15.新たな居場所-5

 気を失ってぐったりと体を預けるティジを医務室に担ぎ込む。一応の処置(というかベッドに寝かせることしかできないが)を終わらせ、ルイに「あとはティジが目を覚ますのを待つだけだよ」と告げる。

 魔力のバランスが著しく崩れた際は点滴などを打って正常な状態に戻すことが一般的な対処法だが、ティジの場合は余計に悪化させてしまう可能性があるため安静にさせることしかできない。情けない話だがそもそもティジの特異な体質は前例がないので適した薬なんて物が存在しない。上に下にと非常に荒ぶった数値を叩きだす魔力が安定するのをただ待つだけ。苦しむティジに何もしてあげられない己の無力さに歯を食い縛った。

「……ぅ、ぐっ……」
「ひっぅ……ティジも……っ、しんじゃうの……?」
 時折苦しそうに呻くティジをルイはしゃくりあげながら見つめる。ルイはあの事件を経てから、生き物の死というものに過敏に反応するようになった。あんな経験をしたから当然なのかもしれないが……血相の引いた顔で今にも倒れてしまいそうな姿に胸が締め付けられる。
「大丈夫だよ。すぐに目も覚める。こういうこと、たまにあるから」
 頭を撫でながら柔和な声で語りかけるも、ルイは目を伏せてポロポロと涙を落とす。

「ぼく、のせいで……たおれた……ティジ、雪みせてくれて……ぼくが笑顔になってくれたらって……お花も、水やり一緒にしようって……お兄ちゃんの時と同じ……ぼくのせいだ……」
 ごめんなさい、ごめんなさいと自身を責めるように呟く。
『お兄ちゃんの時と同じ』とは2年ほど前にあった、今回と似た状況でレイジが倒れた時のことだろう。あの時もルイが自分のせいだと思い込まないように細心の注意を払っていたが……やはり気にしてたか。
「ルイ、大丈夫。ティジは少し特別なんだ。だから皆と違ってちょっと気をつけないといけないことを忘れちゃってただけ」
 後でティジの体質のことも教えなければ。今回の件はルイに前もってティジの体質のことを伝えておらず、二人から目を離してしまった自身の落ち度もある。

「……この子、もう魔法が使えるのか」
 それまで少し離れた場所から静観していたエディが問う。
 一般的に魔法が発現するのは7~10歳の間だが、エディが言いたいのはそういうことではないのだろう。
「あぁ、もう仕組みを理解して使ってる。実質『魔術』の域まで到達してるよ」
 泣きじゃくるルイをあやしながら説明する。
 偶発的に発生させられる『魔法』ならまだしも、自分の意図した形で発動する『魔術』を扱うには相当な知識量が必要となる。ティジは新しいことを学ぶことが好きな子だがたった8歳でこのレベルまでいくのは驚嘆する。……おかげでこうして倒れてしまうこともままあるのだが。

「……っ、……ぅ」
 少しするとティジの閉じられていたまぶたがゆっくりとひらいてゆく。
「――ティジ!ティジっ!」
 ティジの名前を何度も呼ぶルイ。それを気にかけながらティジの容態を診る。ちゃんと意識はあるし、危惧していたような反応も全く見られないことに安堵の息を漏らした。

「……ぼく、もしかして……」
「倒れた。ルイが見てる前でな」
 覇気のない声で聞くティジに言い付けを破ったことを意識させるため、あえてそう言った。下手をすると命に関わりかねないのだから。
 それを聞いたティジはばつが悪そうに黙りこむ。自身が倒れたことに驚く様子を見せないことに加えて開口一番に『もしかして』なんて発言が出たことから、自分の体調に異変が起こるかもしれないと分かっていながら無茶したのだと窺えた。
 その間もルイはずっと「ごめんなさい」と繰り返しながら涙を流している。
「……ルイは、何にもわるくないよ」
 ティジは少し血色の悪い顔でルイを気遣う。起き上がろうとするので介抱してやるとティジは苦しそうに息を吐いた。
 多少魔術を使ったぐらいではここまでひどい状態にはならない。花の水やりもしたことが悪く響いたのだろう。人を気遣う前にもっと自分のことを気遣え、と言いたくなるが今はそれより優先すべきことがある。
「ティジ。これからルイにお前の体質のことを話すけど良いよな」
 念のためティジに確認をとるとコクリと頷いた。

