どれぐらい泣いたか覚えていないけど、気がついたら朝になっていた。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
病院にいた時は『もしかしたら伯父さんもいなくなっているんじゃないか』と怯えながら目を開けていたけど、今は目を開けるより先に伯父さんの体の温かさを感じて自分は一人ぼっちではないことを実感する。
まぶたを開け、ぼくが目を覚ましたのを見ると伯父さんは微笑んでくれた。
「おはようルイ」
「……伯父さん、おはよう」
昨日散々泣いたからか喉が少し痛い。目元に違和感があったのでおそらく目の周りも腫れているのだろう。
「声、かすれてるな。温かい飲み物でも淹れようか。ミルクとココア、どっちがいい?」
伯父さんは乱れたぼくの髪をすきながら聞く。
「……ミルク」
「わかった。朝食は俺が作るからルイはゆっくりしてていいぞ。それとも一緒に起きるか?」
その問いかけに頷きで返すと「それじゃあ起きよっか」と言って優しく抱き起こしてくれた。
伯父さんの話によると、朝食はいつもなら昨日会ったティジやジャルアさんたちと一緒に食べるらしい。ぼくも良ければって誘われているそうなので明日からはぼくも伯父さんと一緒にそっちで食事をとることにした。
お城に来た日以降、ぼくは伯父さんとは別のベッドで寝ることにした。とは言っても隣に折り畳み式のベッドを置いてそこで寝る、というかたちなので同じ部屋ではある。
実はぼくの部屋もあると伯父さんから聞いていた。荷物などはあらかた運び終わっているのでいつでも使えるとも。
『でもまだ一人で寝るのは怖い』と言い出せずにいたら伯父さんは「ルイが良ければ昨日みたいに一緒に寝ようか。それにこの城とかティジについて色々面白い話があるから、夜寝る前に話してあげるぞ?」と言ってくれたのでその申し出に甘えることにした。
もうここは病院じゃない。そうだと分かっていてもあの日の夢を見て飛び起きることは多々あった。そんな時伯父さんはそばに寄り添い、ぼくが眠るまで時折頭を撫でながら手を握ってくれた。
ある夜、眠りが浅かったのか、ふと目を覚ました。眠かったので目を開けずにいたら頭にそっと触れられる。伯父さんの手だ。それに安堵して再び眠りにつこうとすると「守れなくてごめんな」と小さく呟くのが聞こえた。
伯父さんが謝ることなんて何もないのに、それはとても苦しそうな声をしていた。
「ねぇルイ、このあと時間ある?」
午前の勉強の時間が終わるとティジは聞いてきた。
ちなみに勉強は外から先生を招いてやっている。最初は知らない人ということもあって少し怖かったけど勉強に交えて色んなおとぎ話を教えてくれたり、他の国に旅行に行ったときのお話などを聞かせてくれたので今はもうだいぶ怖くなくなっていた。
「うん、大丈夫だけど……」
今日の勉強の時間は午前だけだったので午後は空いている。今日は伯父さんも忙しいようなので邪魔をしないように伯父さんの部屋で過ごしていようかと考えていた。
「よかった。あのね、ルイにこの城のこと色々教えたいんだ」
そう言ってティジは明るい笑顔を見せた。
ティジの提案で昼食も一緒に食べた。昼食のあと、料理長さんからお菓子を貰った。顔は怖かったけど、あまりお話したことがないぼくにも優しく話しかけてくれたからそんなに悪い人ではないのかな……。
「まずはね、談話室に行こうと思うんだ」
「談話室?」
ぼくの手を握りながらやや先導して歩くティジに問いかける。視界の端に衛兵さんの姿が映り、怖くて顔を俯かせたらティジは少し歩を緩めてぼくの隣に寄り添うように歩いた。
「このお城にいる人が休憩したりお話する場所だよ。この時間ならそんなに人はいないから一番最初に案内しておきたいなって」
ぼくの手を優しく握りながらティジは快く説明してくれる。そんなに人はいないと聞いてホッと胸を撫で下ろした。
やがてたどり着いたそこは広い部屋にテーブルとソファーや椅子が並べられている落ち着いた雰囲気の場所だった。ティジに勧められソファーに座ってみると思っていたよりも座り心地が良かった。部屋の落ち着いた雰囲気とお昼を食べた後ということも相まって少し眠たくなってしまう。
