「――……っ」
微睡んだ意識を覚醒させる。目を開けて最初に飛び込んで来た景色は白。どこまでも、どこまでも真っ白な世界。ここはどこだろう。
半身を起こし、周囲を見渡しながら過去の記憶をさかのぼる。最後に覚えているのは……エスタさんに「おやすみなさい」と言ったこと。じゃあもしかしてここは夢の中?
きっとそうだ。いくらなんでもこんな場所、非現実的過ぎる。
夢ならそのうち目を覚ますだろう。そう思ったら少し落ち着いてきた。このままじっとして目が覚めるのを待っても良いけど……いや、せっかくだから歩きまわってみるか。自分の記憶に関する物が見つかるかもしれないし。
立ち上がり、当て所なくさまよい歩く。恐ろしいほど何も無く、自分の足音しか聞こえない。
途方もなく広い空間を歩き続けていると次第に『自分はいま本当に歩いているのだろうか。もしかして一歩も進めていないのではないか』という不安に襲われる。それに呑み込まれないよう『これは夢だ。これは夢だ』と心の中で唱えながら足を動かし続けた。
今日見聞きした事や目を覚ましたらやりたい事を頭の中で振り返りながら歩みを進めていくが、段々と内容が尽きてくる。それなのに周りの景色は全く変化が見られない。その事実に気が滅入り、思わずため息をこぼしてしまった。
この辺りで一旦休憩しよう。ずいぶんと長い時間歩いた気がする。夢の中だから体は全く疲れてないけれど、精神のほうは疲れを感じているらしい。それに一度落ち着いて情報を整理したら何か新しい事を思いつくかもしれないし。
そう自分に言い聞かせて立ち止まってみると足元に何か落ちていることに気付いた。
おかしいな。さっきまで何も無かったと思うんだけど……?まぁ何はともあれ、ここまで歩き続けてきたことは無駄ではなかったのだ。それを素直に喜ぼうではないか。
自分で自分を励ましながら地面に膝をつき、落ちている物へと手を伸ばす。
――だがそれは手が触れる寸前に消えてしまった。
まるでそこには初めから何もなかったかのように。跡形もなく消えてしまった。
わけが分からない。夢だから何が起こっても不思議ではないが、何だか肩透かしを食らった気分だ。
一瞬にして消えてしまったソレは萎れた花のように見えた。元がどのような色をしていたのか判別できないほど色褪せていて、花の種類も分からなかったが。
ただ一つ言える事があるとしたら「状況は振り出しに戻ってしまった」ということだけ。
行き場をなくした手を花が落ちていた場所に置く。『もう一度出てきてくれないかな』と未練がましく地面を撫でていると頭上から影が落ちてきた。
自分の前に誰か立っている。
足音なんて聞こえなかったのにその『誰か』は自分のすぐ目の前まで迫っていた。だけどその『誰か』は何をするでもなく無言で自分の前に立っているだけ。
地面に顔を下ろしたままだった俺は、目の前に立っている人物が誰なのか確かめようと――顔を上げた。
◆ ◆ ◆
まだあまり見慣れない天井。何度かまばたきを繰り返し、ひとつ息を吐いてようやく今の状況を理解した。
どうやら自分は中途半端なタイミングで目を覚ましてしまったらしい。
目の前に立っていた人物が誰なのか見た気もするし見ていない気もする。だが思い出そうとすればするほど記憶が薄れていって、余計に分からなくなる。
でもその『誰か』がこう言ったことは覚えていた。
――ティルジア。
ティルジア……俺の名前だ。エスタさんたちはこれを縮めて『ティジ』というあだ名で呼んでくれているけど。
声の主はおそらく男性。声に落ち着きがあったから大人だろうか。大人の男性……俺の知っている範囲だとエスタさん、クルベスさん、それと父さんとエディさんが該当するか。でもどれも違う気がする。
あれはいったい誰だったんだろう。
「……変な夢」
ぽつりと呟き、額に手を当てる。その手は汗でじっとりと濡れていた。
一日経ってもエスタさんたちの自己紹介をノートにまとめられたり、夢の中でその日見聞きした膨大な量の情報を振り返ったりできるなど記憶力は良い。
第三章(1)『喧騒-1』でも「王位を継いだ後は外交や公務で関わる人の名前を覚える必要があるから、その予行練習代わり」という理由で同級生と教師の顔と名前は一通り覚えてしまうぐらいには物覚えが良いのです。