「ルイ、今から少し難しいお話をするんだけど聞いてくれるかな」
 ティジの体のことなんだ、と言うとルイは不安そうな目で俺を見た。
「ティジ……からだ良くないの……?」
「ううん、そうじゃないよ。病気とかそういうのは全くない、いたって健康的な体だ」
『本当に?』と言いたげなルイにティジは今一度うなずく。

「ルイはレイジ……お兄ちゃんから魔法について教えてもらったことはあるかな」
 ようやく涙が止まったルイは必死に記憶を遡る。
「……前に、知りたいって言ったら教えてくれた……確か、体の中にある力を使って魔法を使えるんだよって。あと……えっと……魔法を使ったあとは少し疲れちゃうんだって言ってた」
 でも少し休んだら元気になるから大丈夫、とも言っていたと呟く。
 レイジのやつ、ルイにせがまれたから一応話しはしたが詳しくは教えなかったのか。まぁ理解するのは難しいだろうし、仮にその仕組みについて教えたらルイはレイジを心配して『魔法を見たい』と言わなくなってしまう、と考えたのかもしれない。

「それじゃあ今から俺が『魔法』について簡単に説明するよ。人や動物、お花とかのこの世の生きているものはみんな『魔力』っていうのを持っているんだ」
 もちろんルイにも、とその小さくて温かい手を握る。
「魔力っていうのは元気の源で、魔法を使うときにはこの魔力が要るんだ。そして魔法を使うと魔力は減る。だからお兄ちゃんは『魔法を使ったあとは少し疲れちゃう』って言ったんだよ」
「じゃあ使ったらずっと減ったままなの?……魔力が減りすぎちゃうとどうなるの……?」
 か細い声で問いかけられる。ティジやレイジが倒れるところを目の前で見てきたのだからそのような反応をするのも納得できる。レイジはこんな心配を掛けたくなくて、あえて曖昧な教え方をしたんだろうな。
「ずっと減ったままってことはないよ。減りすぎちゃうと少し大変だけど、お兄ちゃんの言ってた通り少し休めば魔力は回復する。ルイも沢山走ったあとは疲れているけど、一休みしたらまた走れるだろ?」
 安心させるためルイの髪をすくように撫でると小さく頷いた。

「……ぼくもお兄ちゃんみたいに魔法使える?」
「それはどうだろう。俺にはちょっと分からないかな。みんながみんな、魔法を使えるわけじゃなくて、むしろ魔法が使える人ってあんまりいないんだ。ルイも、お父さんとお母さんが魔法を使ったりするのは見たことないだろ?」
 そういえば、と納得したようにルイは呟いた。
 俺の知っている中では魔法を使える人間は自分を含め、レイジとジャルア、それとティジしかいない。そもそも、ひとところにこれだけ魔法を使える人間が集中していることが変わっているのだ。事実セヴァもその妻のララも魔法は使えない。それ故にレイジは自身の魔法が発現した際に一人で考え込んでしまったのだ。

「持っている魔力の量は人それぞれで違うんだ。魔力の量が多いとそれだけたくさん魔法を使える」
 魔法の種類や『魔術』の定義についてはルイにはまだ早いので省くことにした。そこらへんについてはもう少し落ち着いてからでいいだろう。
「それでな、ティジは生まれつき持っている魔力の量がすごく多い。俺よりもずーっと多いんだ」
 医務室には血液を採取して体内の魔力を計測する機器がある。通常は他の採血と同量の5~10mlほどで計測するが、ティジの場合はその量でやろうとすると計測器が壊れかねない。というか一度壊れた。なので数滴ほどで計測機にかけた後、通常量で計測した場合の数値に計算し直すという方法をとっている。手間はかかるが他に方法(というか類似するケース)がないため、やむを得ずこの形式をとっている。