「ここには一人だとちょっと暇な時とか少し気分転換したい時に行ったりするかな。色んな人が思い思いに過ごしていて、人はいるけど結構落ち着いたりするっていう感じ」
ティジの言う通り、ここにいると一人じゃないって感じがする。あまり騒がしすぎないのも心地がいい。
「……ティジもやっぱり一人だと寂しいって思う時があるの?」
「え?」
「あっ……いや、今のは、その……」
ティジの驚いたような声で自分が軽率な発言をしたことに気づく。
深く考えずに言ってしまった。いつもそうだ。そのせいでお兄ちゃんを困らせてしまったことがあったのに。……ちゃんと考えて行動しなかったから皆いなくなったというのに。どうして、ぼくはこんなことばっかり――
「……僕もね、雨の日とかはちょっと不安になっちゃうんだ。そういう時は一人は嫌だなって思ったりするかなぁ」
泣きそうになっていたぼくにティジは優しく笑いかける。
「でもルイがここに来てくれたから、これからはそんな気持ちになる日も減ると思うんだ。ルイも、一人はやだなって思った時はいつでも言ってね。僕にできることはまだそんなに無いけど、一緒にいることはできるから」
自分と同い年とは思えないほどしっかりしているティジの言葉にあ然とする。
「そろそろここも人が増えてくる時間かな。ルイ、次の場所に行こっか!」
今度は僕がよく行く場所なんだ、と元気よく立ち上がり、ぼくの手を取った。
「……あれって」
見覚えのある後ろ姿にエディは足を止める。
やっぱり。あれはクルベスの甥っ子のルイと……そうだティジだ。あの子と直接の面識は無かったがあの姿は間違いない。元気そうな様子に安堵する。子どもだけで歩き回っているという状況に少し心配はあるも『まぁここは城の中だから大丈夫か』と考え、二人に声を掛けることなくその場を後にした。
続いて訪れたのは書庫。伯父さんよりも背の高い本棚がずらりと並ぶ光景に目を丸くする。
「ここには色んな本があって、司書さんに言ったらちょっと珍しい本とかも読めるんだよ。本の数でいうと近くにある国立図書館のほうが沢山あるけど、ここにしかない本もあるから雨で外に出られない日とかはこっちに行くんだ」
うるさくならないよう声を潜めて教えてくれたティジはある本棚の前へとぼくを誘う。
「魔法に関する本とかもいっぱいあっていいんだけど、僕の一番好きな本はこれかな」
そう言ってティジが引き出したのは昔からある、おとぎ話について綴られた本。
「……これ、知ってる」
怖い夢を見た夜にお兄ちゃんに読んでもらった本だ。確か、男の子が妖精と出会って色んなところを冒険する話。
「実はこのお話、他の国だとあまり知られていないんだって。それでこの本はなんと初版で今売られている物とはちょっと表現が違っていて、多分これ以降の版はいろいろ増補改訂した物なのかなって思ってるんだけど」
目をキラキラさせて少し早口になったティジの話に頭がついていけない。『しょはん』とか『ぞーほかいてい』って何だろう。
ティジの熱弁を理解しようと必死に考えるぼくを見て、ティジはハッと我にかえる。
「あ!ごめんね。僕、本の話になるとちょっと止まらなくて……えーっと、そうだ!次は僕のお部屋を案内するよ!この本に関してもうひとつ教えたいことがあるんだ!」
本を元の場所に戻し、取り繕うように先へと促した。
「というわけで、ここが僕のお部屋!ゆっくりしてね」
ようこそおいでくださいました、と言わんばかりに両手を広げて歓迎する。
大きめのベッドと机や本棚などがあるだけで他には特に変わった物は置いていない。二つの本棚に隙間なく本が収められているのを見て少し驚いたけど。
「それで、これがさっき言ってたもうひとつの教えたいこと!」
二人並んでベッドに座ると、本棚から持ってきた本を見せた。でもさっきのおとぎ話とは違う本だ。見た目も子どもっぽくない、大人が読んでそうな本。
「これはね、さっきの本の作者さんが最初に書いたお話なんだって。すごく数が少なくて貴重な本だって、じぃじがくれたんだ」
ティジの話によると本の内容も全く違うという。
さっきのおとぎ話は妖精と冒険するお話だったけれど、ティジの持っている本は主人公があるお友達と出会い、そのお友達が見てきた色んな世界のお話を聞いていくお話らしい。主人公の子は冒険はしないし本当に全然違う。それに書き方もまるで日記みたいだと思った。
