14.新たな居場所-4

 涙で濡れた顔を拭いた後、ティジに連れてこられたのは沢山の花が咲いている場所だった。
「到着っ!ここが僕の一番のお気に入りの場所、中庭の庭園だよ」
「わぁ……」
 きれい、と思わず声を漏らす。色とりどりの花が目の前に広がる、すごく綺麗な場所だ。吹き抜ける風が気持ちいい。
「実は庭園はもう一つあるんだけど、そっちはまた今度紹介するね。それよりほら、こっちこっち」
 手を引かれるがままついていくと白いベンチに座らされる。

「ルイにこれを見てほしくて。ここから見る景色が一番好きなんだ」
 隣に座ったティジに促され、顔を前に向ける。
 暖かいお日さまと青い空、一面に広がるお花畑。まるで二人だけの世界になったみたいだった。
「……ここにいるとね、自分が何でもないただの普通の子に思えてきてすごく安心するんだ」
「ティジ……?」
 その言葉にティジの顔を見たが、その顔はすぐに笑顔に変わってしまった。一瞬、寂しそうな顔をしてたような気がしたけど……見間違いかな。

「本当に綺麗な場所でしょ?ここのお手入れは庭師のおじいさんがやってるんだけど、今はどこか行って……あれ?」
 ティジは何かに気がついた様子で、座面についていた左手を上げる。ぼくもその手を見るとティジの手のひらにお花の種がくっ付いてた。どうやらベンチに落ちていたみたいだ。その種を見つめていたティジは何か思いついたように「そうだ」と声をあげる。
「ルイ、ちょっと見てて!」
 ガーベラの種をそのまま手の中で握る。どうしたんだろう、と思いながら見守っていると。

「……できた!ルイ、これあげる!ガーベラっていう花だよ」
 手を広げるとそこにピンクのガーベラが現れた。あまりに突然のことで呆気にとられる。さっきまで種だったのに。ティジはぼくにガーベラを手渡しながら言葉を紡ぐ。
「ガーベラはいろんな色があるんだよ。代表的な花言葉は『希望』『前向き』だけど、花の色によって違う花言葉も持っているんだ。ピンクのガーベラは確か……」
「これ、なんで?」
 聞かずにはいられなかった。だって、ありえない。こんなのまるで……。
「魔法で咲かせたんだよ、びっくりした?」
 ぼくの疑問に答えるとティジは少し得意気に笑う。

「ティジも……魔法、使えるの?」
「も?あ、もしかしてルイも使えるの?」
 ティジはずいっと身を乗り出して目を輝かせる。そのまっすぐな瞳に居たたまれなくなり、思わず目を逸らしてしまった。
「あ、いや……え……っと、ぼくじゃなくて……お兄ちゃんが、その……」
 兄がひた隠しにしていたことを自分が勝手に言っていいものか分からず、言葉を濁す。それでもティジはぼくの言わんとしたことを理解したように頷いた。
「そっか。ルイのお兄さん、魔法使えたんだ。……ねぇ、そのルイのお兄さんはどんな魔法を使えたの?」
「どんな……氷とか、雪とか沢山見せてくれて……」
 そう話しながら、いつまでも見ていたい思えるような、あの幻想的な光景を思い出す。優しく微笑む兄の顔も。でももういない。二度と見られないんだ。
 そう考えるとまた泣いてしまいそうになり、グッと唇を噛んで堪えた。

「ルイ、少し待ってて」
 ティジは苦しそうな表情をしてしまったルイに呼びかける。おそらく、かつてあった日常を思い出したのだろう。
 戸惑いの色を見せるルイに安心してもらおうと小さく笑いかけ、庭園を吹き抜ける風に意識を集中させた。これなら発生条件に申し分はないはずだ。頭の中でこれから成そうとしている現象の構築式を描いてゆく。少しでも彼の心の霧が晴れたらと、その一心で。

 優しい風がティジの白い髪をなびかせる。するとぼくの手に一瞬、ひやりとした感覚が。何だろうと思い、手の甲を見ると水滴がついていることに気がついた。
 雨?でも空は清々しいほどに晴れ渡っているのに、と空を見上げようとすると――
「あ……!」

 頭上から雪が舞い散る。空は変わらず青いままなのに、7月だというのに。

 見知った幻想的な状況に言葉を出せないでいるとティジはホッと小さな息をはいた。
「これはあまりやらないから少し時間かかっちゃった。……どう、かな?」
 お兄さんみたいに上手くは出来ていないかもしれないけど、とぼくを見る。
「すごく、きれい……でもなんで……」
 どうしてティジがそこまでしてくれるのか分からなかった。
「僕に今できることっていったらこれしかないから。ルイが少しでも笑顔になってくれたら嬉しいな」
 そう言って向けられた笑みが、かつて同じように魔法を見せてくれた兄の微笑みと重なった。

