17.陽だまりと雨-1

 一ヶ月ほど前、ティジがルイの目の前で倒れた日のこと。
 ルイたちが出ていってしまった後の医務室で僕と二人きりになったクーさんは胃薬を飲むとこちらに向き直った。

「さーて、ティジ?少ーしだけお話しよっか」
 わぁ、すごいなぁ。笑顔でも人を畏縮させることってできるんだ。なんて口に出そうものなら火に油を注ぐことになる。うん、余計なことは言わないでおこう。
「……多分だけど、ルイたちそんなに長話はしないと思うなー」
 僅かな希望を込めてクーさんを仰ぎ見るも意に介さず、自身の携帯電話を取り出した。
「そこは安心しろ。こっちの用事が終わったら俺から連絡入れるって伝えたから」
 その証拠に、と携帯電話のメールを見せてくれる。さすがクーさん、用意周到だ。それなら途中で戻ってきてしまう心配もないし『クーさんから連絡する』ってことはこれから始まるお説教がいつまで続くかはクーさん次第ということだ。これは相当怒ってる。間違いない。
「……ごめんなさい」
「俺はまだ何も言ってないぞ?」
 うかつな発言をしてしまった。でも先に謝っておいたほうがその燃えたぎる業火も少しは……あ、ダメだ。

「自分の体質、分かってるよな?」
「……はい」
「人の話聞くときは、ちゃんと相手の目ぇ見ような」
 怖い。とても怖い。クーさんは木の椅子の上で脚を組み、その上で頬杖をついている。目線は僕に合わせてくれているがそのせいで烈火の如く怒っているのが見えてしまう。笑顔だけど。

「じゃあ順番に言っていこうか。これは自覚ないから難しいだろうけど、お前は、すごく、迷子になりやすいんだ。俺にも原因が分からないほどに、どうしようもなく、な」
 俺の言ってること分かるか?と言うように首を傾げる。……ルイ、何かの間違いでこっちに戻ってきてくれないかな。
「……ルイもここの生活もちょっと慣れてきたみたいだし、そろそろお城の中を案内してもいいかなー……って」
 直視できなくて目を逸らしてしまうと一言、「目」と言われたので視線を戻した。
「俺抜きで?仲間外れは寂しいなぁ」
「クーさんに事前に言ってたらよかったかな……?」
 まぁそういう意味じゃないだろうなーってことぐらい分かってる。

「あと数日待ったら週末になるな。そしたら俺も時間は空いてるから一緒にまわれたんだけど」
 なんでそれまで待たずに勝手に行動したんだ、と暗に……いやあからさまに示している。
「……ルイ、今日なんか寂しそうで……確かクーさんも忙しそうだったから一人で過ごすのかなって思って……それなら一緒にお城の中歩いたほうが楽しいと思うし」
「……それは俺も悪いと思ってる」
 ルイを一人にしたことにクーさんも負い目を感じているのだろう。目を伏せて苦い顔でため息をついた後、気を取り直すように再び僕を見据える。

「ティジの気遣いは良いことだ。だけど!もし何かあったらどうするつもりだった?いや、まぁ倒れたけど……もし詰所のほうに迷いこんだらどうなるか分かってたか?」
「たぶん、ルイが大変なことになっちゃう……」
 指摘されずとも普段のルイを見ていたらすぐに分かる。ルイが大人に対して尋常じゃない恐怖心を抱いているということぐらい。
「……今回は運よくそんなことにはならなかった。むしろ、それよりひどいことになった」
「……っ」
 クーさんの発言に言葉を詰まらせる。クーさんがここまで怒っているのはこれが最たる理由だろう。

「じゃあこれが本題。……なんで、あんな無理した」
「……ルイに……少しでも笑顔になってほしかったから」
「ルイ、笑ってたか?」
 その問いに首を横に振る。そりゃあ、魔術を使った時は表情が晴れたよ。でも、その後は……。
「……ごめんなさい」
 それは先ほどの『少しでもクーさんの怒りが静まったら』という甘い考えから発した物とは違う、ルイへの申し訳なさや後悔から出た謝罪の言葉だった。

「お前なりにルイのことを考えて動いてくれたのは分かってる。でも、結果的に泣かせたら意味ねぇだろ」
 クーさんの言葉は厳しかったがそれは紛れもない事実だった。クーさんが駆けつけるまでなんとか保っていた意識の中聞こえた、ルイの悲痛な声が今も耳に残っている。
「僕ができること、何にもないから……僕にはこれしかなかったから……だから……っ」
 クーさんみたいに一緒にいるだけで安心させられるわけでもない。でも下手に話をしようとしたら何か家族のことや事件のことを思い出させてしまうかもしれない。それなら魔術だったら不用意に傷つける可能性は少ないかもって考えて……でも結果的にルイを泣かせてしまった。自分のミスであんな結果を招いた。

