21.淡彩色の記録-7

 今朝方、ルイはティジの希望通り、学校へと登校した。なおその際エスタには「弟くん、ティジ君のことは俺がしっかり見ておくから安心して……!クルベスさん、弟くんを頼みます!なにとぞ、どうか……弟くんの事、よろしくお願いします……!」とまるで今生の別れのように見送られた。ただ学校に行くだけなのにやはり大袈裟である。

 

 そんなルイだが昼時を迎え、昼食を手短に終わらせると学内にある図書館に足を運んでいた。司書に依頼して過去の新聞を出してもらい、その内容に目を走らせる。

 目的は十一年前に起きた事件に関する記事だ。犯人は逮捕されたと聞いていたが、その後どのような判決を受け、今はどこで過ごしているかなどについては何も知らなかったのだ。

 事件が起きた時期は六月末。ティジが見つかったのはその一ヶ月後……七月末から八月の最初あたりか。
 その時期に絞り込んで探してみると八月の初めの新聞に小さな記事を見つけた。その内容は『未成年者を誘拐した罪などで男が逮捕された』というものだった。
 当然ながらその未成年者の詳細は書かれていなかったため、これだけではティジの事件だと断定することが出来ない。だが記事中に記載されている男の名が『リエ・サトワ』だった。クルベスから聞かされた物と一致していたので、これがティジの事件に関する報道だと考えて問題ないだろう。

 だがそれ以降の事件の動向を語る記事は見つからない。探し方が悪いのか、知っている情報が少ないから見つけられないのか……いずれにしても自分の知りたい情報は知ることが出来なかった。

 考えれてみれば大の大人が幼な子を誘拐・監禁して性的暴行を加えていた、なんて類い稀に見る衝撃的な事件だから大々的に取り上げられていそうな物なのに、こんな小さな報道で終わっている事が不可解だ。
 もしかすると情報統制、報道規制などを徹底していたのかもしれない。ティジがこの件を目にしてしまうことがないように。

 

 結局リエ・サトワのその後の動向に関する情報は見つけられず、内心落胆しながら司書に新聞を返却する。時間を確認すると昼休憩が終わるまではまだ余裕があった。このまま何の成果も得られずに終わるのは釈然としなかったため、今度は事件に巻き込まれた子どものその後や後遺症などについて調べ始めた。

 いくつか関連書籍を選び取り、机の上に広げる。だがそのような書籍のほとんどが「『自分が被害に遭った』という記憶がある子ども」を前提として書かれていたため参考にもならない。

 何しろティジにはその記憶が無いのだから。

 ティジの母が亡くなった時は父ジャルアによって彼の記憶を一部書き換えることとなった。
 あの当時は他の策が無い状態だったから『仕方がない。どうしようもなかった』と思うことができた。

 だが今回は違う。
 ティジは自ら記憶を消したのだ。そのような選択をさせてしまった。

 ――あんな酷い目にあったのに、ティジは何事もなかったかのように笑ってんだよ。そんな姿、とても見ていられなかった。

 事件について話していた時にクルベスはそう洩らしていた。

 十一年前のクルベスたちもこのような気持ちだったのだろうか。

 

 いつまで経っても目を覚まさない彼に俺は、目を覚ましてほしい、と願った。また話がしたい、と願った。また彼の笑顔が見たくて、そう願った。

 彼は目を覚ました。話もした。笑顔も見せた。

 ――記憶を全て失って。

 こんな形で叶ってほしくなかった。

 今更こんなことを調べて何の意味があるんだ。何も出来ない自分の不甲斐なさから目を背けたいだけだろ。

 視界がにじみ、強く握りしめた手が小刻みに震える。ふと目の前に誰かが立つ気配を感じた。

 

「なーにしてんの」
 間延びした声。それが誰なのかなんて顔を見なくとも分かる。

「……お前には関係ない」
「あらら、フラれちゃった。何か熱心に調べ物してるけど何かの課題?もし良かったら手伝ってあげようか」
「お前には、関係ない。とっとと失せろ」
 サッと伸ばされた手を避け、目の前の男を睨みつける。だがその男――シン・パドラは忌々しいほどに普段と全く変わらない笑顔を見せた。