「でも……ぼく、なんにもしてあげられない。お兄ちゃんみたいに魔法を使えないし、まだティジのこと全然知らないから……」
 なぜだか胸は熱くなって。けれど、してもらってるばっかりで何も返してあげられない自分の無力さを痛感してまたも俯いてしまう。するとベンチについていた手にティジの手がそっと重ねられた。

「僕ね、同い年の子と遊んだこと全然ないんだ。僕の妹のサクラは母さんとよくお話しているし、それを邪魔しちゃったら良くないから」
 ティジは双子で妹さんがいると伯父さんから聞いていた。一度会ったけどティジに似て活発な印象のある元気な子だった。この城の外の話を凄く聞かれて、伯父さんやティジのお母さんがやんわり止めなければずっと聞いてきそうな感じだったなと朧気に思い出す。

「前はじぃじが一緒にいてくれたけど、もういないから。だから最近は一人の時間が多くて、ちょっと寂しいって思ったり」
 そう語るティジは眉をへたらせて小さく笑う。もし自分が同じようなことを話そうとしたら泣きながら話してしまうだろうに。
 そういえばここ数日、ティジの笑顔はよく見たが怒ったり泣いたりしているところは全く見ていないことに気がついた。

「だからね、ルイがそばにいてくれるだけで僕は凄く嬉しいんだっ!それだけで僕は十分!」
 一際明るい笑顔を見せる。その表情から本当に嬉しいのだということが窺えた。でも……。
「でも、こんなにしてもらってるのにそばにいるだけっていうのは……せめて、何かぼくにできることは無い……?」
「え?うーん、それなら……あ!じゃあ一緒にお花に水あげようよ!僕、お友達と一緒に何かするっていうのやってみたかったんだ」
 ティジはちょうど近くに置いてあったじょうろを見つけ、そう提案する。おそらく庭師のおじいさんが置いていったのだろう。作業の途中だったのか水は入っていた。
「……友達」
 面と向かって言われると嬉しくもあったが少し照れくさくなってしまう。

「もちろん僕にとってルイは友達だけじゃなくて家族だとも思っているよ。これからは色んな楽しいことを一緒にできたら嬉しいな」
 それじゃあまず僕がお手本を見せてあげるね、と慣れた様子でじょうろを持つ。
 そういえばこのじょうろの持ち主である庭師のおじいさんがいないけど勝手に使っていいのだろうか。
「僕もたまにお花に水をあげさせてもらってるんだ。最近はクーさんに『あんまりやるな』って言われたから出来てなかったけど……」
 楽しそうに喋りながら水をやっている。でも伯父さんが『あんまりやるな』って言うことあるんだ。ましてやお花のお世話ぐらいで言うなんて。

「お花は水をあげすぎるとかえって枯れちゃうんだ。だからそうしないように気をつけ――」
 言い終わる間際にティジの体がぐらりと揺れる。その異変に声を掛けようとした次の瞬間、ティジはじょうろを落としその場に崩れ落ちた。
「ティジ!」
 駆け寄るとティジは苦しそうに顔を歪めていた。肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返している。何度もその名を呼ぶが、今にも消えてしまいそうな声で「だいじょうぶ……だいじょうぶ、だから……」と繰り返すだけだった。

 なんで、なんで?さっきまであんなに元気だったのに。混乱した頭で必死に思考を巡らせる。
 そうだ、前にも同じようなことがあった。あの時はお兄ちゃんがたくさん雪を見せてくれて。魔法の使いすぎで倒れたのだと伯父さんが言っていた。じゃあ今回も?
 ティジはさっき雪を見せてくれた。ぼくのために。それからそんなに経たないうちにティジは倒れた。
「……ぼくの、せい」
 声が震える。その間もティジは起き上がらない。

 あの時兄が倒れたのも、今こうしてティジが苦しそうにしているのも、みんないなくなったのも、全部。

「どうしよう、ぼく、そんな……!」
 その場にへたりこみ、頭をかきむしる。お前のせいだ、お前のせいでみんな消える、と自分を責め立てる声が頭の中に響く。
「ごめんなさ、ティジ、みんな、ぼくのせいで……!ひっぅ、ごめ、あ、あぁああぁっ!」

 

 エディを伴ったクルベスは必死に城内を走り回っていた。
 エディがあの子たちを見かけたという談話室を覗いたがやはり見当たらなかった。『ティジならば必ず案内するはず』とふんで、庭園は一番最初に確認したがそこにもいない。もう訪れた後だったのかもしれないと考え、今度は書庫に向かったが司書に伺ったところ少し前にここを離れたということが分かった。どうやら漏れ聞こえた二人の会話からティジの部屋に向かったらしいと分かり、急ぎ向かうもそこはもぬけの殻。
 じゃあ次はどこだ?もうあの子たちが行きそうなところは全部まわったのに。いない、どこにもいない。