『保有する魔力が他の人より少ない』はまぁまぁ例はあるが『桁違いに多い』なんていくら調べても出てこない。ティジの保有する魔力は月日を重ねるごとに増幅する一方だ。しかし今のところは体に異常などは発生していない。
 それにティジは他の人間と違って、三つ以上の魔法の属性を使えるようだ。二つ扱える者ですらかなり希少だというのに。ティジの体質に関しては分からないことのほうが圧倒的に多い。今のところ日常生活に支障は出ていないが、この先何かあったらと思うと心配でならない。

「ティジの場合、魔法を使いすぎるとちょっと危ないんだ。減っちゃった魔力をなんとか元に戻そうとして体の中の魔力が一気に増える。そしたら今度は多くなりすぎちゃったから少なくしなきゃってなってすごく減っちゃうんだ。それを繰り返してティジの魔力のバランスは崩れてしまう。そうするとさっきみたいに倒れちゃうんだ」
 だからむやみやたらに使わないよう日頃から注意はしている。いっそのこと禁止させられたらいいのだが、そうなると咄嗟の時に魔術を使う感覚を忘れている可能性も捨てきれない。緊急時に自分の身を守れる手段は一個でもあったほうがいいし……難しいな。

「それなら……やっぱり、ぼくのせいだ。ティジはぼくに魔法を見せてくれたから……」
 そんなことない、と身を乗り出すティジを諌めて再び自分を責め始めたルイの肩に触れる。
「ルイ、ティジは今日どんな魔法を見せてくれた?」
「え……雪降らせてくれて、種がお花に変わったのもあった」
 ぼくが見たのはそれだけ、と言う。やはり、あの庭園の跡から察するにさほど魔法を使っていなかったのは分かっていた。芝生もそこまで濡れていなかったことから降らせた雪の量もおそらく極少量だろう。しかしそれらに花の世話も加わるとなると話は別になる。

「実はティジの体にはもう一つ特別なことがあるんだ。それは、自分の持っている魔力をお花に分けちゃうこと。ティジはお花のお世話をすると自分の魔力をお花に少しずつ分けちゃうみたいなんだ。お花に直接触れていない水やりでも自分の魔力を水を通して与えてしまう」
 これらのことは一年前ほど前に判明したことだ。その頃から花の世話を手伝ったりしていたが、ティジが世話をした花だけ何故か長持ちしていたのだ。肥料は不自然な減りかたはしていないことから、花とティジが水やりをした後のジョウロに残っていた水を調べたら……という経緯だ。

「少し困ったことにこれらのことはティジの意思でやっていることじゃない。お花と触れあうと体が勝手にやってしまうんだ。そこでまた魔力が減っちゃうから今度はお花の持つ魔力を少し分けてもらおうとする。魔法は大体これぐらい使ったら危なくなるかなって目安がつきやすいけど、お花のお世話ではその変化がバラバラで目安がつかないんだ。……だからお花のお世話はあまりしないようにって言ってたんだけどな」
 ねめつけるようにティジを見ると視線を逸らされた。
 もちろんこれらの話はティジに説明済みだ。ちゃんと理解もしている。そんな賢い子なのに何故このような無茶をしたのか……まぁ理由なんておおむね察しはつく。後でお説教だな。

「ルイ、できればこういう無茶をすることがないようにティジのことを見ててくれないか?魔法は絶対使うなってほどじゃないから、そこらへんは深く考えすぎなくていい」
 ルイに優しく問いかけると神妙な面持ちで力強く頷いた。まるでティジの命を預けられたかのような顔つきに小さく笑い、くしゃくしゃと頭をかき回した。
「そんなに重く受け止めなくても大丈夫だって。また今回みたいに倒れちゃった時はすぐ俺を呼んでくれ。慣れてるからすぐに対処できるよ」
 まぁ毎回肝を冷やされてるが。この問題児にはほとほと困らされる。……胃がキリキリと鋭い痛みを訴えているから後で胃薬でも飲んでおくとしよう。

