19.陽だまりと雨-3

 午後の授業が終わり、ルイは勉強道具を自分の部屋に置きに戻っていた。

 今はもう自分の部屋で寝るようにしている。無理してではなく、少しずつでも前に進んでいきたいから。でも、あの事件の日を彷彿とさせる夢を見た時は伯父さんを頼ってしまう。……時々だけどティジのほうにも。
 ティジといるとすごく胸のところがポカポカして、あったかくなるんだ。伯父さんといる時も『温かいなぁ』って思うけど……ティジの場合はそれがすごく分かりやすい。ティジに握られる手から何かじんわりと温かくなるような……気のせいかな。
 何はともあれすごく心地いい。でもこんなこと言えない。一緒に寝たら落ち着くって……まるで小さい子じゃないか。ぼく、ティジと同い年なのに。恥ずかしい。

 外はすごいどしゃ降りだ。なんだっけ……バケツをひっくり返したようなっていうやつ。ついさっき急に降り始めてびっくりした。天気予報は大はずれだ。
 今日、伯父さんはティジのお父さんと一緒に外に出掛けている。ティジのお父さんが他の国の偉い人と会うらしくて、でも何か少し調子が悪そうだから伯父さんもついて行くことにしたらしい。何かあったらすぐ連絡してくれって言ってた。
 ティジのお父さんが調子悪そうにしてると伯父さんはすぐ慌てちゃう。でもぼくも伯父さんとかティジに何かあったら嫌だからその気持ちはよく分かる。

 そういえばティジのお母さんも今日は出掛けてるんだっけ。ティジの妹さんのサクラが通っている学校に行ってるとかで。
 ぼくはもう少し他の人が大丈夫になったら学校に行けるようになるみたいだ。伯父さんは安心したように『そしたらティジも一緒に通えそうだな』って言ってて……あれ?

 ふと、今の状況がおかしいことに気づく。
 ぼくは怪我をして、大人の人が怖かったからしばらく学校に行けなかったのは分かるけど……ティジはどうして学校に行っていないんだろう。見た感じひどい怪我とか病気はなさそうだし、誰に対しても笑顔で初めて会う人でもすぐに仲良くなれそうなのに。どうして妹のサクラは通えていて、ティジは――

 そのとき窓の外が光り、次いで轟音が鳴り響いた。
「うわっ!?……かみ、なり?」
 びっくりした。結構近くに落ちたのかな。そういえば雷って久しぶりな気がする。ここに来てからは初めてなんじゃないかな。
 それにしても伯父さんたち遅いなぁ。夕方には帰るって言ってたのに。この雨だと汽車とか車も遅れたりするのかな。
 うーん……どうしよう。雨が降ってるから庭園に行くこともできないし、勉強も終わってしまった。することがなくて暇だ。
 そうだ、ティジにまた魔術について教えてもらおう。もしも断られたら……その時になってから考えればいいか。

 魔術について知っていればティジが倒れてしまってもできることがあるかもしれない、と考えてティジに声をかけた。全然知識がないぼくにもとても分かりやすく教えてくれて、魔術について話しているティジもとても楽しそうだった。そういえばティジの部屋にも魔術の本が沢山あったな。
 お兄ちゃんもきっといっぱい勉強してあんなに綺麗な雪を作れるようになったんだろう。でもあんなに難しいことをぼくと同じ年でできるなんてティジは本当にすごいなぁ。

 ぼくはティジに何をしてあげられるだろう。勉強はティジのほうができるし、人と話すことだってティジのほうがちゃんとしてる。魔術もぼくには使えない。
 いや、それをどうにかするために魔術について勉強してるんだ!ティジが苦しい時に少しでも助けになるために!……まぁ、そのために今からティジを頼るんだけど。

 自分の力不足を情けなく思いながらティジの部屋へと向かう。その間も雷は絶えず鳴り響いていた。

 

「ティジ、いるかな。また魔術について教えてほしいんだけど……」
 ノックしても返事は無かった。もしかして談話室のほうに行ったかな。いや、読書に集中してて聞こえてなかっただけかもしれない。『それはそれで何かすごく申し訳ないことをしてる気がする』と考えながら扉を開ける。
 部屋の中は静まり返っていて、明かりもついていなかった。薄暗い部屋の中、そのベッドの上。