「そうは言ってもさ。騎士君、さっきからずーっと泣きそうな顔で調べ物してるんだもん。よっぽど課題が切羽詰まった状況なのかなーって」
 病み上がりなのに熱心な事で、と笑う。

「俺さ、心配してたんだよ?ねぇ、体はもう大丈夫なの?ティジ君の風邪がうつっちゃったって感じ?まぁ二人ともずーっと一緒にいるってイメージあるからそういうこともあるよね」
 シンの言葉が胸に刺さる。
 エスタからも俺とティジは一緒にいる印象があると度々言われていた。そうだ、周囲の者がそう思えるほど俺はティジと行動を共にしていた。

 あんなにそばにいたのに。俺は何も知らなかったんだ。

 

「騎士君どうしたのー?おーい」
 眼前で手を振られてハッと我に返る。それにシンは「騎士君ってばボーッとしちゃってー」と茶化した。

「そう言えば今朝もかなり声かけたのにぜーんぜん気付いてくれなかったよね。まだ調子悪いんじゃない?そんな重苦しい本とにらめっこするのは一旦やめにして、ちょっと休憩しようよ。俺と楽しーいお話しよ?」
 その提案を跳ね除けて無視し続けたとしても、シンならばこちらが相手をするまでまとわりつくだろう。ならばここはシンの提案を受け入れたほうが面倒は少ない。

 そう自分に言い聞かせて本を閉じるとシンは机を挟んだ向かい側に座った。その際に「お、騎士君が素直に聞くなんて珍しい」とからかわれるも、そんな小言は聞こえなかったふりをして「で?何の話をしたいんだ」と先を促す。

「この間の続き。お互いのことをもっと知ろうよ」
「この間って……」
「苦手な物について話したよね。騎士君は泣いちゃうほど怖い物が苦手って分かったやつ」
 小馬鹿にするような言動にルイが睨みを利かせるとシンは「ごめんごめん」と全く反省していない様子で謝る。

 

「それじゃあ今日はー……騎士君は神様って信じる派?それとも信じない派?」
「……お前、話題のセンスが独特って言われないか?」
「えぇー、そうかなぁ。そんな事ないと思うけど」
 こちらの指摘にシンはわざとらしく首を傾げる。つい先日の分も『好きそうな物が思いつかないから苦手な物を当ててみよう』と変な方向に舵を切っていただろうが。忘れたとは言わせないからな。

「とりあえず今の内容はお前が怪しい宗教に誘ってきてるようにしか見えないぞ」
 しかも宗教なんて非常に繊細な話題だから相手によっては揉め事に発展する可能性もあるし。「騎士君でも冗談言うんだね」と能天気にのたまっているあたり、そこまで考えていなさそうだが。

「でもこの話題って意外とその人の人となりとか価値観とか分かるんだよ?神様という存在を信じてるか、信じていないのか。そして何故そう思うに至ったのか。ねぇ、騎士君はどうなの?教えて教えて」
 いつになく積極的なシンの様子に、ルイは内心面倒臭く思いながらも口を開いた。

 

「まぁ……魔術とかそういう不可思議な物があるぐらいだから神様もどこかには居るんじゃないか……って思ってる」
 その返答にシンは「へぇ」と頬杖をつきながら目を細める。

「それじゃあ騎士君は自分が困った時に『神様たすけてー』って祈ったりするの?」
「……これ答える意味あるか?」
「答えたくないなら答えなくていいよ。俺の寛大な心で許してあげる」
 その言い方が鼻について「別に言っても減るものじゃないし」と若干ムキになりながら答えた。

「さすがにしょっちゅう神頼みするわけじゃない。自分の力ではどうしようもない時……そういう時はもう神に祈るしかないだろ」
 頭によぎるのは、ティジが目を覚まさない状態となっていた時のこと。あの時だってもう自分には何もする事が出来ず、祈ることしか出来なかった。
 ルイが頭の中によぎった光景を振り払う一方でシンは「ふーん」と含みのある笑みを見せる。そっちから聞いてきたくせにその態度は何だ。

