18.淡彩色の記録-4

「学校の件な、すまないがお前は学校に行ってくれ」
 クルベスは彼の私室にルイを押し込むと開口一番に言い放った。ルイはここに辿り着くまでの間『どのように話せば自分の意見を分かってもらえるか』と悶々と考えていたのだが、自分の意見を話す前に言い切られてしまい、一瞬言葉を失ってしまう。

「学校までの送迎は俺がする。エスタにはティジのそばについていてもらいたいからな」
「いや……いやいや、ちょっと待って。そんな勝手に決められても。まるで最初から決まってたみたいな――」
「ティジの話を聞いた時には決めてた。今のあの子が『そうしてほしい』って望んでいるなら、それはなるべく叶えてあげたい」
 ルイの反論に被せるように言葉を返す。この様子だと説得で彼の意見を覆すことは至難の業……いや、不可能だろう。

 

「俺だってティジの事を考えてるけど……それじゃあさっき言えば良かっただろ。わざわざ場所変えなくってもさ」
 クルベスからティジの過去を聞かされた日以降、ろくに言葉も交わせなかったというのに。それを知らないわけでもあるまいに、一方的に決定事項を叩きつけるというぞんざいな扱いをされて流石のルイも不満を露わにする。
 その一方でクルベスの決定に大人しく頷くこともせず、幼稚な態度をしてしまう自分に嫌気がさした。

「ティジには決定した事だけを伝えて、追加の意見は言わせないようにする必要があったんだ。それこそ『送り迎えはエスタさんが担当して、その間自分はクルベスさんと一緒に居る』って言われちゃたまったもんじゃない。あとあれ以上あの場にとどまっていたら俺のことを色々聞いてきそうだったからな」
 そこまで言ったクルベスは深く息を吐いて言葉を続ける。

 

「ティジやエスタには後で俺から言っておく。というわけでこの話は終わり。もう自分の部屋に戻っていいぞ」
 有無を言わせない強引な物言い。こちらとしては異論しかないが到底聞き入れてもらえそうな雰囲気でもない。
 無理矢理自分を納得させて部屋を出ていこうとしたルイの背中に「あ、そうだ」とクルベスの声が飛ぶ。

「戻りがけにエスタに伝えておいてくれないか。『いい頃合いになったら連絡してくれ』って」
「それぐらいなら別に良いけど……」
『クルベスが自分に頼み事をするなんて珍しいな。しかもこの気まずい空気で』という訝しげな目を感じたのかクルベスは「悪い、俺は今ちょっと難しくてな」と視線を落とす。
 かく言うクルベスはソファに座り、ティジから受け取ったノートの内容に目を通している。
 こう言っては何だが『手が離せない』という状況にはとても見えない。心なしか、何かが過ぎ去るのを待って時間を潰しているように思えた。

 

「もし違ってたらごめん。クルベス、その『いい頃合いになったら』って『ティジが眠ったら』ってことか?」
 ルイの指摘にノートに書かれた文字を追っていた瞳が止まる。
 確証はなかった。だが思い返せば先ほどの会話でもクルベスはやたらと『エスタがティジのそばにつくこと』を重要視していた。加えて『ティジがクルベスについて尋ねる』という状況が発生する事も何故か避けようとしていたのだ。

「……ティジのこと、避けてる?」
 ルイの言葉にクルベスは目を伏せる。暫しの沈黙の後、手元のノートを閉じた。

「……気付かれちゃったか。まぁ気付くよな。あぁ、そうだよ。お前の言う通り」
 独り言のようにそう呟いたクルベスは、諦めたような、限界まで張り詰めていた糸が切れてしまったかのように悄然とした笑みを浮かべた。

 

「何でクルベスはティジを避けてるんだ?」
 ルイの問いかけにクルベスは「それは……」と言い掛けるもそこから続く言葉は無く、そのまま口を閉ざしてしまう。
 これと似た様子をどこかで見たことがある。そう考えたルイは過去の出来事を思い返す。順々に辿っていき、埃の積もった遠い過去の記憶の中に既視感の正体をようやく見つける事が出来た。

