと……!」
「すみませんけどブレナ先生、お願いできないですか。俺、騎士君に良く思われてないんで多分信じてくれない」
 シンは軽い調子で目の前のブレナ教師に手を合わせる。

「ブレナ先生なら騎士君ともよく話してるし、多分聞いてくれる。大丈夫ですって、何かあったらすぐ知らせます」
 ここまで言われては無下にするわけにはいかない。とりあえず彼が所属する学級を訪ねてみるとしよう。

 

 かくして保健室に残された二人。シンは組んだ足の上で頬杖をつき、ティジをまじまじと見つめ『あの教師、人が良すぎるな』と目を細めた。
 白い頭髪に指を通す。されどもティジは目を覚ます様子もない。

「本当、嘘が下手だな。ああいう話題嫌いだってバレバレ」
 先日、ティジの容姿について触れた時、彼は明らかに動揺や戸惑いを示していた。本人は慌てて誤魔化していたがそれを見逃すほど自分の目は節穴じゃない。ティジのそばに張り付いているルイは反応が面白くついからかってしまうが、こちらもこちらで見ていて飽きない。

 ベッドの上に投げ出された手を取り、恋仲のように指を絡ませてみるがティジは何の反応も返さない。完全に意識が無いことを再確認し『さて、どうしようか』と考えていると、外から慌ただしい足音が聞こえてくる。
 足音の主なんて容易に想像がつく。『お、来た来た』と内心ほくそ笑んでいると勢いよく扉が開けられた。

 

「ティジ!!――シン・パドラ!お前、何やってんだ!!」
 シンを目にすると保健室という場所にも関わらず怒声を浴びせる。
「こらこら、静かにしなきゃダメだよ。ティジ君が起きちゃう」
 シィー、と口元に指を当てて諌める。ちなみにティジの手は離していない。
「手を温めてたんだ。すっごく冷えてたから」
 見せつけるようにより一層深く交わらせるとルイは大股で近づき、シンの手首をわし掴む。

「ふざけんのもいい加減にしろよ」
「ずいぶん疲れてるね。好きな子が襲われちゃってるんじゃないかって思って急いで来たのかな。俺はそんなひどいことしないよ」
「いいから、さっさと、離せ」
 ルイはシンの手首を掴む手をギリギリと音が鳴りそうなほど力を強めるも離そうとはしない。

 

「ていうか俺、騎士君が来るまでティジ君のこと看てたんだけど。そうやって頭ごなしに糾弾するのはやめたほうがいいんじゃない?信用失っちゃうよ?ティジ君のことを考えているなら、彼の交友関係を狭めるようなことはしないほうがいいと思うなぁ」
 図星だったルイは言葉を詰まらせる。するとようやくこの話題の中心人物であるティジが目を開いた。

「ぅ……っ」
「ティジ!大丈夫か、どこか痛いところとかこいつに変なことされてないか!?」
「いや、えっと大丈夫……ていうか何でシン君が……?」
 体を起こし、いまいち状況を理解出来ていないティジは首を傾げる。それも当然だ。今の今まで気を失っていたのだから、彼が一番状況を把握できていないはず。

 

「ブレナ先生が倒れているティジ君をここまで運んでくれたんだよ。そんで俺は騎士君が来るまで君を看てたってわけ」
 シンは困惑を示すティジの手を握りながら語りかけ「それなのに」とルイをねめつける。

「騎士君はひどいなぁ。ティジ君の体が冷えてたからこうして温めてあげようとしただけなのに」
 シンはティジの腰に手を回し、自らのほうへと抱き寄せる。二人の顔は一歩間違えれば衝突事故が起きかねない超至近距離だ。

 それにとうとう我慢の限界をむかえてしまったルイ。返答に困り果てるティジとその反応を楽しむシンをすぐさま引き離し、一言。

「――お前、嫌い!!」

 そこへ息を切らして到着したブレナ教師。遅れてやって来た彼には何が起こったのかさっぱり分からなかった。

 


 あっちこっちでドタバタしてます。ティジは迷子のフラグ回収がとても早い子。「お城の中で迷子になることはなくなった」と本人は豪語している模様(でも周囲の人間はまだ心配している)