「ほら、俺が言ったんだからお前も言え。そういう決まりだろ」
「何だかんだ言いつつやっぱり騎士君ってば俺のことが気になってしょうがないんだね。どうしよっかなー?教えてあげてもいいけどぉー」
「そんなノリはいいから言え。お前から言い出したんだろうが」
 照れちゃってー、というシンのからかいは無視して『さっさと言え。そして早くどっか行け』と心の中で呟く。

 

「俺はねー……『いない』と思ってる。『いるわけない』って。俺も小さい頃は騎士君みたいに『いる』って思ってたけどね」
「……真逆の意見だな」
「おや、それだけ?もっと根掘り葉掘り聞こうとかしないんだ」
「そんな下世話な趣味は無い。個人の考え方、信仰なんだから違うのも当たり前だろ」
 お前と違って、という言葉は口にしないでおいた。果たしてこの男は自分の無神経さを自覚できているのだろうか。

「そっか。やっぱり騎士君って優しいんだね」
 褒め言葉……として受け取っていいのか?シンが言うと日頃の行いが悪い分、どれも皮肉で言っているように思えてしまう。

「まぁアレだよ。騎士君が『幽霊なんていない!いるわけない!』って思うのと同じ。これなら俺の考えも分かりやすいかな」
「喧嘩なら買うぞ」
 ギンと射抜くような目つきを向けるとシンは「うわぁ、怖ーい」と声をあげる。もちろん本気で怖がってなどいないことは誰が見ても分かるだろう。

「じゃあ楽しいお喋りはここら辺にして。俺はそろそろ教室に戻ろうかな。騎士君も、調べ物は切りのいいところで終わりにして戻りなよー」
 シンはさっと立ち上がると「遅刻しちゃったら大変だからねー」と手をヒラヒラと振りながら立ち去った。
 その背を見送りながら『また戻ってきたりしないだろうな……』と警戒していたが杞憂だったらしい。今回はあっさり立ち去ってくれた。あの男にしては珍しい。

 シンの言葉に従うのは非常に不愉快だが、奴の言う通り自分もそろそろ教室に戻ったほうが良いか。復帰早々に遅刻をかましては悪目立ちしかねない。

 

 持ち出していた書籍をいそいそと棚に戻しながら先ほどのシンの言葉を思い返す。

 ――『いない』と思ってる。『いるわけない』って。

 その回答は聞き手の受け取り方によっては意味が変わってくる。額面通りに受け取れば『神は存在しない』と真っ向から否定していると考えられるだろう。

 だがその一方で別の可能性も浮上してきた。

 

 ――騎士君が『幽霊なんていない!いるわけない!』って思うのと同じ。

 先ほどの発言が不可解で、どうにも引っかかる。

 自分が『幽霊なんていない。いるわけない』と思う時は、幽霊の存在を信じてしまってそれに恐怖を感じている時だ。その恐怖心から気持ちを逸らそうと、存在を否定しようとして『いない。いるわけない』と心の中で繰り返していた。

 

 ――幽霊などいない。いるわけがない。

 自分が思うソレをシンにも当てはめてみる。

 ――神などいない。いるわけがない。

 まるで「そうでなければ」と自分に言い聞かせているように感じたのは自分の考えすぎだろうか。

 

 その時、思考の海に浸かっていた耳に予鈴が飛び込んできた。慌てて時計を確認するが、急いで戻ればまだ間に合うと分かりホッと息を吐く。これで遅刻してしまったらシンにこれ以上になくバカにされる。

「……本当になんなんだ、あいつ」
 シン・パドラという人物が掴めない。その思いをそのまま言葉にする。がらんどうとした図書館にその呟きは誰に拾われるでもなく虚空に響いた。

 


 今回ルイが図書館で調べ物する事はクルベスさんたちには言っていない。言ったら止められる可能性がある、と考えてクルベスさんたちには内緒で調べ物してます。
 勝手に調べてクルベスさんに怒られるかもしれないということと、ティジの件を詳しく知ろうともせず情報が与えられるのを待つだけという状態になることを天秤にかけた結果、後者のほうが嫌だと思った様子。