11.ライラックの追想-7

 気が付いたら目の前にはブレナが倒れていて。自分の周りには割れた花瓶の破片が散乱していた。

 頭部からは出血。意識は無いが息はある。脳震盪を起こしているのだろうか。

 どこか他人事のように捉えているが僕は危うくブレナを手に掛けてしまうところだったのだ。並大抵の人間ならば僕のことはもう見限るだろう。

 そうなれば起こす行動は一つ。厄介事からは距離をとる。周囲の者はみんなそうして来た。

 目を覚ます前に応急処置だけして病院に連絡しよう。僕が怪我をさせたのだからそれぐらいの事はしないと。

 

 ――きみは……きみのご両親は何の研究をしてるの……?

 あのとき向けられた表情。信じられない物を見るかのような目。

 ブレナは僕に対してどのような感情を抱いたのだろう。

 困惑?落胆?失望?軽蔑?

 ここでどれだけ考えようが本人に聞かないことには分かりようが無い。何にせよ今度という今度は例えブレナでも僕を見放すに違いない。

 父と母が僕の論文を褒めてくれたと話した時、あいつは我が事のように喜んでくれた。ひとりで過ごしていた僕にあいつは「放っておけない感じがしたから」というそんなちっぽけな理由でそばにいてくれた。

 それに甘えて、まるで試すかのように癪に障る言動をしてもあいつは僕の隣にいた。

 その事実に僕はある種の居心地の良さを感じていた。
 家に居る時よりも。
 父と母の本を読み耽っている時よりも。
 他の何物にも代え難いほどに。

 

 それなのに。

 他の奴らと同じように、お前も僕から離れていくのか?

 他の有象無象と同じように。
 父と母のように。
 僕ひとりを残して。

 嫌だ。そんなこと、絶対に許さない。

 離れないようにするんだ。僕の言うことを聞くようにしてしまえばいい。そうすればこいつは僕の前から居なくならない。

 

 そこからの行動は自分でも驚くほど早かった。

 途中で父と母が帰って来たら大変だから、応急処置だけ済ませて場所を移すことにした。

 父と母を含めて特別な理由が無い限り誰も足を踏み入れない場所。人ひとりを匿えるような十分な広さのある場所。
 パッと思い浮かんだのはかつて祖父が経営していた個人病院。あそこならば邪魔が入らない。うってつけの場所だ。

 

 カバンから出てしまっていた資料等を仕舞っている時、機関の職員証も落ちていることに気付いた。床に落ちていた職員証を手に取り、あらためてその札を見つめる。

 これを置いていなくなれば機関における僕のあらゆる権利は全て剥奪される。これまで積み上げて来た物はすべからく失われるだろう。

 数度の瞬き。やがて先ほどまでそうされていたように元の場所に戻した。

 あれだけ固執していたのに。これのために色んな物を犠牲にしてきたのに。これを置いていくことに未練は無かった。

 

 すっかり廃れてしまった廃病院に数年振りに足を踏み入れ、意識を失ったままのブレナの処置を始める。

 どうすればブレナを自分の望んだ通りの状態にできるか頭を悩ませたが、そこは僕の腕の見せどころだ。機関の中でも優秀だった僕の頭脳ならば多少の障害があろうとも必ず達成できる。

 そう心の中で何度も繰り返しながら思いつく限りの方法をブレナを試していった。

 

 ブレナの人生をぶち壊したいわけじゃない。ありのままのブレナ・キートンは残しておいてあげたい。だってこいつは教師になることが夢だったのだから。
 呆れるほどの世話焼きでお節介ばかりのこいつならば、きっと生徒とも親身に向き合う良い教師になれるに違いない。その夢を奪うのはこちらも本意ではない。

 そういった子どものわがままのような思いつきばかりを実行していった結果たどり着いたかたちが、何でも言うことを聞くお人形さんみたいな状態――『18番』というわけだ。

 

 なぜ『18番』という名前を付けたのか。それは、機関における研究で僕が携わった被験体の人数が十七人だったから。だからそれらに追随するブレナは『18番』と名付けた。

 悪いことを沢山やった。ブレナが『間違ってる』と言ったことと同等の行いをさせて僕と同じところまで堕とすことにした。そうすれば万が一ブレナが『18番』の時に自分が何をやっていたのか知っても罪の意識に苛まれて僕から離れていかないと思ったから。

 

 僕がなぜブレナ・キートンという人間をあのような状態に変えたのか?機関のことなんて何も考えちゃいない、自分勝手な理由だよ。

 そばにいてほしい。

 その想いが僕を突き動かしたんだ。

 


 ニィスに魔術の適正は一切無し。今回の一件では「確かこの国の王様(ジャルア)は記憶操作の魔術が使えるんだっけ。僕もそれが使えたらどんなに便利なことだったか」と羨ましく思ったり。(ジャルアさん本人は自身のその力のことを忌み嫌ってるという点が何とも言えない)

 学生時代の論文で研究テーマを魔力とか魔術を選んでいたのは、自分には持ち得ない物だからこそ、その不可思議な魅力に興味を惹かれたってふしもあったとか。