19.夕暮れ時-2

 互いに誤解していただけだと知り、ホッとしたのも束の間。ティジとルイは『そういえば後片付けの途中だった』と気づく。

「急いで戻らないと。多分なかなか戻らないって思われてる」
 人目もないのでルイは躊躇することなくティジの手を取り、慌ただしい足取りで教室まで引き返す二人。その道すがら両手に大量の荷物を抱えたブレナ教師と出会った。

「あ……ブレナ先生」
「二人ともこんなところにいたんだね」
 人の良い笑みでティジたちに声を掛けるブレナ教師。その口ぶりからして自分たちを探していたのだと悟ったルイは慌てて弁明をする。

「すみません。ちょっと話し込んでしまって……すぐ戻ります」
「いや、もう今日片付ける分はだいたい済んだから大丈夫。みんな協力的で助かったよ。きみたちもお疲れ様。今日することは全部終わったからもう帰って大丈夫だよ」
 ブレナ教師はこのことを伝えたくてティジたちを探していたらしく「入れ違いにならなくて良かった」と安堵の息をついた。確かにこのまま教室に戻ったら誰も居ない空っぽの教室で『もう帰ってもいいのだろうか』と右往左往してしまうところだった。
 何はともあれ『もう帰って良い』というのであればさっさと退散しよう。クルベスたちをあまり待たせるのも良くない。

 

「じゃあ俺たちも帰ろうか。クーさんたちも待ってるだろうし。……ルイ?」
「あ、あぁ。そうするか」
 ティジが呼び掛けるとルイは慌てて返事をする。何か思うことがあるのか、ルイの視線はブレナ教師の手元とティジの間を彷徨っていた。

「俺、片付けでちょっと疲れたから少し休んでから帰ろうかな」
 日頃、自分の体調に触れることのないティジ。そんな彼が珍しく『少し休みたい』と言い出したことにルイは血相を変える。

「大丈夫か?気分悪いならここまで迎えに来てもらったほうが……」
「いや、どこかで座りたいなーってだけ。ほら、色々歩き回ったし。えっと……どこか座れる場所で少し休もうかな」
 そう言ってさっさと行ってしまおうとするティジの手を掴んで止めるルイ。このまま行かせたら天性の方向音痴は確実に迷子になるし、何より彼の態度がどこか白々しい。

 

「それなら俺も一緒にいる。一人で勝手に行こうとするな」
「……ルイ、先生と何か話したことがあるんじゃない?」
 ブレナ教師に聞こえないよう小声で問われたルイはギクリと肩を揺らす。

 ティジの指摘通り、ルイはブレナ教師に用があった。厳密に言うと何か具体的な用事があるわけではなく、己がブレナ教師に対して漠然と距離を置いてしまっている現状を解消したい、と考えていた。

 話しかけられれば普通に受け答えはできる。だがしかし、なぜか彼の目を見て会話をすることができない。外部の大人と関わり慣れていないからだろうか。どうしても目を逸らしてしまう。

 しかし自分は先ほど、ティジとちゃんと言葉を交わすことでお互いの誤解を解くことができた。このことでルイは『ブレナ教師ともちゃんと話をしてみればこの状態を改善できるのでは』という考えを抱き始めていたのだ。

 ティジがここまで察しているかは判断できないが、ルイがブレナ教師と話をしたいと思っていることまでは分かっている様子。できればティジに助けてもらうことの無いよう二人で話したい、という所まで。

 

「俺はちょっと休みたいなーって思ってるけど、その間ルイは暇になっちゃうでしょ?どうせだったらブレナ先生と何かお話とか……ほら『喫茶店はどうでしたかー』とかそういう話をしても良いんじゃないかな」
「でも俺たち今さっき誤解が解けたばかりなのに別行動するのは……」
 ティジの気遣いに申し訳なさを感じるルイ。そんな彼の懸念を払拭するかのようにティジは笑いかけた。

「俺は大丈夫だよ。ルイが何か悩んでいるならそれを解決できたほうが俺も安心する」
 ここまで譲らないとあらば、ここはティジの言葉に甘えてしまおうか。だがしかし、さすがにティジを一人にするのは不安でしかない。

「分かった。じゃあここなら保健室が近いからそこで休もう。そこまで送るから少し待ってて」
 保健室ならば人の居ない空き教室などと比べて危険も少ないだろう。それに本当に体調が悪くなったとしても横になれる。
 そう考えたルイはブレナ教師に「その荷物を運ぶの手伝うのでちょっと待っていてください」と告げ、大急ぎでティジを保健室まで送った。
 
 ◆ ◆ ◆

 無事に保健室まで送り届けられたティジ。ルイに「それじゃあここで待ってるから」と告げてその背を見送る。
 保健室には自分以外誰もいない。ティジは『まぁそのほうが気楽なのでむしろ良かった』と心の中で呟き、手近な椅子に腰掛けた。