 落ち着け、冷静になれと自分に言い聞かせるもそれは全く意味をなさない。当然だ。だってルイはまだ大人を恐れている。
 王室教師には最近ようやく慣れたようだが、衛兵とすれ違うときはクルベスの服の裾を強く握り締め、小さく震えている状態だ。そんな状態で、併設されている衛兵の詰所なんかに迷いこんでしまったら。想像するのも恐ろしい。
 詰所の前の見張りに伺ったが子どもは見かけていないという。でも入れ違いになって迷いこんでしまう可能性なんていくらでもある。そうなる前に一刻もはやく見つけ出さないと。

「おや、そんなに慌ててどうしたんです?」
「っ、あ……」
 横から声を掛けられ、咄嗟に振り向くと庭師のじいさんが立っていた。手には肥料が入った袋を二つ抱えている。
「お久しぶりです。突然すみません、ティジとティジと同じくらいの年の黒っぽい髪の子ども見かけませんでしたか」
 背丈はこれぐらいで、と必死に特徴を話すが庭師のじいさんは渋い顔をする。
「見かけてない、ですね……お力になれず申し訳ない。私もコレを受けとるために少しばかり離れていたもので……」
 コレと示した物は一抱えもある肥料の入った大きな袋。どうやら試しに使ってみようと少しだけ取り寄せた物が届いたのだという。

「そう、ですか……すみません。忙しいのにお時間を取ってしまって。それじゃあもし見かけたら連絡していただけますか?」
 内心落胆しつつ『とりあえずしらみつぶしに探していくしかない』と先を急ごうとすると庭師のじいさんに「あ、ちょっと」と呼び止められる。ちなみにエディは周辺を歩いている衛兵や使用人に「ルイたちを見かけていないか」と聞き込みをおこなっていた。
「差し出がましいかもしれませんが、一度見たところをもう一度探してみるというのは?入れ違いになっている可能性もありますし」
「……でも、それじゃあキリがない」
 振り出しに戻れというようなものだ、とつい苛立った口調で返してしまう。それほどまでに余裕がなかった。

「門番や城内を巡回する警備にはその子たちを見かけたらすぐ連絡をするよう伝えたのでしょう?なら外に抜け出す心配は低いと考えて、あの子たちが立ち寄る可能性が高いところを見るのが良いかと……まず手始めに庭園からというのはどうですかな」
 ティジも気に入っているところですし何よりここからそう離れていない、と提案され完全に納得はしていないものの頷くことにした。アテなんてもうどこにもないのだから。
「……っ、わかりました。じゃあすぐ行きましょう。それ、一つ持ちます」
 肥料を一つ持ち、エディを呼び戻す。エディのほうも収穫はなかったようだ。足早に庭園へと向かう。その間も『もしかしたらいるんじゃないか』と周りを見渡すがやはり見当たらなかった。

 もうそろそろ見えてくるか、というところで子どもの泣き声が聞こえた。ひどく聞き覚えのある声に血の気が引くのを感じながら、持っていた肥料をエディに押し付けて走り出した。
 庭園に着くとそこには泣き叫ぶルイと地面に倒れ伏すティジがいた。

「ごめっ、なさ、ごめんなさい、ぼくの、ぼくのせいだぁああぁ!!」
「ルイ!ルイ!!落ち着け!なんで、こんな……!」
 繰り返し呼び掛けるも、我を忘れて泣き続けるルイにその声は届かない。

 まずい、まずい!くそっ、なんで俺はルイから離れた!こうならないためにずっと一緒にいたのに!ここでの暮らしに少し慣れて、落ち着いてきたルイに気が抜けてた!セヴァにルイたちのこと頼まれたのに、ルイのこと全然守れていないじゃないか……っ!

「ク、ぅさん……」
 微かにティジの声が聞こえた。
「――ティジ!」
 気が動転して忘れてしまっていた。いつもならばそんなこと絶対しないのに。ぐったりとしたティジの体を抱きかかえる。
「ぼ、く……まほ……つかって……おはな、も……」
 荒い呼吸の合間から切れ切れに話すその内容から察するにおそらく魔法を使ったのだろう。加えてそばには横倒しになったじょうろ。言い付けを破ったのか……!
 叱るのは後にして今は医務室に連れていくのが先決だ。ここにいても何も解決しない。

「エディ!俺はティジを抱えるからお前はルイと一緒に来てくれ!」
 ひとまずエディに協力をあおぐ。エディは肥料を庭師のじいさんに受け渡すとルイに駆け寄った。
「あぁ、分かった。さぁルイ君、伯父さんについていこうか」
「ごめんなさい、そんなつもりじゃ、ひっぐ、ぼく、ぼぐぅう゛……」
 エディが赤子のように泣きじゃくるルイを抱え上げるのを横目に、こちらも糸が切れたように意識を失ったティジを抱えて医務室へと急いだ。

 


ピンクのガーベラの花言葉は『崇高な愛』『思いやり』だそうです。