「多分おとぎ話のほうはこの本を色んな人にも読みやすいようにしたんじゃないかな。でも僕はこっちのほうが好きだなぁ」
なんか温かい感じがする、とティジは笑う。
「でも、このお話の最後……」
主人公とお友達は……、というとティジは小さく頷いた。
「うん、最後はお友達とお別れしちゃうんだけどね。でもまたいつか会おうって約束してるから悲しいお別れではないと思うんだ」
ティジはそう言うけど、悲しいお別れではない別れって何なのか分からない。少なくともぼくにとってはどのお別れも悲しいものだ。このお友達だって、絶対に会えるとは約束していない。約束しても会えないことだってあるのに。お兄ちゃんみたいに……。
「……っ」
「あ……!ルイ、ごめん、このお話はちょっと暗かったね、えっと、それじゃあ……」
堪えきれず涙をこぼしてしまったぼくにティジはおろおろとしている。だめだ、ぼくが泣いてるせいでティジを困らせてる。泣き止まないといけないのに、どんどん涙がこぼれてしまう。何とかしないと、どうしよう、どうしよう。
頭の中がぐちゃぐちゃでわけも分からないでいたら、ふと自分とは別の温かさを感じる。ティジが抱き締めてくれていた。突然のことにびっくりする。
「僕が泣いているときは父さんとか母さんがこうやってしてくれるから……だから、その……」
ごめんね、と小さく呟く。自分が泣かせてしまったと思ったのだろうか。ティジが謝ることではないのに。
「……僕は魔法について知ることとか、新しいことを知るのが好きなんだ。あとチョコレートも好き。ルイは何が好きなの?」
ぼくを抱き締めたままティジは柔らかい声で問う。
「ぼく、は……クッキーとかが好き……あと、お母さんからもらったクマのぬいぐるみも……ティジにも、見せたい」
「いいの?じゃあ……今度見に行ってもいい?」
遠慮がちに聞く声に頷く。気づけば涙は止まっていた。
ティジはそれを確認すると、安心したかのようにほっと息をついた。
「それなら、お返しにこのお城で僕の一番のお気に入りの場所を教えるね。ルイも多分気に入ると思うな」
その前に顔拭かないとね、と微笑みながらサイドテーブルにあったタオルでぼくの顔を拭いてくれた。
「よう、久しぶり」
「そこまで会ってないわけじゃないだろ、それともボケたか」
ほんの二週間ほど会っていなかっただけのエディにクルベスは軽口を叩く。事件についての情報提供と、これまでも定期的におこなってきた質疑応答もとい経過報告のために出向いてくれたのだ。
「その様子だと大丈夫そうだな。一時はどうなることかと思ったから安心したよ」
「まぁ、お前には特に迷惑かけたからな……」
自分のことだけでなくルイのことも気を遣わせてしまった。本当に申し訳ないと思っている。
滅多に見せないしおらしい様相のクルベスをエディは「やめろよ。らしくない」と軽く小突いた。
「あいつら、子どもたちだけでも元気そうに歩きまわってたし。その姿を見られただけで十分だ」
エディは安心したかのように言う。やっぱり心配してくれてたんだな。それもそうか、あんな酷い物を見たら誰だって心配……いや、ちょっと待て。
「子どもたち、だけ?」
聞き流しそうになったが、なんかとんでもない文言が混じってた気がする。
「あぁ、さっき見たぞ。ルイのことははすぐ分かったし、一緒にいた白い頭のほうが例のティジって子だろ。あの二人仲良さそうに歩いてた」
あっけらかんと言うその事実に開いた口が塞がらない。
「おまえ、放っておいたのか……?」
「邪魔しちゃ悪いと思ったんだよ。それにルイはともかくティジにはどう接したらいいか分からん」
下手なことできないだろ、と言うその気持ちも分かるが。そうか、こいつティジと直接話したことないんだった、と頭を抱える。
「ティジは極度の方向音痴かつ目ぇ離したら何やらかすか分からない好奇心の権化なんだぞ……?それを、黙って、見過ごした?」
「え、そんなに?」
エディに詰め寄ると「いやでも城の中だし……」と口ごもっているがそんなの関係ない。
「すぐ探しに行く。お前もついて来い」
エディの返事を聞く前に襟首を掴んで強制的に連行する。まずいことになってないといいんだが……。
実は久しぶりに(比較的)落ち着いて寝られたクルベスさん。まぁ、病院と比べるとお城のほうが警備があって安全だからね。