「……ティジ?」
「……うっ、やだ……やだ……っ」
 ティジは布団にくるまり、ガタガタと震えていた。日中の明るい笑顔とは真逆のひどく怯えた姿に思考が止まる。
 すると再び雷鳴がこだました。
「ひっ……!」
 大きく肩を跳ね、涙をこぼす。多分だけどこのままにしておくのは良くない。慌てて駆け寄りガタガタと震えるティジに手を伸ばす。
「ティジ、どうしたの?何かあっ――」
「――っ、やだ!ごめんなさ、ごめんなさい……!」
 逃げるように後ずさりひたすら謝るその姿は、あきらかに異常だった。
「ティジ、ぼくのことわかる?ルイ。ティジの……えーっと……お友達のルイだよ」
 果たして勝手に友達と名乗っていいのか分からなかったがとにかく落ち着かせようと思い、そう言った。するとティジとようやく目が合った気がした。
「……ル、イ?」
「うん、ルイだよ」
 ぼくだと分かり、少し呼吸が落ち着いたように見えた。

「怖い夢でも見た?」
「……っ」
 ぶんぶんと首を横に振る。外の雨と同じように涙は止まらない。するとカッと強い光が射し込む。
「――っ!!」
 雷鳴が轟くとティジは耳をふさぎながら息を詰まらせた。
「……雷が怖いの?」
 その問いかけにティジはコクコクと頷く。でもどうしたらいいのか分からない。とりあえず伯父さんに連絡したほうがいいかな。
「ちょっと待ってて。すぐ伯父さんに――」
「まって!!」
 たしか医務室に電話があったはずだ、と部屋を出ようとすると金属を引っかいたような声で呼び止められる。驚いてティジのほうを見ると、ひどく青白い顔を歪ませて口を開く。

「……そばにいて……ひとりに、しないで」
 それは雨音にかき消されそうなほど、か細い声だった。

「うん、わかった。そばにいるよ」
 今のティジをひとりにしちゃいけない。ぼくがそばにいないと。
「いっしょ……いっしょに、いて……ひとり、やだ……」
 弱々しい力で袖を引っ張られる。
「えっと、ベッドにあがってもいいのかな」
 何も言わないけど小さく頷いたので遠慮しつつもベッドにあがる。
「寝転がったほうがいいんじゃないかな。ほら、そっちのほうが温かいし」
 体を縮こまらせてガタガタと震えるティジに声をかけると、おそるおそるといった様子でその場に横になった。とりあえず見下ろすのも良くないから自分も隣に寝転がった。
「あ……入れてくれるの?ありがとう」
 ティジは体を覆っていた布団をぼくにも掛けてくれて、そのまま体を寄せてきた。よほど一人が怖かったのだろう。……この間と立場が真逆だ。

「……ぅ、ごめ、なさ……ルイ、ルイ……っ」
「大丈夫。ここにいるよ」
 何に対して謝っているのだろう。少しでも安心してもらおうと、あの夜ぼくが怖い夢を見た時にされたように手を握ろうとしたが、その手は耳をふさいでいたので叶わなかった。
「かみ、なり……こわい……やだ、やだぁ……っ!」
 ひどく怯えている。ボロボロと涙を流して震えていた。
 どうしたらティジを助けられる?ぼくは何ができる?まるで真冬のようにガタガタと体を震わせる姿は見ているこっちも苦しくなる。
 そうだ、これなら今のぼくにもできるんじゃないか?

「ティジ、ちょっとごめんね」
「……っ!」
 自分の両手でティジの体を抱き締める。これが正しいのかは分からない。でもあの夜、ぼくがこうして温めてもらって落ち着いたから。だからティジにも少しでも安心してもらいたくて。
 手が触れた時ティジは大きく体をビクつかせたけど、ぼくの顔を見るとそのままピタリと体をくっつけてきた。
「ひっく、ぅ……ルイ……ごめん、っ、ごめんなさい……ひとり、やだ……こわい……こわい……っ」
「大丈夫、ぼくがそばにいるから。ティジはひとりじゃないよ」
 あの夜、ティジがぼくにそうしたようになるべく優しい声で語りかける。そのまま泣き疲れて眠ってしまうまでティジは震え続けていた。

 

「……っ、ぅ……ゃ」
 眠りながら時折うめき声をあげる。夢の中でも苦しんでいるのだろう。いつの間にか雷は治まっていた。
「……ゃだ……、ぇさ……っ、ゃ……」
「……?いま……」
 誰かの名前を呼んだような。でもよく聞こえなかった。何て言ったんだろう、と思っていると部屋の扉がノックされた。
「っ、……ぁ、ルイ……?」
 ティジを起こさないよう慎重に振り返ると、すごく青ざめた顔で伯父さんが部屋に入ってきた。なんでここに、という様子で伯父さんがぼくの名前を呼ぶ。