「もしかして……雷の日に一緒にいられないことと関係があるのか?前に言ってたよな。『難しい』って」
 雷に怯えるティジを初めて目にした時のこと。ティジを案じて様子を見に来たクルベスに「伯父さんはティジと一緒にいてあげられないのか」と聞いた。その時にも彼は「俺はちょっと難しいんだ」と曖昧な返事をしていたことを思い出す。
 過去の発言を持ち出されたクルベスは「そんなことも覚えてたか」と感心したように呟く。

 

「ティジが雷を怖がる理由については前に話したよな」
 ルイがこくりと頷くのを確認するとクルベスはとつとつと語り始めた。

「ティジは雷で気が動転している時やその直後に俺の姿を見ると尋常じゃない恐怖を感じるんだ。どうやらあの子を襲った奴……そいつの姿と俺を重ねてしまうらしい。俺とそいつを混同してしまう……というか。本人は自分がなぜ俺を怖がってしまうのか分からないみたいだけどな」
 記憶がないのだから当然だ。そう言ったクルベスは手を組み、その指先をぼうっと見つめる。

「考えられるのは俺とあいつは外見にほんの少しだけ似た特徴があるってこと。黒い髪に黒い瞳。だが顔も姿も全く違う。あぁ、あとあいつとは同年代だ。……こうして並べてみたらあの子が俺をあいつと重ねて見ちまうのも無理ないよな」
 そう話したクルベスは自嘲するように力無く笑った。彼に何か言えたら良かったのに、当時のことを何も知らないルイは黙り込むことしか出来ない。

 

「で、そんな状態が長引けば記憶が戻る可能性は十二分に考えられる。それだけは絶対阻止しないといけない。だから俺はあの子から意図的に離れてたってわけだ。雷に怯えて苦しむあの子を見て見ぬふりして、さ」
 ソファに全身を預けて天井を仰ぐ。目元は手で隠されているのでその下がどのような表情をしているのかは見えない。

「今もあの子を避けてるのは……俺との接触で万が一あいつのことを思い出したらいけないと思ったからだ。……いや、もしかしたらただ逃げてるだけかも」
 クルベスの声は段々と弱まっていき、そのかすれた声はやがて宙へと溶け消えた。

 

「……ごめん」
「なんでお前が謝るんだ」
「いや、だって……」
 クルベスの言葉の端々から彼自身も葛藤して苦しんでいることが感じ取れた。それなのに自分はそこに踏み込んで無遠慮に踏み荒らしたようなものだ。居た堪れず謝罪を口にしたがこれも自己満足なのかもしれない。

「むしろ謝らなきゃいけないのは俺のほうだ。こっちの都合で雷の日はお前に任せっきりにしてた。本来なら子どもに子どもの世話をさせるべきじゃないのに」
 クルベスが気に病む必要はない。そんな事情があったのだから。喉まで出掛かっているものの声にすることが出来ない。

 

 重い沈黙が部屋を満たす。痛いほどの静寂に押しつぶされてしまいそうで、それを誤魔化すようにルイは唾を飲み込む。その一方でクルベスは時計に目を遣った。

「あんまり夜更かしするのも良くないからもう寝たほうが良い。エスタへの伝言、お願いな」
「ん、分かった。じゃあ、えっと……おやすみ」
 またしてもクルベスに気を遣わせてしまった。ルイは内心そのことを悔いながらも平静を装ってその場を後にした。

 


 クルベスさんだと難しい、の件については第二章(19)『陽だまりと雨-3』にて。

 あの時、出先で予報外れの雷雨だと聞きつけたクルベスさんは自分は本来ティジの前に姿を見せてはいけないと分かっていたけれど「でもあの子を一人にするわけにもいかないだろ」と言ってティジの元へ駆けつけたという経緯。
 いざティジの部屋に飛び込んでみたら一体どういうわけかルイが居るしティジもとりあえず眠ってる状態だったので事なきを得ました。

 クルベスさんは当時の事を「なりふり構っていられない状況だったとはいえ軽率な行動をしたな」と反省しております。