ルイが学校に復帰する事が決定した。昨晩の話し合いで今後の流れも決まったらしく、話はトントン拍子で進んでいき、翌日にはルイはまた学校に舞い戻ることとなった。
「さて、二人を見送ったことだし。ティジ君、これからどうする?何がしたい?」
登校するルイとその送迎に同行したクルベスさんを送り出したエスタさんは改めてこちらに向き直る。とは言ってもクルベスさんも丸一日不在というわけではなく、ルイを学校まで送り届けたらすぐ戻って来るのだが。
「お城の中を見ていきたいな。その……外ってどんな様子なのか知りたくて」
目が覚めてからはずっと部屋にこもっている状態だった。エスタさんたちから「ここがどういう場所か」という事も聞かされてはいたがやはり自分の目で外の世界を見てみたいのだ。
「でも難しそうなら……」と言い淀む俺にエスタさんは「ふっふっふ」と得意気に笑う。
「そんなこともあろうかと昨日のうちにクルベスさんに確認済みなのさ。……いや、正確に言うと『俺のほうからクルベスに確認した』っていうのじゃなくて、クルベスさんのほうからこの話をしてくれてそのまま許可をくれたんだけど」
クルベスさんは俺がこの話をすると見越していたのか。もしかするとクルベスさんは非常に察しが良い人なのかもしれない。
「まぁ何はともあれ、お城の中を歩きまわっても大丈夫だよって事だね!じゃあ早速お城の中を探検しに行こっか!」
エスタさんは俺の手を取ると「ティジ君探検隊、いざしゅっぱーつ!」と元気よく声をあげた。
地図を片手に城の中を探検していく。地図が発行されている事に驚く俺にエスタさんは「俺も最初は驚いたよ」と笑っていた。
まぁでも地図が発行される事も納得出来るほどこの城は広い。とりあえず今日一日だけで全て回ることは不可能だろう。
城を案内する傍らでエスタさんは「一人で歩き回ったりしないでね。絶対迷子になっちゃうから。地図があってもティジ君なら絶対迷子になるから」と再三注意してきた。
エスタさんの話によると記憶を失う前の俺は何故か非常に迷子になりやすかったらしい。学園祭で巨大迷路に入った時にもその特性は遺憾なく発揮されて危うく遭難しかけたとか。
最初は冗談だと思っていたけれど「本当に……ぜっったい一人で歩き回らないでね……!」とこれ以上になく真剣な表情で言ってきたのでたぶん本当の事なんだろう。
城の中を歩き回っているうちにいつの間にか時刻は昼を指し「せっかくだからここでお昼にしようか」と談話室で休憩することにした。
昼食はエスタさんが「前もって料理長から貰ってきていたんだー」と言って持ってきていたパンやサンドイッチを頂く。エスタさんはその中でもベーグルサンドが特にお気に入りらしく、一番に手を伸ばして俺にも勧めてきた。気分はさながらピクニックだ。
「そういえばお城にいる人は『俺が記憶を失くしてる』って事は知ってるの?」
昼食を食べ終えて一息ついた俺は兼ねてより疑問に思ったことを口にした。
城の中を散策していたが誰からも記憶喪失の事について触れられなかった。記憶を失う前の俺は学校に通っていたはずなのに、誰一人として「今日は学校は休みなの?」と聞いてこなかったのだ。
エスタさんは俺の質問に「あぁ、それね」と応えると小声で教えてくれた。
「実はほとんどの人は知らないんだ。変な形で話が広まったら大変だからね。表向きは『ティジ君はちょっと体調を崩しちゃったから療養してる』っていう説明で通してる。すれ違う時に挨拶するくらいなら問題ないと思うけどお話しすぎると気付かれちゃうかもしれないから、ティジ君も他の人とはあまりお話しないようにしてね」
エスタさんはシーっと口元に指を当てて注意したので俺は頷きで返す。
でもこの対処法はその場しのぎにしかならないのでは?もしもこのまま記憶が戻らなかったらどうするのだろう……その問題についてはまた追々考えるって感じなのかな。
「クルベスさんたち以外で知ってるのはー……上官かな。俺の上司。流石に上官には話を通しておかないと、俺がティジ君と一緒に行動してる事を不思議に思われちゃう」
「エスタさんとその上官さんは仲良し?」
ノートに上官さんの情報を書き加えながら問いかけるとエスタさんは「え、俺?」と目を丸くした。
「あー……仲良し?あれって仲良しって言っていいのかな……まぁ『問題児』って呼ばれてるけど日頃からよく声は掛けられるし、直々に熱いご指導をいただくこともあるし……反省文を出さなきゃいけない時は『書き終わるまで寝かさねぇからな』って凄まじい殺気を飛ばしながら待ってくれるし……ちょっと待って。これって仲良しに分類される……?」