「ティジ、は……寝てるか」
 良かった、というように伯父さんは息をつく。
「……その、魔術について教えてもらおうって思って来たら……すごく泣いてて……」
 ティジに目を向けると呻くことは無くなり、寝息を立てていた。
「それで一緒にいてくれたのか。ごめんな、びっくりしただろ」
 そう言いながら伯父さんは横になったままのぼくの頭を優しく撫でた。
「……あのな、ティジは雷がすごく怖いんだ。雷が鳴るといつもこうなる。いつもはユリア……ティジのお母さんが一緒にいるようにするんだけど……」
「伯父さんは?」
 伯父さんならこんな状態のティジを放っておくことなんて絶対しないはずだ。でも伯父さんは落ち込んだ様子で目を伏せてしまう。
「……俺は、ちょっとな。難しいんだ」
 難しいってどういうことだろう。でもこれ以上聞いても答えてくれそうにない。

「……っ、う」
 隣から小さな声が聞こえるとともに白い頭が揺れる。ぼくたちの話し声でティジが目を覚ましたようだ。
「あ、起こしちゃったか。ティジ、おはよう」
 ひどく疲れた様子でまぶたを開けるティジに伯父さんは声をかける。『おはよう』という時間でもないけど……というかどちらかというと『おやすみ』の時間だ。

「……ぼく……あれ?……ルイ?」
「えっと……」
 どうしてルイと寝ているの、といった様子に『どうしよう。あんなに怯えてたから変に触れないほうがいいのかな……』と考えていると伯父さんがティジに微笑みかける。
「雷が鳴ってたんだ。ルイがずっとそばにいてくれたみたいだぞ」
「あ……そうだった……ルイ、ありがと」
 そばにいただけなのに何故かお礼を言われる。ティジはゆっくりと起き上がるが、少し体をふらつかせているのを見るとまだ無理してるんじゃないかと心配になった。
「いっ……」
 すごく痛そうに頭を押さえる。ぼくもたくさん泣いた次の日はすごい頭痛がするからティジも相当痛いのだろう。

「……僕ね、何でか雷がすごく怖くて……自分でもどうしてこんなに怖いって思うのか分からないんだ」
 ティジは息をつくと元気のない声で語りだした。
「ぼくもオバケとかは怖いよ。オバケの話とか聞いたら夜一人で眠れなくなっちゃう」
 そう言うとティジは「ありがとう」と小さく笑う。ティジを気遣って言ったのはバレバレのようだ。でもオバケとか怖い話が苦手なのは本当のこと。

「自分がどこにいるのか分からなくなって、ひとりが怖くて、雷の音も、ぜんぶ全部怖くなって……っ」
 カタカタと震えだしたので少しでも安心できるようにと手を握る。するとティジはビクっと体を揺らしたが、ぼくの顔を見ると気を落ち着かせるように深呼吸した。
「今まではじぃじや母さんがそばにいてくれたんだけど……」
 そういえばティジのお爺さんはぼくがここに来る前に亡くなっていることを思い出す。そして今日、ティジのお母さんはティジの妹さんのサクラが通う学校に行ってしまっている。それに加えて急に天気が崩れるという悪条件が重なった結果『そばに誰もいない』という状況が生まれてしまったのだろう。
「……ごめんな。この大雨で交通も遅れてすぐに帰れなかったんだ。本当に……ごめん」
「ううん、クーさんは悪くないよ。天気ばっかりはどうしようもないから」
 髪をすくように撫でる伯父さんにティジは笑みを見せた。

「それに、ルイがいてくれたから平気」
 ぼくを見て安心したような声で告げる。でも、そう思ってくれたなら本当によかった。
「そっか。……そうか」
 何かを考え始めた伯父さんは何回かぼくとティジを交互に見るとやがて何かを決めたようにぼくに告げる。

「ルイ、できれば雷の日はティジと一緒にいてくれないか?そばにいるだけでいいから。ティジをひとりにしないでやってほしいんだ」
「え?……うん。ぼくは大丈夫だけど、ティジはぼくでいいの?」
 ぼくなんかじゃなくてティジのお父さんやお母さんと一緒のほうが安心できるんじゃないか、と思ったがティジはその問いに大きく頷いた。
「ルイと一緒だったら……えっと、雷は怖かったけど一人じゃないってなれたから。僕も大丈夫だよ」
「二人ともいいみたいだな。じゃあこれからはルイ、お願いな」

 伯父さんはホッとした様子でぼくとティジの頭を撫でたあと、思い出したように「そういえばそろそろ夕食の時間だな」と言った。
「そうだった!じゃあルイ、一緒に行こっか!」
 ティジはそう声をあげるとあの花が咲いたような、お日さまのような明るい笑顔をぼくに向けて手をとる。その手はとても温かくて、その温かさにホッとして握りかえした。

 ティジが一人にならないようそばにいること。それが今のぼくにできる唯一のことならば、よろこんでそうするよ。

 


ひとまずルイを中心とした幼少期回はここらへんで。
ちなみに幼少期の二人の一人称はティジが『僕』でルイは『ぼく』と表記してます。動揺してたりそういう気持ちがワチャワチャしてる時はティジでも『ぼく』表記だったり。