「……ティジにはまだ話してなかったか。前に今回と似た状況、魔術の使いすぎでレイジ……ルイのお兄さんが倒れたことがあるんだ」
「……え?」
 聞き返すとクーさんは当時のことを思い出したのか少しつらそうな表情をしていた。
「ルイのお兄さんはその直前、家族以外の人間の前で魔術を使うところを見せたんだ。そいつから拒絶されなかったことで気が抜けたんだろうな……いつもより魔術を使いすぎてルイの見ている前で倒れた。その時もルイはひどく泣いてたよ」
 その発言で、自分が良かれと思ってやった行動がルイの心の傷を抉ったのだと分かった。

「そん、な……僕……ルイが、元気になればって……」
 そんなつもりじゃなかった。少しでも笑顔になってくれたら。そう思って……でもそれはただの自己満足でしかない、自分勝手な押し付けで。
「お前は知らなかった。だからそれについては責任を感じる必要はない」
 でもな、と慰めるように僕の頭を撫でながら告げる。

「自己管理ができていれば、自分の体のことも気にかけていれば今回のことは防げた。……まだ8歳の子どもにこんなこと言わなきゃいけないのもどうかと思うけど、人のことだけじゃなく自分のことも気遣え。下手したら命に関わることなんだから。……俺より先に死ぬなんて絶対に許さないからな」
 そんなのはもう御免だ、と口元を歪ませた。

 

「……そういえばクーさん、一つ聞いていいかな」
「ん、どうした?」
 ティジが落ち着いたのを見計らい『そろそろエディのほうに連絡入れるか』と携帯電話を取り出すとティジに遠慮がちに問われる。
 そういうふうに質問の前にわざわざ断りを入れるとこだぞ、とは言わないでおく。もうちょっと自由に振る舞ってもいいのに。道案内以外で。
「あの人、だれ?」
「……どの人?」
 質問の範囲が広すぎやしないか。
「ルイと一緒にクーさんのお部屋に行った人」
 あぁ、エディのことか。そうだった、ちゃんと顔合わすのは初めてだったな。

「そういえばちゃんと紹介してなかったか。俺とジャルアが学生の頃からの腐れ縁……いや、友達のエディ・ジャベロンだよ。結構生意気……気さくなやつだから遠慮なく話しかけていいぞ」
「優しそうな人だったね」
 そうか?と思うも口にはしなかった。ティジから見ても好印象にうつったのだと容易に窺える。そもそもティジ自身、他人を毛嫌いすることなんてないのだが。
 まぁ、あいつは子どもには優しく接するよう心掛けているから、そういうところを感じ取ったんだろう。『相変わらず人のことをよく見てるなぁ』と感心する。

「でもなんで僕の名前が『ティジ』じゃないって知ってたの?僕、まだ自己紹介してなかったのに」
 きょとんとした表情で聞かれ、重大なミスをおかしたことに気づかされる。
 エディはティジとはまだ会ったことはない。そしてあいつは王室の関係者あるいはそこに従事する者でもない。
 それはつまり『ティルジア』という本名どころか『ティジ』がその略称だと知るはずがないはずということ。

 ティジがここまではっきり聞くということは、エディがどこかでティジの名前について触れていることは間違いない。自身の動揺を気取られぬよう気を張りながら『どこだ?あいつはいつの間にそんなことを言ってたんだ?』と必死に思考を巡らせているとティジは「うーん」とうなりながら続ける。
「僕あの人に会ったことないのに……僕のこと王子様って言ってて……どうしてすぐ分かったんだろう」
 そこまで言われてようやく思い出した。エディがティジに触れるのを躊躇ったときだ。

『王子様とか本名のほうで呼んでほしかったらいつでも言っていいから。俺そういうの結構ノリいいぞ?』

 あいっつ……余計なこと口走りやがって……っ!いや、ティジに触れるのを躊躇ったことを誤魔化すために咄嗟に出た言葉だろうがむしろ逆効果だ!!

 現国王ジャルアの子ども、もとい王位継承者にあたるティジのことは年齢などは世間に知られている。時おり文面のみの報道などを通じて日頃どのように過ごしているか、なども。
 しかし、その容姿については世間に公表されていない。
 この国に古くからある『王位継承者は安全面の観点から、成人するまで世間に素性を明かさないこと』という謎の決まりごとを遵守しているからだ。いつ聞いても不可解かつしち面倒くさい決まりごとだが、おそらく王位継承者の身を案じて制定されたのだろう。

 まぁとにかく何が言いたいかというと、王室の関係者じゃないエディがティジに対してあんな自然に、彼が王位継承者だと初めから知っていたように『王子様』や『本名』って言葉をかけるのはおかしいということだ。

「あー……俺、あいつにはルイの家族の話とかよくしてたからその時にでも話しちゃったのかもしれない。うっかりしてた、俺も人のこととやかく言えないな」
 これからは気をつけるから、と言うとなんとか納得してくれたのかそれ以上は追及することはなかった。

 本当に人をよく見ている子だ。……エディはあとでシメておくか。

 


クルベスの胃が心配になりますね。ついでに言うとエディは今後は同じことをやらかさないよう、みっっちりお叱りを受けました。