「仲良しだろ。どう見ても」
突然背後から声をかけられたエスタさんは「ひぇっ……!」と飛び上がった。会話に夢中になっていて気付かなかったがエスタさんの後ろにこれまた初めましての人が立っていた。
「上官……いつからそこにいらっしゃったんです……?」
エスタさんはまるでクマに遭遇したかのように声を震わせる。どうやらこの人が噂の上官さんらしい。
「お前が『俺はこのベーグルサンドが特にお気に入りなんだー』ってのんきに抜かしてたあたりから」
「最初からじゃないですか!え、それまでずっと近くにいたんですか!?マジで全然気配感じなかったんですけど……!」
「鍛え方が足りん。あと顔にパンかす付いてるぞ、腑抜け」
上官さんにズバッと切り捨てられたエスタさんは「うぇえ、手厳しいぃ……」と嘆きながらパンのかけらを拭いた。
「でも何も言い返せない……もしここにいたのが上官じゃなくて別の人だったら本当にマズイ事になるところだったもん……」
「ようやく気付いたな。まぁ自分で気付けなかったらそれこそ『熱いご指導』とやらをしてやるところだったが」
上官さんは先ほどのエスタさんの発言を拾うかたちで淡々と告げる。表情が変わらないので冗談で言っているのか、はたまた本気で言っているのか判別できない。
あ、そうか。いちおう小声で話していたけれど、さっき『俺の記憶が無い』って話をしてしまっていた。上官さんはその事を知っているから問題無いけれど、それ以外の人が聞いてしまっていたら大変な事になるところだったんだ。
わざわざ一から十まで教えるのではなく気付く機会を与えているあたり、エスタさんのことは目に掛けているのかもしれない。
「まぁこんな腑抜けだが仕事はちゃんとやる奴だ。ご子息も何か困り事があったらとりあえずこいつに言っておくといい。バカ正直……裏表の無い素直な奴だから信用して問題無い。子犬程度の力にはなる」
「えっ……もしかして褒められてる?俺、上官から褒められてます?」
はわわ……と口元を手で覆うエスタさんに上官さんは返事をする事なく、さっさと立ち去ってしまった。
「もう、上官ってば素直じゃないんだからー。子犬程度ってどれぐらいの力なのかよく分からないけど……はっ!もしかして照れ隠し……!?褒めることに慣れてないからそういうひねくれた言い方になっちゃうタイプ……!?」
足をパタパタと揺らしてはしゃぐエスタさん。とても嬉しそうな様子に俺も「良かったね」と微笑んでいると突然どこからかブー、ブーと低い音が聞こえてきた。
それにエスタさんはハッと我に返ってポケットから携帯電話を取り出す。
「……上官?何か言い忘れてたことでもあったのかな」
着信相手を確認したエスタさんは首を傾げながら電話に出る。すると電話の向こうから一言。
「あんまり調子乗るなよ、問題児」
まるでつららのように鋭く凍てついた声。それだけ告げると通話は一方的に切られた。
「え、まだ見てるの!?上官どっかから見てます!?」
忙しなく周囲を見回すも上官さんの姿は見当たらない。いや、もしかしたら先ほどのように気配を消している可能性もあるか。
でも結局それ以降電話が鳴ることも無く。もうここに上官さんはいない、と思うことにしたエスタさんは「なんかドッと疲れた……」とソファに座り込んだ。
「……ちなみにティジ君と上官はそんなにお話したこと無いと思う」
「あ、そうなんだ」
エスタさんの補足をノートに書き足す。記憶を失う前の俺は上官さんとどれぐらい関わりがあったのか気になっていたのでその情報は非常に助かる。
「なんか色々あったけど……とりあえずお腹も落ち着いたことだし探検再開しますかぁ!まだ半分も回れていないからね!次に行きたい場所はある?」
「それなら……もし寄れそうだったら料理長さんのところに行ってみたいな。お昼ごはん美味しかったってお礼がしたい」
俺の提案にエスタさんは「いいね。それじゃあいざ行かん!厨房へ!」と張り切った様子で立ち上がる。エスタさんは料理長とも日頃仲良くしているらしく、その道中も「あの人がくれるお菓子がこれまた絶品で」などの話を聞かせてくれた。
第二章(24)『衛兵はかく語りき-5』以来のお城ご案内ツアーです。あの時は案内される側だったエスタさんが今度は案内する側に。