「ティジ君の顔色もだいぶ落ち着いたみたいだな」
 そばで見ていたエディがティジの顔に触れようとするも、少し思うところがあったのか手を引っ込めた。それをティジは『どうしたのだろう』と不思議そうに見つめている。
「……今はもう落ち着いたから触れても大丈夫だよ。てか人や動物には不用意に魔力を分け与えたりしないから、そんな変に警戒しなくてもいいって」
『余計な気遣いはかえって悪い方向に働く。遠慮とかするな』と暗に示しながら告げる。直接伝えられたら手っ取り早いのだが、それもできないのがもどかしい。あぁ、もう凄まじく胃が痛い……!
「そっか、じゃあティジ君……あ、一応聞いとくけど気軽に呼んで大丈夫だったか?王子様とか本名のほうで呼んでほしかったらいつでも言ってくれよ。俺そういうの結構ノリいいから」
 おどけて笑うエディにルイもホッとした様子を見せる。ここまで重かったり難しい話が続いていたから、今回の件において第三者にあたるエディの笑顔を見てようやく緊張が解けたんだろうな。

「ティジ、とりあえず今日のところは医務室で休むか。なんか必要な物とかあったら部屋から持ってくるぞ?」
 気を取り直してベッドの上のティジに顔を向ける。するとティジは首を横に振った。
「大丈夫。もう少ししたら元気になるから自分のお部屋で寝るよ」
 またこいつは変なところで気ぃ遣いやがって……。
「それにルイはクーさんのお部屋で寝てるんでしょ?僕が医務室にいたらクーさんもここにいなきゃいけなくなるから、そしたらルイが一人で寝ることになっちゃう」
 そしたらルイのことが心配で休めないよ、と眉尻を下げる。それ、8歳の子どもが意図的にやる表情じゃないぞ。っていうかルイが毎晩俺と一緒に寝てること、一体どこから聞き付けたんだ。……そういえばルイの部屋ってティジの部屋に近かったな。だったらそこに人の出入りが全くないことにも気づくか。

 しかしルイを引き合いに出されるとこちらも弱ってしまう。『それならルイも医務室のベッドを借りてここで寝かせるか……?』と考えているとそれを察したティジが先手を打つ。
「少しでも調子悪くなったらクーさんのとこに行くから。僕のこと信じてほしいな」
 そんな言い方されたらもう何も言えない。しかもそれを分かっていて言ってるんだから余計にたちが悪い。人を気遣うことにかけてはこの子は恐ろしく頭が回るから非常に厄介だ。
 これじゃあ先に外堀から埋めていくような方法じゃないと太刀打ちできないな。もうこれ以上押し問答を続けても無駄だ。今日のところは大人しく引いてやるとしよう。

「それならお前の言うとおり少し休んでからお部屋に戻るか。あ、そうだルイ。折角エディと会えたんだから色々お話したらどうだ?結構心配してくれてたみたいだし、俺の部屋のほうがくつろげるからそっちで話すといい。俺はティジのこともう少し見とくから先に行っててくれ。場所分かるよな?」
「え、でもぼくもティジが心配だから一緒に……」
 俺が見とくから大丈夫、と矢継ぎ早に言うが尚もルイは気遣うようにティジを見る。目の前で倒れたのだからそう思うのも無理はないが、それだと少々困るので『なんか上手いこと言え』という思いでエディに目配せする。するとエディはゴソゴソと自身の服のポケットを漁り始めた。
「あれ?俺もしかするとクルベスの部屋に忘れ物したかもしれない。ごめん、ルイ君。クルベスの部屋まで案内してくれるかな」
 俺の意図をくんだエディはルイに部屋を出るよう促す。ルイは心配そうに何度もこちらを振り返っていたがエディにその背を押されるがままに扉の外へ出ていった。

 さーて、ここからが本番だ。この気遣い屋にちゃんと反省させるためにも、今日はみっちりとお説教してやるからな。
 そう意気込みながら気合いを入れるようにググッと腕を伸ばした。

 


この経験から学んだクルベスは第二章(1)「夜更けの内談」にて、ルイの同意を(半強制的に)得ることで見事ティジを一緒に寝かせることに成功しましたとさ。過去の失敗は繰り返さない主義。