 ルイがあのブレナ教師とどう関わっていけばよいか悩んでいるのは薄々気付いていた。彼も自分と同様に外部との交流はほとんど無かったのだから、人との関わり方には相当悩んでいるようだ。

 

「ブレナ先生とのお話、うまくいくといいな」
 少し休みたい、というのは建前だ。二人の話が終わるまでルイの健闘をここで祈りながら待っているとしよう。
 それでクーさんやエスタさんと一緒に帰ったら今日の出来事を父さんにも話そうかな。父さんは立場上こういう行事に顔を見せることはできないけど多分すごく行きたかっただろうし。
 あぁそうだ。エスタさんに作ってあげる約束をしていたガトーショコラも作らないと。『美味しい』って言ってくれるかな。言ってくれたら嬉しいな。

 今日は本当に色々な事があった。今日だけじゃない。学園祭の準備期間……いや、この学園に通うようになってから色んな経験をしている。
 いまだに同級生との間に距離感はある。……それともう一つ、周囲が自分に向ける目も変わらない。
 その視線に慣れることはできないけど、このまま下手に衝突せず、当たり障りなく過ごしていけばこれ以上悪化することも無いはずだ。
 いつも通りルイやクーさんたちを心配させないよう元気に、普段通りに過ごしていこう。

 その時、ふと今朝方シンに告げられた言葉を思い出した。

 

『負の感情は全く出さない』
『常に周りに気を遣ってる良い子ちゃん』

「……良くないのかな」
 一人きりの保健室でその呟きは誰の耳に入ることもない。

 だって自分が悲しんだら。不快感を示せば。周囲の者に迷惑を掛けてしまう。みんな優しい人だから。
 暗い感情を表に出さなければ、みんなに負担を掛けることもない。

 

 昼頃クーさんから「何かあったのか」と聞かれた時は内心焦ってしまった。あの場ではなんとかやり過ごしたが、城に帰ったらこちらが打ち明けるまで粘るかもしれない。
 彼も心配してくれているからこそ親身になってくれているのだ。でもこの悩みを口にしてしまえばクーさんの頭痛の種を増やしてしまう。
 そうさせないためにも『いつも通りの元気な自分』を装わなければ。

 でもそれはみんなを騙していることになるのではないか?こちらをよく気に掛けてくれる優しい彼らに対して、自分はちゃんと向き合っていないことになるのでは?それならどう振る舞ったらいい?

 周囲の視線に嫌悪感を覚えるわけではない。
 怖いのだ。彼らが自分を見てどう思っているのか。とてつもなく恐ろしくて、この姿を見られたくなくて。本音を言えば逃げてしまいたい。

 他の子と同じように「学校」に行って、外の世界と関わって歩み寄ってみれば少しは改善するだろうか。そう考えて自ら「学校に行ってみたい」と進言した。
 だけどやはり難しい。他者の視線を感じるとある出来事を思い出してしまう。

 

 自分がうんと小さい頃、まだじぃじがいた頃。はじめて外に出た時に街ゆく人が自分を見て囁いていたのだ――『気持ち悪い』と。

 顔も見ていない誰かはその囁きが自分の耳に入っていたとは夢にも思っていないだろう。でもほどほどに人もいた街中でもそれは確かに聞こえてしまった。

 あの時の言葉はずっと胸に刺さっていて、今もジクジクと心を蝕んでいる。
 もしかしたらこの学校の生徒たちも、外ですれ違うすべての人間が自分を見てあの囁きと同じ気持ちを抱いているのかもしれない。そんな考えは常に頭の中にあった。

 

「大丈夫……大丈夫……」
 ザワザワと不安な気持ちを抑え込むように両手で耳を塞いで何度も自分に言い聞かせる。
 笑顔でいないと。
 平気なふりをしていないと。

 しばらくして何とか落ち着きを取り戻した。ルイはまだ戻ってきていない。良かった。こんなところを見られたら一大事だ。
 ダメだな。一人でいると良くない思考に陥ってしまう。ルイが戻ってくる前にちゃんと持ち直しておかないと。

 

「さっきから見てたけどさ、お前ひとりでコロコロ表情変えて面白いね」

 秋の終わりを思わせる冷たい風がティジの背中を撫でる。背後から聞こえた声に意識を引き戻された。
「やっと見つけたよ。ティルジア・ルエ・レリリアン」
 その声は先刻、迷路の中でブレナ教師に呼びかけていた誰かの声と同じ物で――

 


 ティジはとっても考えすぎちゃう。いろいろ考えて極力吐き出そうとせずに自分の中に溜め込みがち。それを察している周囲の大人は『もっと気楽に吐き出してほしいんだけどな……』と常々思っています。